48.起死回生
スカイ達が石壁の巣城を登っているのを見ながら、ロイは一心不乱に弾き続けた。が、突然、ガコンという衝撃音をすぐそばで聞いた。イーヨの表板に、りんご大の石がめり込み、二本の弦が切れてひるがえった。
「あー!」
ロイの叫び声を聞きながら前方を見た。そこにはホバリングする蜂人がいた。手に石を持って笑っている。
ロイはとっさに巣城を見上げた。兵士は皆、石壁を登っている。演奏が止まったのに気づいていない。蜂がいっせいに飛びかかった。もうダメだ。ロイは体を伏せ、目をつぶった。
一方、B区画の中央の間では、エミリーが卵のわきで寝転がり、産卵後の母体を休めていた。
「失礼します」
すだれを取りつけた正面の壁穴から、部下達が流れこむ。
「ミナ、ゴクロウ」
そうねぎらったのに、様子がおかしい。皆が護衛に来たかと思いきや、背面の壁穴へ素通りしていく。
「エミリー様も、早くお逃げください」
部隊長の蜂人が言ったのはそれだけだ。なぜだ。自分の護衛はどうした。
正面から、今度はまた別の手が見えた。今度こそ護衛だろうと、エミリーは期待した。
が、穴のふちに手をかけた者を見て、エミリーは目を見張った。違う。羽もない。中足もない。弓を抱えた人間だ。スカイはエミリーのセピア色の髪と瞳を見て、生唾を飲みこんだ。
「お前が女王蜂か」
スカイが息を弾ませ、弓をギリギリと引く。
「ハハハ。マア、ソンナモンダ」
エミリーはイライラした。まだ腹の痛みは消えていない。足にも力が入らないし、立ち上がることはできない。なのにこんな人間のガキを相手しなければならないのか。
一方、スカイも疲労のピークだ。巣穴に入ってから、ずっと弓を引いてきた。さっきは垂直な石壁を、百五十メートルも登ってきた。集中力はかなり落ちている。だが、その数倍、殺意にも燃えている。
「今からお前を殺す」
スカイは矢を弓の弦につがえる。エミリーが微動だにしないことに少しためらう。それでも勢いで矢を放った。エミリーは素早く手を伸ばし、空中で矢をつかみ取った。
「ニンゲンノスピードハ、ソノテイドダッタナ」
エミリーはそう笑って目を細め、爆速で矢を投げ返した。スカイが反応する間もなく、矢はスカイの膝に突き刺さった。
スカイは何が起きたのか、すぐ理解できなかった。焼けるような痛みに勢いよくひざまづき、悲鳴を上げた。
エミリーは残忍な高笑いをした。スカイは歯を食いしばり、膝をついたまま、続けざまに矢を放った。エミリーは手と中足を使い、全部を空中でつかみ取った。
「ヤメテオケ。ソレトモワタシニ、クワレタイカ」
エミリーは這いつくばりながら、少しずつスカイに近づいた。決して速くなかったが、スカイにはかえって不気味に見えた。恐怖に駆られ、何度も弓を引いた。だが、匍匐前進するエミリーの手足がそれらをすべて捉えた。スカイは息を弾ませ、エミリーの顔を見た。口からよだれを垂らしている。数千個の複眼がより膨らみ、大きくなり、一つ一つに自分が映った。
その頃、スカイ達がいるよりも下方の空間では、ロイはまだ目をつぶっていた。
近くで何か鈍い音がした。だが、ロイには何なのか分からない。なぜだ。なぜ、まだ自分は襲われていない。不思議に思って目を開ける。まるで狂った時計の針のように、オリバーが拡声器を振りまわしている。ジャッキーが威嚇し、蜂の目を突いている。円の中心部にいる二人に、蜂達は近づけずにいた。
「みんな! 助けろ!」
オリバーが絶叫した。石壁を登っていた兵士が数人、振りかえった。先頭をゆくスカイやガルシアだけを残し、皆は地上に飛びおりた。
「いくぞ! 天才!」
オリバーが怒鳴りつけた。ロイも慌てて立ち上がり、討伐隊の方へダッシュした。
「ロイのイーヨが破壊された。全体攻撃は無理だ」
「分かった」
兵士達は地上のロイとオリバー、それに壁を登るスカイ達を守りながら、弓を引いた。だが、ジリジリと蜂達に壁へ追い詰められた。
「ロイ!」
拡声器で加勢しながら、オリバーが叫ぶ。
「何だよう」
ロイもイーヨの弓を無茶苦茶に振りまわす。
「アヌミラ人のやつ。イーヨじゃないとだめなのか」
「んなわけあるか。僕は楽器の天才だ」
「じゃあ、これは?」
オリバーが拡声器を振り回す。一体の蜂にぶつかり、羽が破れた。
「これって?」
「これ!」
ロイはオリバーが手にするものを見る。それは拡声器だが、実態はベルエルクの角だ。
「貸して!」
ロイはオリバーからそれをひったくった。先端を咥え、勢いよく息を吹きこんだ。
ゾウの鳴き声にも似た「アヌミラ人の踊り」が轟き、地下空間が鳴動した。さながら角笛となったそれを、ロイは唇の形だけで音を変え、ゆっくり、確実に吹いた。空中で動きを停止した蜂達は、まるで慈雨のごとく、地面に降り注いだ。
