60.バタバタバッタ
スカイの矢は、盾にされたオリバーの体をよけて飛翔した。蜂人のイーディスは最初の四本だけは素手で受け取れた。だが、残り二十六本はできなかった。矢はイーディスの耳や肩、六本足、羽を射抜き、その体を地に叩き落とした。イーディスは全身の痛みをこらえ、どうにか立ち上がった。戦闘態勢をとるが、スカイの顔を前にフリーズした。
恐怖しかなかった。目前に立つのは、ただの人間の子どもだ。なのに、たぎる殺意を感じた。
「あのさ、オリバー」
気軽な口調でスカイが尋ねる。オリバーは地面に手と膝をつき、スカイを見上げる。
「俺、やっぱり無理だ。全滅させなきゃ気が済まない」
スカイが無機質に笑うと、オリバーは黙ってそれを見つめる。二人を見て、イーディスは悟った。自分はここで殺される。スカイは静かに目を閉じた。
「ラコロシュテ・プレレクテ・ピカ。レクシア」
光線のような矢が爆速で猛進した。額を貫かれたイーディスはその複眼全体を大きく膨らませる。個眼の一つ一つに、スカイの姿をとらえた。それがイーディスの目に映る、最後の景色だった。
イーディスの体がどさりと地に落ちた。オリバーは這いながら、急いでそこから離れた。
風が吹いた。草原から砂塵が舞い上がり、スカイ達は咳き込んだ。咳き込みながら、スカイはそこに映る何かを見た。白んだ前方の景色に、人の輪郭がぼんやり浮かんだ。華奢な少女が立っている。その背中ごしに、透明な八枚羽が揺れている。
もしかして。スカイは急に怖くなった。切なくもなった。見たくない。でも見たい。スカイは両手で握りこぶしをつくる。そこに立っているのは──。
「人間どもよ」
少女の外見の、蜂人だった。エベスタン兵の頭を噛み砕き、グリフィダ語で問いかけた。
スカイは力が抜けた。違った。バイオレットじゃない。ホッとするのと同時に、再び全身に緊張が走る。少女はバイオレットと同じくらいの年頃に見える。茶髪で青緑色の複眼だ。
まがまがしいオーラに溢れ、本人は自信に満ちた笑みを浮かべている。兵士の頭の肉を、強靭な歯で切り裂く。スカイは、徐々に白骨化してゆくその生首と蜂人を、交互に見つめた。直感で分かる。こいつはさっきの蜂人より強い。この生き物に、自分達は勝てるのか。殺せるのか。その問いかけに、スカイは即答できない。
「我が名はドーラ。この地を治めるためにある」
スカイは弓の弦をぎりぎりと引いた。視界の隅で、ロイがイーヨを弾こうとしているのが見える。ドーラの目がそれをとらえ、目にも止まらぬ速さで骨片を吐いた。骨片が手首に刺さり、ロイは絶叫した。
「ロイ!」
オリバーがロイに駆けつけ、骨片を抜こうとした。だが、なかなか抜けない。ロイは苦痛にもだえた。
「その不思議な音のするもの。臣下から聞いている。我には不要だ」
まるで意に介さない調子でいるドーラを前に、スカイの頭には急に答えが降ってきた。勝てるのか殺せるのか、じゃない。勝って殺すのだ。今すぐ。
スカイは弓を引いた。ドーラは空中でその弓をつかみ、へし折った。スピードはエミリーと同等。いや、それ以上か。レクシアをやるなら……。今の自分の体力だとあと二回、できるかどうかといったところだ。ランダギアなら……。一回、まともにできるかできないかのレベルだ。
スカイは再度、弓を引いた。今度のドーラは体をかがめ、素早く避けた。まるで瞬間移動するかのように、ドーラがスカイの真ん前に現れた。とっさにスカイは体を伏せた。頭上でドーラの腕がナイフのように、地面と平行に弧を描く。スカイの髪がわずかに散った。
「人間は不要だ」
ドーラの無機質な声を受け、スカイは駆け出した。急いで距離をとれ。速く。もっと早く。何かが接近する。背中で感じる。空を斬る。左腕に赤い斜線が入る。血がにじんだ。
スカイは樽をつかんで投げつけた。ドーラが素早くそれを手で払い落とした。ヴンと音を立て、キャンディビーの群れが樽から飛び出す。蜂達は猛り狂い、ドーラの顔面を襲う。ドーラは大口を開け、蜂達を飲み込み始める。スカイはその隙に遠ざかり、距離を取る。息を整え、矢を手に取り、弓に矢をつがえる。頭を振り回している、ドーラの動作の軌道を読む。
「ラコロシュテ・プレレクテ・ピカ。レクシア」
ドーラは、その輝く矢が地面と平行に狂奔するのを見た。自分に向かってまっすぐ飛んでくる。ドーラは顔からほんの二センチ手前のところで矢を掴みとり、こらえた。こめかみに青筋を立て、その矢をへし折った。その途端、息が詰まった。体が苦しい。何かが自分を縛り上げている。半透明の糸が、ドーラの体に巻きついていた。
「どうだ、逃げられないだろ」
すぐそばに迫ったオリバーが、ヌマグチからネバグモの糸を何本も出し、ピンと張っている。スカイはオリバーの細い手を見た。激しく震えている。糸はさらに細い。いつまでもつのか。
その頃、少し離れたところで倒れていたロイは、静かに起き上がった。骨片の刺さった手からは血がどくどく流れ、あまりの痛さに脳がしびれる。なんとか引き抜き、絶叫した。体中から汗が噴き出し、めまいを覚えた。なんとか意識を保ち、丈の長い草ごしに、糸でぐるぐる巻きになっている蜂人と、オリバーが睨み合っているのを見た。
スカイが至近距離まで近づき、何度も矢を放っている。だが、蜂人はすんでのところで矢をよけ続けている。スカイが掴みかかろうとすると、長い後ろ足でスカイの腹を思いきり蹴り飛ばした。スカイは前屈みになってよろけ、また弓を引こうとしている。
ロイは何か武器になるものはないか、あたりを見回した。だが、うっそうと生い茂る草があるだけだ。自分が昨日からさんざ、イーヨを弾き倒したおかげで、草がもりもり生え放題だ。だがその伸び過ぎた草のせいか、蜂人はこちらに気づいていない。
ロイが中腰で移動すると、何かがつま先に当たった。ロイはそれを見た。どこかで見たことがある。スカイの置いた巣籠だ。
ロイはそれをひょいと持ち上げた。すると籠のなかには、何百という細長い虫が群がっていた。
「え……?」
ロイには訳がわからない。オリバーが図鑑で見せてくれた、あのバタバタバッタだ。この間だってスカイがたった一匹捕まえただけだ。でも目の前には──。
ロイはバッタを見た。糸のように細く、すばしっこいバッタ達は、籠を気に入ってるようだ。ロイが手を突っ込んでも逃げようとしない。さらに顔を近づけ、注視する。どうやらバッタ達は籠の素材、ライ麦に興奮してているようだ。
ロイはすぐに理解した。スカイは蜂を捕まえるために置いたんじゃない。バッタのためだったのだ。再び顔を上げ、三者を見た。オリバーが放ったネバグモの糸を、蜂人が今にも引きちぎろうとしている。ロイは乱暴に手を突っ込み、バッタを数匹捕まえた。それから羽をむしり取り、すぐさま飲み込んだ。




