56.旅する理由
女王蜂のドーラは、地中の巣にこもり、食事をとっていた。
自分は女帝陛下の子ども。それもとびきり優秀な女王蜂だ。陛下の考えに百パーセント賛同している。人間はいらない。すべて食べ尽くせばいい。だから、早く食べてみたい。
ドーラには部下が三人にいる。一人だけ蜂人で、残りは蜂だ。蜂人のイーディスはやけに神経質で、人間に気をつけてください、連中を侮ってはいけません、奇妙な音色で動きを封じ込めてきますと、うるさく繰り返す。どうやら羽をへし折られて、しかも再生した羽が小さくて飛びにくくて、機嫌が悪いのだろう。
人間を狩るとき。蜂のまま、本能のまま突っ込んでも意味はない。ただただ力を使うんじゃない。圧倒的な力を使うのだ。
ドーラは蜂蜜にまみれたキャンディビーをほおばり、不敵な笑みを浮かべた。
その頃、スカイ達はヤベスタンを抜け、エベスタン経由で再びゲルニエ連邦のカンチェスタンへと戻った。そこで預かってもらったエボニーを引き取り、再びグリングリン大平原を目指した。
「キャンディローズマリーに近づくとお縄になるとか言ってたね」
エボニーのわきを走りながら、スカイがオリバーの方を見上げる。
「おお。知ったことではないけどな」
オリバーはメガネを指で持ちあげ、馬上からスカイを見下ろす。
「ヤバネのこと、説明すれば分かってくれるかな」
「どうだろうな。ハラパノではまだ一度もヤバネの情報を耳にしない。そこが不気味だ」
オリバーは唇を引き結ぶ。
「ところで気になったんだけど、女王が成虫になるまでもう時間ないよね。グリングリンにいていいの?」
「ああ、俺の計算だと明日がその日だ。グリングリンに待機でいい」
「どうして」
「カミキリンでも、モルグルでも、ここ、カンチェスタンでも住民達に聞いた。どんな蜂蜜よりも、キャンディローズマリーの蜂蜜が最高糖度らしい」
「最高糖度だと何なの」
「本に書いてある通りだ。ヤバネは甘いものに目がない。必ずこの近くに来てるはずだ」
「そんな証拠あるの」
「ない」
オリバーはきっぱり言った。
「だったら、他に移動したほうが良くない? 首都とか」
「なぜ?」
「人がたくさん集まるところだから」
「人が集まるのが、どうして理由になるんだ」
オリバーがきつい声で聞き返すので、スカイは面食らった。
「だって。ゲルニエの人達が大勢、死んじゃう。ヨルシアとおんなじことが起きる」
「そんなの俺たちに関係ない」
オリバーがエボニーの手綱を引き、走るのをとめた。その顔は氷のように冷たい。スカイはロイの方を見た。ロイは目を逸らした。
「じゃあ、なんだよ。蜂が人を食い殺しても、見殺しにするのか」
スカイはオリバーに目を戻し、声を荒げる。
「ある程度は仕方ない」
「俺は絶対にそんなの許さない」
スカイが声を張り上げると、草むらの鳥達が一斉に羽ばたいた。オリバーもロイも黙り込んで、スカイを睨みつける。スカイも睨み返した。オリバーはエボニーから降りると、自分より背の低いスカイを見下ろした。ロイもそれにならった。
「なら、聞くけど。なんでロクレンで、俺だけ助けた」
「え……」
「どうしてマデッサで、ロイだけ助けた」
「それは……」
スカイは口ごもった。確かに他にも、逃げまどう人間達はいた。それも、たくさん。
「世界中の人類を救うつもりでいたのか? たった三人で? バカか、お前は」
「バカじゃない」
「確かにお前の弓はすごい。ロイのイーヨも強力だ。だけど俺は人類を救う勇者になろうなんて思っちゃいない。そんなのは大人達、軍隊がやることだ」
オリバーの顔を太陽が照らした。オリーブグリーンの瞳が白っぽく見え、その姿がルークと重なった。スカイは泣きそうになったが、すぐに涙を引っ込めた。
「じゃあ……。なんでオリバーは、旅に出ようと思ったんだよ」
スカイはオリバーの手首を掴んだ。ひどく冷たく感じられた。
「俺は、俺の生きる場所を守ためにきた。それはルビテナ村だ。俺はもうロクレンに帰れない。だからルビテナのために戦ってる。蜂を全滅させるためじゃない」
「僕も」
ロイが口を挟んだので、ほぼ同時に、スカイもオリバーもロイの方を見る。
「ところでロイ、大丈夫? まだ足、痛い?」
スカイが心配して尋ねる。
「別に」
「他もケガしたとこある?」
「ない」
「熱でもあるの?」
「うるさいな」
スカイはロイに話しかけるのをやめた。オリバーの顔も、見たくなかった。二人とも、なんて。なんて、薄情なんだ。自信がないのか。俺みたいに努力してないからだ。ただ俺の後ろにいて、戦いもしないくせに。単なる臆病者じゃないか。俺はヤバネを全滅させる。なんのために生きてるか。ここにいるか。もちろん、全滅させるためだ。この手で。この弓で。他に理由なんてない。二人もそうなんだと思ってた。思ってたのに。
スカイは大地を駆け出した。グリングリンに向けて駆けているはずなのに、どこに向かっているのか分からなくなった。空は青く明るいはずなのに、次第にその色を失った。それが怖かった。だけど手は空を切り、足は大地を蹴った。そんな自分を傍観するほかなかった。オリバーとロイはエボニーに乗り、スカイの後を追いかけた。
三人は無事、グリングリン大平原に辿り着いた。スカイは膝に手をついて呼吸した。するとロイがエボニーから降りて、黙って「蓬莱」を演奏し始めた。スカイは聞きながら、全身の疲労が溶けてゆくのを感じた。だけど礼は言いたくない。話したくない。口もききたくなかった。
「やっぱりいいな、その曲」
オリバーがロイを振り返る。
「このへんの雑草までもりもり生えてきたけどな」
腰のあたりまで伸びた草を睨み、背の低いロイは不機嫌になる。
ふと、スカイは置いてきた巣籠のことを思い出した。あたりを見回したが、見当たらない。そんなスカイをオリバーが漫然と見やる。
「スカイ。あの籠でキャンディービーを捕まえるつもりだったのか」
「いや、というより──」
「手を挙げろ」
見知らぬ男達がスカイ達を取り囲み、銃口を向けていた。