「四千四百九十三! すげえぞ、天才」
オリバーは狂喜し、ナイフで蜂に切りつけた。呆気に取られた兵士達も、我に返って射殺し始めた。
ロイ達が挽回している頃、巣城のB区画、中央の間で、スカイはエミリーと対峙していた。
弓が届かない。どうする。どうする。どうやって殺す。頭では必死に考えているのに、何もまとまらなかった。足に根が生えたように感じた。少しずつ。少しずつ。広い部屋だが、エミリーは着々と接近している。思い出せ。思い出せ。そうだ、こんなときこそレクシアだ。だけど今、できるのか。ガルシアの言葉を、必死の思いでたぐり寄せる。
──耳を澄ませろ。すべてが渾然一体となれ。
ガルシアの言葉が、脳内にこだまする。エミリーは五メートルほどのところまできた。
──その息吹、鼓動を我がことのように感じとれ。
スカイは深呼吸する。エミリーはさらに近寄っている。もうあと、四メートルほどだ。
──弓の声を聞け。それだけで、弓が目指す方向に矢を導いてくれる。
スカイは弓の弦をゆっくり引く。エミリーはすでに三メートルの距離だ。そこで口を大きく開けた。歯列の奥に、黒い毒牙が見えた。
「ラコロシュテ・プレレクテ・ピカ。レクシア」
エミリーの前で、激しい閃光が走った。眩しすぎて、何も見えなかった。かと思えば、急に息が詰まった。額に何かが刺さっている。何だろう、これは。重い。痛い。だが、その正体はエミリーには分からなかった。分からないまま視界が奪われ、やがて目を閉じた。
絶命したエミリーを、スカイは見下ろした。膝の痛みが復活し、床に倒れた。
「おお。殺ったのか」穴を抜け、ガルシアが入ってきた。「卵がある。みんな、やったぞ! スカイが女王を殺ったぞ!」
ガルシアが叫び、後ろから登ってくる兵達も歓声を上げた。ガルシアは豪快に笑いながら、部屋から卵を投げ落とした。一つがすいかほどもある卵は、ボタボタと地に落ちていった。
オリバーは、そばに落ちてきたそれらを凝視した。卵の色は、うすねず色だった。
「最後に、巣の全体を見回りしてくる。その卵を全部、焼き殺してくれ」
ガルシアが壁穴から、オリバー達へ叫んだ。
一方、巣城の中央にあるアグネスの部屋では、二十匹の蜂と十人の蜂人がアグネスを囲んでいた。
「申し訳ありません。陛下。人間がやってきます。大至急、脱出します」
イザベラがひざまづき、アグネスを見上げた。
「エミリーはどうした」
バイオレットが聞くと、イザベラは歯ぎしりしながらうつむいた。
「エミリー様は戦死しました」
それを聞いて、バイオレットは無表情で頷いた。
「まあ、あのエミリーが? でもなぜ逃げる必要があるの。迎え撃てばいいでしょう?」
アグネスが言い返す。
「ですが……。奴ら、奇妙な楽器を鳴らして、それを近くで聞いたものは皆、全身麻痺してしまい……。我が軍は残り五十匹足らず……。策が見つかりません」
「おだまり! 言い訳は無用。私が始末してくれるわ!」
「ああ、陛下、なりません。そのお体では」
フラフラと足元のおぼつかないアグネスを、他の蜂人が支えた。
「お放し! 赤子達はどうするの。明日には生まれるわよ!」
「一時退避場所の用意がございます。そこまで、どうか我々にお任せを」
イザベラと他の部下達は、部屋の奥にあるベッドを急いでずらした。そこに現れた壁の穴をまず、一人の蜂人が飛び抜けた。イザベラがアグネスを、他の蜂人達が卵をそれぞれ抱え、穴の中を飛んだ。最後にバイオレットが背中の羽を広げ、穴に入ろうとしたときだった。袖から一輪、花が落ちた。バイオレットは乱暴にすべて放り捨てると、穴の中へ飛び込んだ。
ほんのわずかの差だった。壁穴に手を伸ばし、女帝の部屋に入り込んだ兵士達は、弓を構えて室内を見回した。六角形の部屋で、ベッドと、長テーブルと肘掛け椅子があるだけの、簡素な部屋だ。一人の兵士が床を見ると、白い花が落ちていた。しおれたブリリアント・プリベットだった。
その晩のことだった。ナッシュビルは喪に服していたが、蜂を滅殺したこと、巣と卵を焼き払ったこと、奇跡的に犠牲者が出なかったことに驚嘆した。心から喜び、村人達に蜂蜜酒を振る舞った。村の女達はご馳走を作り、討伐兵をねぎらった。誰もが涙を流し、誰かれ構わず抱き合い、嗚咽した。泣きながら「ルビテナ讃歌」を合唱した。
「女王蜂を殺したのは誰なんだ?」
宴席で、村人の一人が大声で聞いた。
「もちろん。ここにいる勇敢な少年だ」
ガルシアは、足に包帯を巻いたスカイの手首を取り、天に向けた。それを見て、皆はスカイの名を呼び讃え、一斉に万歳した。




