8.採蜜
スカイは布袋に大型本をなんとかしまい込み、一階へ戻った。待っていたバイオレットと神殿を出、帰宅した。バイオレットは家の中へ入っていったが、スカイは軒先に立ち、オオルリミツバチの巣籠をじっと見おろした。
今夜は本当に、「星明かりの夜」になるかもしれない。そしたら、オオルリミツバチは飛びたつだろう。巣内で、すでにたまっている他の花蜜と星明かりの花蜜が混ざってしまったらどうする。それはもう単なる百花蜜であって、しろがね蜜とはいえない。村のみんなはどうでも、自分だけでも採って出荷したい。そうなれば働きづめのアイリーンを連れて街へ出かけたり、ルークにもっといい薬を買ってあげられるだろう。
納屋の戸を開け、中から空の巣籠と壺、燻煙器、牛糞、藁を取りだし、母屋の軒下へ運んだ。燻煙器に牛糞と藁を入れ、火打ち石で火を起こすと、鳥小屋にいるジャッキーがかまってほしくて、ピュイピュイと小さく鳴いた。スカイは種火を燻煙機に入れ、ジャッキーの前で人差し指を立てた。
「シーッ。あとで遊んでやるから、静かにしてろ」
ジャッキーは途端に静かになった。オオルリミツバチはうるさい声が苦手なのだ。
スカイは空の巣籠の開口部を上向きにし、地面に置いた。それからオオルリミツバチがいる方の巣籠に燻煙器で煙を吹きかけ、ゆっくり持ち上げ、空の巣籠に被せた。さらに、それをトントンと叩いた。こうすると蜂が驚いて、下の空の巣籠へと移動するのだ。
「おかえり。採蜜するの」
寝室の窓があき、ルークが顔を出した。
「うん」
「俺にもやらせてよ」
「いいよ」
ルークが家から出てきたので、スカイは上の巣籠をずらし、地面に置いた。下の巣籠にすっかり蜂達は移動していた。スカイはわずかに残る蜂達を追い払い、ルークにナイフを持たせた。ルークは蜂児がいる巣板を残して、蜜が溜まっている巣板を切り落としていった。
「ねえ、ルーク。ルビー・ィェテナって知ってる?」
スカイはオオルリミツバチの入っている巣籠をまじまじと見る。勝手に巣板から離されて、戸惑っているのが分かった。
「え?」
ルークは顔もあげず、切りとった巣板を壺に入れていく。
「ああ、いいや。なんでもない」
「知ってるよ。ルビテナ神の本名だ。彼女がこの村を創造したんだよ。言い伝えだけど」
「へえ……。そうなんだ」
「それがどうした」
「別に」
「はい、終わり。まだ春だから少ないな。しろがね蜜、採るの?」
ルークは巣板を一つ手に取り、蜜量を見て言う。
「うん。今夜、飛ぶかも。おばあちゃんが、蜂達がソワソワしてるって言うから。今日、天気もいいだろ」
そう言って、スカイは布袋から本を取り出した。ルークは空を見上げた。確かに、雲ひとつない空だ。
「はい。これ。あとは俺がやる」
スカイとスカイは、本と壺を交換した。スカイは腕まくりして、巣板をひとつ、手に取った。もうひとつ、別の壺をそばにたぐり寄せ、その上で巣板を両手で叩きわり、握りつぶした。指の隙間から、青い蜂蜜がしたたり落ちた。
「ありがとう。重い本だな」
ルークは地面に座り、本をしげしげと見る。表紙にタイトルはない。
「スペンサーさんに探してもらったんだ」
スカイはさらに手に力を込め、蜜を下の壺の中へと落としこむ。
「へえ」
ルークは革のベルトを外し、表紙を開けた。目を見開いたが、何事もなかったように、軽く咳払いした。
「それでその本、面白いの」
「ああ。……興味深いよ。養蜂のこともっと勉強して、お前のサポートする」
ルークは本を凝視したまま、真面目に言う。
「そのために勉強してるの?」
「そうだよ。俺、体弱いし。だから知識は蓄えておきたい」
「そんなの、おばあちゃんに聞けばいいじゃんか」
ルークはいつも勉強熱心すぎて、勉強が好きではないスカイには理解できない。スカイは巣板をつぶし続ける。
「スカイ、知識はどんどん古くなる。どんどん新しいことを吸収しなきゃならない。今年は採蜜できても、来年はどんな外来生物がくるか。備えは必要だ」
ルークは本を閉じ、スカイと向き直る。スカイは蜂蜜まみれの手から目を離し、上を向く。ルークと目が合った。
「そしたら俺が弓でやっつける」
「一匹、二匹の話じゃないぞ。大群できたら?」
「松明をぶん回す」
「その間にお前が死ぬ」
「じゃあ、どうすんのさ」
スカイはムキになって怒った。ルークは弟の顔を見てほほえみ、咳をした。
「だから、それを勉強するんだ。俺は自然科学者になる。みんなの足手まといになりたくない」
ルークは本の表紙に視線を落とす。スカイは背筋を伸ばし、咳きこむルークの横顔を見る。
「養蜂家の跡継ぎなのに?」
「俺は跡継ぎにはなれない。継ぐのはお前だ」
