表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
108/177

穏やかな日々 2

 どうして平気だと思っていたのか。

 なぜ自分は耐えられると思っていたのか。


 この頃お前の側にいると、私は自分がわからなくなる。

 いつまで経っても戻らぬ記憶、成長しない心。

 焦ってはいけないと、わかっているのに。

 朝起きるたび、今日こそは、と(はかな)い期待を抱く。

 愛した人の保護者でい続けるのが、これほどまでに苦しい事だとは。


 私はお前の隣で、今後も笑っていられるだろうか――?




 朝――


 勝手に起きると怒られるため、セリーナの目が覚めるまで、黙って本を読んでいる。隣で眠る幸せそうな彼女を見て、私は考えた。


 ――今日はどうだろう? 元に戻っているのでは?


 ここで働く者には、事故に遭う前のセリーナが、私と婚約する予定であった事を簡単に話してある。もちろん負担を与えないよう、本人には内緒。使用人達にも固く口止めしている。


 彼女の世話は、王都の屋敷から連れて来たベテランの侍女が、引き続き担当してくれた。セリーナも初めは緊張していたものの、今では打ち解け、仲良くしているようだ。


 私とセリーナは一階の主寝室で眠っている。

 朝、私達が同じ部屋で目覚めるのは、この家ではもう、当たり前になっていた。

 もちろん私は、誰と寝室を共にしても良い立場ではある。わざわざ弁明しなくても、本来の私と彼女は恋人同士だ。


 だが、セリーナを困らせる事は一切していない。

 いや、したくともできない。

 いまだ中身が子供のセリーナ。

 彼女を怯えさせないため、私は父親のように接していた。

 

「あれ? 兄様、もう起きてたの?」


 子供が早起きだというのは、嘘なのかもしれない。

 今日もセリーナはゆっくり目覚め、片手を伸ばしもう片方の手を口に当てて、あくびをしている。そんな姿を見て可愛いらしいと感じるのも、いつものことだ。


「すいぶん遅いが、今日も予定が詰まっている。早く仕度をしないと、朝食の時間がなくなるぞ?」


「……げ」


 ふと、以前のような話し方をする時がある。

 けれど、記憶が戻ったわけでは無さそうだ。

 たぶんこれが、元々の彼女の性格なのだろう。


「歴史やマナーの勉強と、ダンスレッスン。その後にお前の好きな乗馬だ」


「うわ~、また勉強の後か……」


 私は冷静に今日の予定を告げた。

 なるべく感情を挟まないように。

 教えてみてわかった事だが、彼女は乗馬が好きだ。慣れさせるためにわざと馬の世話をさせたことがあるが、彼女はその時の様子をどこかで覚えているのか、最初から馬に馴染んで乗ることができた。


 もしもあの時、リーナが馬車でなく、馬で移動していたなら……

 いや、悔やんでも仕方がない。

 当時乗馬は教えていなかったし、馬でも危険は伴う。




 昼――


 座学はやはり苦手なようだが、ダンスは以前に比べてマシだった。毎日練習したことを、身体が覚えているのだろうか? ……といっても、時々前と同じタイミングでステップを間違え、私の足を踏みそうになる。思わず浮かべた苦笑を、私は咳払いでごまかした。


 昔のように密着しても、彼女は私を意識しない。

 そのせいで、ステップが乱れることはなかった。そのくせ、関係ないところで足を出したり、転びそうになったり。セリーナは相変わらず、詰めが甘い。けれど素直な分、今回の方が上達が早く、期待が持てそうだ。


 ――夜会や舞踏会で何度も一緒に踊ったが、お前はやはり、覚えていないのだろうな。


 胸の痛みに目を細めると、緑色の瞳が心配そうに見つめている。

 不安を与えてはいけないと微笑むものの、先に視線を()らした。彼女の瞳が曇ったように感じたのは、私の気のせいだろうか?


