元ヤン、謝り倒す
「児童期への退行と記憶喪失が重なった特殊な例でしょう」
医師はそう結論づけた。
「やはりそうか」
医師が退室した後、オーロフが呟く。
やはりって? 目が合うと、教えてくれた。
「最初は記憶喪失を疑ったが、違和感がある。お前から、なんの反応もなかったしな。コレットに事情を聞いた後は幼児への退行だろうと考え、現にそういう診断を受けた。徐々にではあるが成長していたし、思い出せない範囲も限定されている。今度は他の症状の可能性を探ろうとした」
「そう。それでオーロフに相談された私が、医師を探して連れて来た。まあ、あの日はとりあえず、君の状態を見に寄っただけだが。君を案じるあまり、この男は王城にしつこく鷹便を飛ばしてきた。あれではさすがに断れない」
「それはグイード様のせいです。昼間はお忙しいとはいえ、夜くらい王城にいらしても良いのでは? 返信が遅く焦りました」
「夜に遊ばずいつ遊ぶんだ? 君がセリーナ嬢を私に譲るなら、遊びは一切やめるが」
「それはあり得ませんね」
言い合う二人を横目で見ながら、私は考えた。
――グイード様があの場にいたのは、偶然ではなかったってことだね? で、オーロフは私の病状を彼に相談していたってことで。そんでもって、通信手段は『鷹便』ってやつで、夜間に飛ばしていた。あれ? でもここ、鷹なんていたっけ?
「鷹便って……」
「民間のは高価だから、大きな街でしか扱っていない。ここからだと街まで時間がかかるな」
グイード様が教えてくれた。王族なのに街の事情にも詳しいとは、さすがだ。
「ええ。ですから夜しか移動ができませんでした。昼間はなるべくリーナの側にいたいので」
「え? じゃあ最近いなかったのって……。もしかして、鷹便頼みに行ってたの? 他の女性と会っていたんじゃなく?」
「どこからそんな考えが? リーナ、私もお前に言っておきたいことがある。覚悟はいいか?」
オーロフの目がめちゃくちゃ怖い。
これはいつもの説教パターンだ!
『お仕置き』が始まったらどうしよう?
私が逃げ回っていたと証言したオルガは、確かに正しかった。
「仲が良いのはいいが、私が帰った後にしてくれ。だがセリーナ、君が元気になって良かった。ヴァンもジュールもきっと喜ぶ」
「ありがとうございます。グイード様こそ、お元気そうで」
「そうでもない。セリーナ、プロポーズはまだ有効だ。彼が嫌になったらいつでも私の所においで?」
グイード様が私の手を取り、甲にキスをしようとした瞬間。
割って入ったオーロフが、断固阻止する。
「近づき過ぎです!」
「グイード様ったら。気を遣っていただかなくても、私は十分元気ですよ?」
コレットいわく、女性を口説くのが彼のマナーだ。本気にしてはいけないし、私にはオーロフがいる。
自分が呼んだくせに、オーロフはグイード様と医師を追い立てるように帰してしまった。もちろんちゃんとお礼は言っていたようだ。
オーロフは、私のことをずっと気にかけてくれていた。改めてわかってすごく嬉しい。最近距離を置かれているようで、寂しかったのだ。まあそれも、私の病状を相談するためだと判明したんだけどね。
久々の湯浴みは、サッパリして気持ちがいい。
浴室まで横抱きで運んでくれた心配性のオーロフを、追い出すのに苦労したけれど。ずっと付き添うって無理だから! 侍女とメイドに手伝ってもらうから大丈夫。そこまで体重増えていないと思うよ?
でも、その考えは甘かった。
いや、体重じゃなくて体力の方。
少し動いただけなのに、疲れてしまった私。腕とわき腹の傷の手当てをしてもらった後は、大人しくベッドに収まる。
本調子でない私のために、夕食が部屋まで運ばれた。オーロフが隣で食事を小さく切り分けて、口に入れてくれる。さらに足りないものはないか、とかいがいしく世話を焼く。
「まさかオーロフ、いまだに私のことを子供だと思ってる?」
「いや、子供にこんなことはできないな」
言うなり彼は、私の口元についていたソースを当然のように舌で舐めとった。
いきなりのどアップは心臓に悪い。
せっかく下がった熱が、また上がったらどうしてくれるんだ!
