読めないあなた
「なんだ残念。じゃあ、僕は出ているから後は自分で着替えてね」
そう言うと、ジュールはあっさり部屋を出て行った。
「……え? あれ?」
しばらく経ってようやく、からかわれたのだと気づく。
まあ、確かにね。騎士のジュールなら、相手は選び放題だ。こんな小娘をわざわざ相手にしなくても、駆け引きに慣れた大人の女性が勝手に寄って来るだろう。それに彼は、女性の扱いにも慣れている感じだったし?
考えるだけでモヤっとするし、冗談だとわかっても、さっきのことを思い出すと頬が熱くなってしまう。
可愛い顔と男っぽい行動とのギャップを感じたせい? それともジュールが気になるから?
こんな時、恋に慣れた大人の女性なら、さらっと流してしまえるのだろう。
――いけない、ぐずぐずして様子を見に戻ってこられては厄介だ。さっさと着替えて稽古をつけてもらわなきゃ。
渡された着替えの中には、ご丁寧に白い布まで用意されていた。手近にあった椅子に腰かけ、それをさらし代わりに胸に巻き、手早く服を身に着ける。
準備を終えた私は、部屋を出て急いで外に向かった。
「前回で君の能力は大体把握した。これからは劣っている部分を重点的に強化して、伸ばしていこうと思う」
淡々と指導するジュール。
さっきの彼はいったいなんだったんだろう?
気にする私とは違い、ジュールは至って冷静だ。
武器を持つのはまだ早いということで、体術の稽古をすることになった。
ジュールがまず、お手本を見せてくれる。
「重心を安定させて、手足を素早く動かすこと」
さすがは本職なだけあって動作に無駄がなく、構えや蹴りの姿勢など、見ているだけでうっとりしてしまう。休憩中にそのことを伝えたら、なぜか驚かれた。
「今まで容姿や肩書きを褒められたことはあっても、構えや技を褒めてくれた女性はいないな」
苦笑するジュールは、やっぱり女性達からちやほやされているみたい。
ムッとした私の頭に彼が手を置き、優しく撫でる。
「どうしたの? セリーナ。緊張している? 稽古なんだし、リラックスして楽しめばいいよ」
いや、緊張してるのそこじゃないから。
羊さんだと思っていた人が狼さんみたいで怖くなったこと。可愛らしい顔立ちなのに、突然男らしく頼もしく感じたこと。その二つが合わさって、戸惑っているだけだから。
頭を撫でられるのは、嬉しい反面悲しいような。
女性として意識されていないんだなって、わかってしまった。彼にしてみればきっと、子供を相手にしている感覚なのだろう。
だけど疑問は残る。
それならなぜ、部屋であんなふうにからかったの? もしかしてこの国には、『未婚女性はとりあえず口説け』という掟がある、とか?
稽古も後半になると、「堅さが取れて動きが滑らかになった」と褒められた。言われた通り重心を低くすることで軸が安定し、蹴りの速度も格段に上がる。女の子らしさはどうした、という意見は聞かない方向で。外で身体を動かす方が、今も昔も私には合っている。
「短時間でだいぶ良くなったよ。これなら僕も、そのうち負けちゃうかもね」
「ありがとうございます。頑張りますね!」
ジュールが強いのは身に染みてわかっているから、本気になんてしていない。
でも、褒められて悪い気はしなかった。
セリーナの容姿以外褒められた覚えがなかったので、彼の言葉は素直に嬉しい。
「もしかしてセリーナは、僕のことを倒したいの?」
「……へ? ま、まさか」
慌てて否定する。
そんな大それた野望は抱いておらず、死にたくないので自分の身を護りたいだけ。
「良かった。僕は倒されるより、組み敷く方が好きかな?」
「……はい? なんのことですか?」
爽やかに語られた内容が、意味深なのはなぜだろう? ジュールの目尻の上がった大きな目が、一瞬、肉食獣のようにも見えた。
「なーんてね。そうそう、君の動きはまだ堅い。必要以上に身構えているせいで、動作が一呼吸遅れてしまう。セリーナは普段から、肩の力を抜くといいかもね」
「……はあ」
アドバイスはごもっとも。
けれど私は、『ラノベ』の通りに恋愛しないと死ぬかもしれない運命なのだ。肩の力なんて、当然抜けるわけがない。
「どうした、何か困ったことでも?」
心配そうに見つめる琥珀色の瞳。
私は思わず、何もかも打ち明けそうになってしまう。本当のことを言ったら、ジュールは助けてくれるかな?
『恋愛しないと死ぬかもしれないので、私生活でも手ほどきよろしく!』
そんなこと、簡単にお願いできるわけがない。
ジュールはモテモテだから、ちっとも女の子らしくない私を相手にするのは、頼まれたって嫌だろう。指導を引き受けてくれただけでも十分だ。図々しいお願いをしたら、今後の稽古が取りやめになるかもしれない。
「いえ、大したことではありませんので」
首を小さく横に振る。
嘘だよー。本当はすごく重要で、生きるか死ぬかの大問題。ただし、私限定の。
でも、変な同情なんてされたくないし、私は彼の側にいられれば十分だ。
「そう? 困った時は助けになるから、遠慮なく頼ってね」
「ありがとうございます」
ジュールの笑顔を見られただけでも、頑張った甲斐があったな。
もう一度、彼にお礼を言おうと口を開きかけたところで、後ろから声がかかった。
「リーナ、こんな所にいたのか」
「ちっっ」
振り向くと、義兄のオーロフが書類を抱えて立っている。回廊から中庭が見えるため、義妹に声をかけたみたい。それより今、側で舌打ちが聞こえたような……
気のせいかな?
「兄様、お仕事大変そうですね」
「リーナ、ジュールが一緒とは? それに、その恰好はなんだ!」
「……げ」
やばいやばいやばい……
稽古のこと、オーロフには内緒だった。
「体術くらい自分が教える」と義兄には言われていたけれど、まさに今、その体術を習っていたところだ。兄は普段から私に「淑女教育に力を入れて、女の子らしくするように」と説教している。なのに、ドレスとは真逆の恰好を目撃されてしまった。
焦れば焦るほど、良い言い訳が思い浮かばない。お仕置き嫌だし、どうしよう?
「オーロフ、僕が誘ったんだ。彼女が暇を持て余していると知ってね。大好きなお兄さんと一緒に帰りたいから、ずっと待っているんだって。健気だと思わない?」
「……む。そうか」
ジュールが助け船を出してくれたが、そんなこと、これっぽっちも思っていない。
なのにジュールの言葉に納得しているあたり、義兄、意外とチョロいな。
ジュールとは、偶然廊下で会っただけ。
そんなことを言えば庇ってくれた彼に申し訳ないし、我が身も危うくなる。ここは一つ黙って頷こう。
「わかった。リーナ、急いで仕事を終わらせるから、あと少し待っていてくれ。ジュール、くれぐれも義妹に手は出すなよ!」
兄は言い残し、速足に去って行く。
さすがはジュールだ。学院で義兄と同期だったこともあり、彼の扱いには私よりも慣れているみたい。
オーロフの姿が完全に見えなくなると、ジュールが私の耳元で囁いた。
「もう遅いよ。手どころか他にも、ねえ?」
ど、どど、どーいう意味?
もちろん稽古のことだよね。拳で手を、蹴りで足を出しているって意味でしょう?
着替えた時のことを思い出し、胸がドキドキしてしまう。
私ったら、はしたないにも程がある。
いつもありがとうございます。
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