 昼食後にようやく乗馬。

 賢い白馬は彼女を覚えているようで、姿を見ては嬉しそうに(いなな)く。まだセリーナを一人で乗せるのは心もとなく、今日も二人で馬の背に(またが)った。


 海沿いの道をゆっくり進む。

 前に座るお前が、楽しげに笑う。


 ――こんなことなら、もっと早く乗馬を教えれば良かった。あの頃無理にでも時間を作り、お前と一緒に出かけておけば……


 気づけば想いは当時に還る。

 途切れた時間は、元に戻らないと知りながら。


 早いもので、ここに来てからあっという間に一年が経った。

 セリーナの状態は相変わらずで、実年齢は18歳、現在の精神年齢はようやく10歳になったばかりというところか。


 幼い心の彼女はまだ、恋の意味さえ知らない。私は誰にも邪魔されず、世間から離れたこの地で、セリーナと暮らしている。私は彼女を、私に頼り私なしではいられなくなるよう、存分に甘やかして育てるつもりだ。


 けれど、中身は10歳でもセリーナは本来、立派な淑女。いつまでもこのまま、というわけにはいかないだろう。のんきな彼女は焦るそぶりも見せず、今の暮らしに満足しているようだ。


「このままずっと、ここでお兄様と暮らしたい」


 明るく笑う彼女に、元のリーナの片鱗(へんりん)は見られない。私を「兄」と呼び無邪気に慕う彼女は、以前の自分が私と恋仲だったとは、考えたこともないのだろう。


 もう一度あの頃に戻れたら――。

 私は何を差し出しても構わない。

 元のリーナとやり直せるのなら、今度は片時も離れず彼女を幸せにする。


 本音を言えば、かなりつらい。

 私はいつまで、彼女の『兄』でいなくてはならないのか? 

 このままずっと――?

 考えただけで恐ろしく、微かに震える。


 後ろに座っていたことが幸いした。

 頼れるはずの兄の、情けない姿は見せたくないから。

 彼女の心に負担をかけてはならないと、私は知っている。我慢をしていれば、いつかきっと彼女は元に戻るはず。


 不安を無理に押し込めて、手綱を握り直した。

 私は馬を急がせて、古城に向かう。




 夜――


 夕食後に思い思いの時間を過ごした後、同じベッドに入る。

 とはいえ、彼女の精神を脅かす事はできないから、親のように添い寝をするだけ。

 初めは別々に寝ようとしたが、セリーナは夜を怖がった。馬車の事故を思い出すのか、毒殺されかけた事実が頭の隅に残っているのか。


 彼女を落ち着かせるため、抱き締めながら眠った事がきっかけだった。それ以来、私達は毎日一緒に横になる。セリーナは夜中に起きても、私がいると安心するらしい。当然のように身体をすり寄せると、朝までぐっすり眠る。


 時にはやはり苦しくなる。

 まだ子供の彼女は、私の葛藤(かっとう)を知らない。

 抱き着く柔らかな身体を腕に囲う私は、今日も眠れぬ夜を過ごす。


「まったくお前は、人の苦労も知らないで」


 水色の髪をかきあげて、(ひたい)にそっと口づけた。

 再び目を閉じ「今度こそ」と、私は虚しく努力する。


 ところが今日は、勝手が違った。

 セリーナは元いた世界の夢を見てうなされたようで、何度も【お父ちゃん、お父ちゃん!】と涙を流して叫ぶ。その姿は痛々しく、すぐに何とかしてあげたかった。

 私は彼女を抱き締めて、耳元に唇を寄せる。


「大丈夫、心配は要らない。私がずっとお前の側にいる」


 彼女の背中をトントンと優しく叩き、髪を撫でた。

 セリーナはしばらくすると泣き止み、ため息を漏らす。

ところが次のひと言に、私は打ちのめされてしまう。


「ありがとう。お兄様がお父さんだったら良かったのに……」


 どうして平気だと思っていたのか。

 なぜ自分は耐えられると思っていたのか。


 お前は私に、これ以上何を望む?

 離れてしまえば楽になれるだろうか。

 いっそ狂ってしまえたなら、この苦しみからは解放される?


 早く元に戻ってほしい。

 私が正気を保てるうちに、早く!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