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壊れた日常 2

 昨日から身体がだるく、少し熱っぽい。

 私が調子の悪い時、これまでだったらお兄様が気づいてくれた。

 でも、今は――


 侍女のオルガに「顔色が悪い」と言われ、休むことになった。昨日と今日の勉強は取りやめになり、大好きな乗馬もなし。お兄様と顔を合わせられなくなるのが、とてもつらい。

 彼は昨日、私の部屋に一度だけ顔を出した。


「セリーナ、無理しなくていい。早く治して、元気な姿を見せておくれ」


 そう言われても、具合の悪い原因はわかっている。

 ただの睡眠不足だ。


 兄様がこの前一人で出かけた理由は、この地方の領主に招かれたから。海辺の古城に滞在している以上、誘いを断れないそうだ。恋人に会いに行ったわけではなかったみたい。それなら私も、一緒に連れて行ってほしかったのに。


 けれど兄様は、ダンスができない私を恥じたのか、一人で参加した。彼の好きなリーナさんなら、完璧に踊れるのだろう。戻った兄様が酔って私をその人と間違えるから、私は混乱し、苦しくなってしまったのだ。


 あの夜以来、私達は寝室が別となった。

 主寝室を私が使い、二階の広い部屋をお兄様が使っている。この見た目だし、兄妹とはいえ義理なので、一緒のベッドってどうよ? って、考えなくもない。

 だからと言って急に突き放されると、すごく寂しい。


 挨拶は普通に交わすし、食事の時間と日中は一緒にいられる。残念ながら、夕食後は別行動。兄はこの頃、夜に出掛ける事が多くなってしまった。そうそう、夕食前の海辺の散歩も最近行ってないや。貝殻はもう、何日も拾っていなかった。


 夜がくるたび怖くって、一人だといろんなことを考えてしまう。夜中にふと目を覚ましても、「大丈夫だよ」と落ち着かせてくれる人はいない。枕やクッションじゃ兄の代わりにならないし、髪を撫でてももらえない。早く朝が来ればいいと、私は枕をかかえて必死に目を閉じる。


 そのせいで、近頃は昼間にボーっとし、うとうとするようになってしまった。そんな私を見ても、兄は何も言わない。今まで彼に頼りきっていた私は、ぐっすり眠れずとても苦しい。


 ――こんな事では、お兄様に嫌われてしまう。


 そう思えば思うほど余計に悩み、眠れなくなる。

 しんどいのはやっぱり、睡眠不足のせいだ。


 兄が呼び間違えたのはあの日だけ。

 今はちゃんと「セリーナ」と呼んでくれる。

 だけど私は複雑だった。「リーナ」と呼んだ彼を、はっきり覚えているから。熱のこもった金色の瞳と切ない表情を――。


 リーナさんは、兄をどう思っているの? 

 こんなにも想われているのを、知っているのだろうか。

 義妹のせいでなかなか婚約できないから、怒っている? 私を恨み、「邪魔だ。ボコってやりたい」なんて、考えているのかな?


 私の言葉遣いは、日々悪くなっていく。公用語にない乱暴な単語を、次々思いつくのはどうして? 

 そのくせ肝心な事は何も……この世界で過ごした感じはするものの、大切な人さえ思い出せない。まるで、頭の中に霧がかかっているようだ。


「まあ、考えてもしゃーないか。今日こそ昼間のうちに、たっぷり寝ておこう」


 ベッドにゴロンと横になる。

 起きていたってつまらない。

 夜眠れないなら、今しっかり寝ておこう。



 ***** 



 ――夢の中の兄様は、私に優しい。


 私はやっぱり彼のことを、お兄様と呼んでいた。ダンスを教えてくれて、お城のようなキラキラした場所にも連れて行ってくれて。愛情のこもった瞳で見つめられると、胸がときめく。頬に触れる手の感触、嬉しそうに細められる目。

 ただの夢だというのに、体験してきたみたいにリアルだ。


 だけど次の瞬間、私は別の人と踊っていた。

 兄のところに行きたいのに、銀色の髪に青い瞳の男性が、私をなかなか放してくれない。

 そうこうしているうちに、兄の姿が消えていた。

 離れ離れで胸が苦しい……

 この気持ちはもう、義妹のものではないと思う。


 ふと顔を上げると、兄様が私を見下ろした。

 私は彼を「オーロフ」と呼んでいる。

 彼は私を、なんて呼ぶ?