ルークは憂いに満ちた灰色の瞳を、スカイに向けた。
「おばあちゃんは……孫のなかでも長男に継いでもらいたいって思ってるよ」
スカイは動揺し、声が弱々しくなる。こんな話をルークとするのは初めてだ。
「いや、お前に期待をかけてる。見てれば分かる」
一方、ルークは冷静だ。
「おばあちゃんは、そんなこと言ってない」
「そりゃね。言えないだけだ」
「でも」
「俺の体じゃ、力仕事は無理だ。スカイ、継ぐのはお前だ」
ルークはうつむき、目を伏せた。スカイもそれ以上反発できなかった。スカイが物心ついたときから、ルークはその大半を家の寝室で過ごしてきた。村を出たことすらない。ルークはまた咳きこみ、背中を掻いた。だが、そばを飛んでいるオオルリミツバチを見やるその目は優しい。スカイは唇をかみ、新しい巣板を手に取り、勢いよく握りつぶした。青い蜜が、静かに垂れた。
「分かった。俺が継ぐ」
スカイは蜂蜜まみれの手に目を落としてから、ルークをまっすぐ見る。ルークはほっとして、ほほえむ。それからゆっくり立ちあがり、鳥小屋の前に立つ。近寄ってくるジャッキーの頭を、不器用になでた。
「頼んだよ」
「うん。ルークは将来のこと、心配しなくていいよ。俺が面倒みてやる」
ルークはスカイの方を振りかえる。弟の瞳は真剣そのものだ。その申し出に、言葉が詰まる。
「それに俺、ルークが足手まといなんて思ったこと、一度もない」
ルークは目頭が熱くなり、そっぽを向いた。あえて咳きこむふりをして、こっそり目元を手でぬぐった。
「スカイなら、村一番どころか、世界一の養蜂家になれるよ」
「本当?」
スカイは、素直に嬉しがる。
「うん。しろがね蜜、これからもずっと採るんだろ」
「そうだよ」
「うん。そうしてくれよ。だから、お前が家継いで結婚しても、俺のこと、追い出さないでくれるか」
「追い出すわけないだろ、バカ」
スカイは蜂蜜まみれの手でルークの鼻をこづいた。ルークは涙目のまま笑い、スカイの手からべとべとの蜂蜜を指でぬぐうと、スカイの鼻の穴に突っこんだ。二人は爆笑しながら蜂蜜をなすりつけ合った。
日が暮れて、一家は夕食に鴨肉の丸焼きとスープを囲んだ。肉にがっつきながら、スープの玉ねぎは私がみじん切りにしたんだと、バイオレットが自信満々に言いだした。
「どうしていつも偉そうなんだよ」
スカイは半眼になった。ルークもやれやれと頷く。
「偉そうにしてるんじゃない。誇り高くあろうとしてるの。言ったでしょ。女は、強くなくちゃ生きられないから」
朝にも言ったセリフを繰り返すバイオレットに、スカイはぷーっと吹き出す。
「弓も引けないくせに」
バイオレットは狐につままれたような顔をする。その顔がおかしくて、スカイはますます笑う。
「ふーん。それだけが強さだと思ってんだ」
バイオレットが大人ぶって目を細め、ニヤついた。スカイはイラついて、その三つ編みを引っ張った。するとバイオレットはスカイのすねを蹴飛ばした。派手にきょうだい喧嘩が始まり、アイリーンがゲンコツを落とした。
就寝時刻になり、アイリーンは外で巣籠の様子をうかがうスカイを中へ引き戻した。それからハープを抱え、孫達のベッドの上に座った。上流階級育ちのアイリーンは教養があり、こうやって毎晩、ハープを演奏する。孫らは総出で抱きつき、アイリーンは潰れかかった。
アイリーンは苦しがって笑い、皆をどけた。それから、宮廷音楽家の名曲「グリフィダの騎士」を弾きはじめた。躍動的で気高く、前向きな気持ちになる曲で、スカイの好きな曲だ。次の曲は「遥かなる旅へ」だ。こちらは少しメランコリーな気持ちにさせるイントロで始まり、徐々に心軽くなり、歩きだしたくなるような曲で、これもスカイのお気に入りだ。三人きょうだいは聴いているうちにまぶたが重くなり、やがて眠りに落ちた。アイリーンはそれを満足して見つめ、ハープをかたわらに置くと、はだけた布団を掛けなおした。
アイリーンはキッチンへ行き、翌日の祭りに必要な食材が揃っているか確認した。すると、キャベツを収穫し忘れたことに気づいた。ぶつぶつひとりごとを言い、カンテラを手に荷役用一輪車を引き、畑へ向かった。
それとほぼ同時刻だった。
そこは石づくりの地下室で、同じく石の長テーブルと椅子があるだけの、殺風景な部屋だった。窓はなく、燭台のろうそくの火だけが室内をぼんやりと照らしていた。薄暗がりのなかで、その者達は額を突きあわせていた。
「時間は」
ひときわ体の大きい者が、高圧的な口ぶりで尋ねた。
「合図が届き次第です」
やや体の小さい、ただれた顔をした部下が、表情のない声で答えた。もう一人、体の小さな者がいるが、その者は押し黙っていた。
「了解。血は、すべて搾り取れ」