夕食を片付けてもらった後、オーロフがそのまま部屋に残り口を開く。
「さてリーナ、話をしようか?」
怜悧な美貌は彫刻のようで、金色の瞳も笑っていない。こういう時の彼は要注意。かなり危険だけど、私は病み上がり。お仕置きは勘弁してほしい。
「以前の記憶も今の記憶も全てを思い出した、ということで間違いないか?」
「はい」
逆らってはいけないので、素直に頷く。
「それはいつから?」
探るように見つめられる。
うう、医師の方が優しかったよー。
「バルコニーに移動する前、かな」
あの日のショックはまだ消えないが、正直に答えておく。だって、嘘をつくと言い訳を考える方が面倒だ。そういえば!
「今日はいつ? あれから何日経ったの?」
「私の質問が途中だが……まあいい。お前は熱を出し、丸三日寝ていた。目が覚めたのが昨日だから、今日で五日目だ」
「うわっ、そんなに?」
「リーナ。頼むからこれ以上、私を心配させないでくれ」
ベッドに腰かけたオーロフが、起き上がっていた私を抱き寄せ、肩に顔を埋めた。苦しそうな彼の様子に胸がキュッと苦しくなる。
「ごめんなさい」
「お前は本当にわかっているのか? どれだけ私が苦しんだと思う?」
思い当たることが多過ぎて、どっから謝ればいいのかわからない。
あの日――
私はこの人の目の前で、自分から手を放した。
もちろん彼に助かって欲しくて。けれどその時私は、絶望に歪む表情を見てしまったのだ。
熱があるのにウロウロして、危険なバルコニーに出た私。さすがに手すりが壊れるとは予想もしていなかったけど、あの時もたれなかったら危ない目に遭わなくて済んだかもしれない。
言い訳させてもらえるなら、最近寝不足だったから。距離を置かれて寂しくて、兄様に好きな人がいるのではないか、リーナさんと会っているのではと考えて、眠れなかった。
でもそれも、私の盛大な勘違いだったけど。
ただ一人を望み敬い好きになる――。
その気持ちを愛だと気づかず、幼い憧れだと思い込んだ。その割にセリーナと呼ばれた私は、貴方の中のリーナに激しく嫉妬した。そのため貴方は、いつも困ったような顔をしていたっけ。
全てを思い出した直後も、私は一人で逝く道を選んでしまった。迷いなく追った貴方を、私は今まで苦しめて、深く傷つけていたんだね。
「ごめ、ごめんなさい」
他の言葉が見つからない。
これまでの全てを謝りたいと、心から思う。
私の肩に額を乗せたまま、オーロフが言葉を続けた。
「わかっているならさっきの発言は? 私に、他の女のところに行けと言うのか?」
「違っ……ごめんなさい」
「私の外出中、怖がっていた部屋に勝手に入ったのは?」
「ごめんなさい」
「バルコニーが壊れた時……自分から海に飛び込もうとしたね?」
「ご……ごめ……」
胸が苦しくなる。
何を言っても言い訳にしかならないと、わかっているから。
「無論、私のためを思っての行動だろう。お前の考えそうなことだ。だが、お前を永遠に失うかもしれないと、恐れる私の気持ちを考えたのか?」
「ごめんなさ……」
「馬車の事故でも危なかったんだ。あの時も、前日の毒も、お前のことが心配でたまらなかった」
「ごめんなさい」
「単に謝ればいいというものでもない。伯爵夫人がバカではいけない。お前には一生、私の隣で『お仕置き』を受けてもらう」
「ごめ…………え!? それって――」
顔を上げたオーロフがニヤリと笑う。
バッチリ視線を合わされて、逸らすことができない。
「返事は? リーナ」
「はい……かな?」
「かな?」
「いや、えっと……はい」
「まあいい。バカな子ほど可愛い」
口に手を当て、嬉しそうに笑うオーロフ。
ちょっと待った!
それだと私がバカだってこと?
伯爵夫人がバカじゃだめって……じゃあお仕置きってやっぱり、勉強のこと? というより私は、このまま貴方と一緒になっていいの?
「伯爵夫人って……」
「私と結婚すれば、当然そうなるだろう?」
「でも……」
「反論は受け付けない。さっき私に、他の女性がどうとか疑っていたな。グイード様にも相変わらず口説かれていたようだし。わからないならわかるまで、お仕置きしよう」