 唇だけが動き、声は聞こえない。

 微笑む金色の瞳が揺れ、愛しくてたまらないといった表情で私を見つめていた。


 これは、夢だから?

 夢の中でもあなたは、私とリーナさんとを間違えているの?


 場面が切り替わる。

 髪を結い上げた青いドレスの女性が、男性陣に囲まれていた。

 その中には、銀色の髪の男性も兄様もいる!

 兄様は彼女に微笑みかけ、「肌の露出が多い」と青いショールを着せかけてあげていた。

 赤い唇で礼を言い、(あで)やかに笑う彼女。

 幸せそうなお兄様。

 そんな二人を見るのは苦しい……



 彼女は私を見るなり(あご)を上げ、バカにしたように笑う。

 その顔は――……私とそっくり!?

 もしかして、彼女がリーナさん?

 兄様が愛し、婚約したいと望んだ人?


「バカね」


 私に向かって彼女が言う。


「バカね、すぐに手をとらないから」


 彼女は自分の口元に手を当て、コロコロ笑う。

 みんなが彼女に夢中で、誰も私を振り返らない。

 当然、兄様も。


「お願い兄様、私を見て!」


 私の声は届かない。

 こんなに近くにいるのに、こんなに思っているのに、私の声が彼には届いていなかった。


 どうして?

 その人と私の、どこが違うの?

 どうして彼女なら良くて、私じゃダメなの?

 同じ顔で似た名前なら、私でもいいでしょう!

 

「オーロフッ」


 叫んだ拍子に目が覚めた――



 *****



「お嬢様、大丈夫ですか!」


 侍女のオルガが心配して飛んできてくれたようだ。

 私は汗をかき、知らずに涙を流していた。昼間の夢は夜のものより怖く、心臓がまだドキドキしている。


 でもどうしても、私は確認しなければならない。

 夢で見たあの光景が、真実なのかどうかを。

 兄が着せかけていたあのショール。夢が現実なら、あの青いショールがこの前見たものと同じなのか、確かめないと。リーナさんが悪女なら、兄を止めよう!


「……お嬢様?」


 オルガに(うなず)き安心させ、私は書斎に向かう。

 あの日――酔ったお兄様が触れていたのは、夢と同じ青いショール。慌てて机に置いたけど、それまで大事そうに握っていた。おそらくあれはリーナさんの持ち物だ。青いショールを見つければ、彼女が現実にいると確認できる!


 幸い書斎には誰もいない。

 私は中に入り、探し回った。

 机の引き出しに大切にしまわれていたのは、私が兄様にあげた貝殻だ。本当は特別綺麗な貝殻を、彼のために見つけた。二人だけの時間、砂浜を歩いた穏やかな日々が、今は遠い。


 他にあるのは、書類や難しい文字で書かれた本だ。長椅子の下まで探したけれど、ショールは無かった。


 ――それならあの光景は、ただの夢?


 兄の姿はなく、出掛けているのかもしれない。彼はこの頃、私に告げずに外出するから。

 ため息をついて首を捻る。

 書斎にないなら、どこだろう?

 もしかしてあの後、リーナさんに返してしまったとか?


 ……ああ、そうか!

 書斎にないなら、きっとあそこだ。

 部屋を出た私は、勢いよく二階に駆け上がる。

 心配してついてきたオルガを振り切るが、いつもより身体を重く感じる。

 いつも――?

 以前の私が、家の中を走り回っていたと言うのは、本当なの?


 息が苦しい。こんなに走ったのは、きっと久しぶり。

 久しぶり――?


 見た時からなぜか怖かった、二階の部屋。

 私は扉を開け、中に入った。今、兄の寝室となっているここは、崖の真上でこの城で一番眺めが良い。

 窓の外にバルコニーがあり、白い手すりの向こうには、青い海が広がっていた。だけど今は、景色なんか楽しんでいる場合じゃない。青いショールを探さないと!


 私は隣接する衣裳部屋の戸を、大きく開けた。

 

「……何、これ?」

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