46.人間の証明
神殿のなかで、皆が死んだバーバラを囲む頃、スカイとオリバー、ロイは玄関の庇の下に立っていた。雨は少し、弱くなっていた。
「僕、ネムレタス、みてくる」
ロイが言うと、二人は頷いた。ロイは窓の庇の下に立ち、枯れかけたネムレタスを見て、イーヨを小さな音で奏でた。スカイとオリバーはそれをぼんやりと見た。
「孵化まであと二十八時間だ」
「もう時間がないね」
「ああ。あのさ、スカイ。変なこと聞いていいか」
「うん」
「兄さんが蜂人だって知ったとき、どう思った」
オリバーが慎重に尋ねると、ロイが一瞬こちらを見た。スカイは無表情になり、しばらく黙り込んだ。雨風がさっと吹き、木々の葉を揺らした。
「そうなんだ、って思った」スカイは揺れる葉を見ながら、弓の弦をもてあそんだ。「ショックだった。全然、そんなふうに見えなかった」
「そうか」オリバーは小さく相槌を打った。「妹はこのこと、知ってたのか」
「……どうだろ。あいつは頭いいし、知ってたのかも」
「なあ、もしだぞ。妹も蜂人だったら、どうする」
オリバーの問いかけに、スカイは再び黙り込んだ。ロイは離れたところで演奏しながら、スカイをそれとなく観察した。雨風がまた強まり、木々はいっそう強く揺れた。
「ビビは、俺の妹だ」
スカイは弓を握りしめた。ビビが蜂人なんて信じられない。だけど……。ビビは雨のなかを飛び出し、帰ってこない。スカイは自信がなかった。現実に兄がそうだった。記憶にないが、父もそうだったらしい。なら自分や妹がそうであっても不思議はない。ただ、自分だけは絶対に違う。兄と妹は父似らしいが、自分だけが母方の祖父似だと聞いた。
「今までと同じように暮らす」
スカイは声をしぼり出した。
「妹が逆の考えだったら? 蜂人と一緒に暮らそうって言ってきたら、どうする」
「なんでそんな……」
「たとえ話だ」
スカイはオリバーの目を見た。その緑の瞳はより一層深くなり、わずかに震えた。
腹が立った。オリバーはそんなに俺が信じられないのか。俺は化け物か。
この一ヶ月で、スカイにとってロイとオリバーはかけがえのない存在になりつつあった。それだけに、スカイは傷ついた。だけど傷ついても、そんな目を見たら、傷ついたままでいられない。オリバーは俺のことが怖いんだ。だけど必死で耐えてる。ああ、そうなんだろう。だけど俺だって怖い。
ふと、ビビと過ごした日々が、目の前に浮かんだ。一緒に養蜂場を駆け回り、瑠璃蜜をほおばったこと。ライ麦パンをどっちが沢山食べられるか、競争したこと。ルビテナ讃歌を歌いながら通学したこと。大好きなアイリーンを奪い合い、一緒に眠ったこと。すべての情景が幸福に満ち、芸術品のように美しい。美しいそれらが寄りあつまり、一枚のステンドグラスを形成すると、そこに小さな亀裂が入った。
「暮らさないって、言う」
スカイの黒い瞳が闇に沈むのを、オリバーは見た。さらに、ロイと顔を見合わせた。静かにスカイの肩を抱くと、神殿に入った。
雨は降り続いた。ヤバネスズメバチの居城で、バイオレットは女帝蜂の部屋にいた。
「時計がないから正確な時間が分からないけど。多分、明日孵るわ」
「はい。それまで控えております」
「卵から出てきたら、すぐに喉を噛むのよ。毒液はほんの少しだけ。一瞬でも対応が遅れたら私もあなたも命がないわ。分かるわね」
「はい」
「肉団子の準備はできてるの」
「はい。雨があがってから、参ります」
「あなたが指揮を取るの?」
「いえ。部下です。私は寝具の替えを取ってまいります」
バイオレットはお辞儀した。
女帝の部屋を出て、地下空間をゆっくり飛んだ。寝具類を置いた部屋に入り、誰もいないのを確認すると、バイオレットは静かに羽をたたんだ。
これでもう、スカイとは本当にお別れだ。自分とルークは蜂人だ。互いに正体は知っていた。そして人間のアイリーンに至っては、見て見ぬふりをしていた。猟奇的なことを極端に嫌がり、本人にとって一番「まとも」なスカイが弓を引くのを嫌がったのもきっとそれが原因だ。気が触れてしまったのも、もう心が限界だったのだろうと、バイオレットは察した。スカイ以外の三人はこの事実を暗黙の了解で口を閉ざした。それくらい、家族が大切だった。
バイオレットは袖から取り出した小さな花束を握りしめた。スカイが摘んできたらしく、葉の色がバイオレットの目と同じ黄緑だよと言ってた花だ。持ち歩いているうちに、しおれてしまった。
正確にいえば、スカイも蜂人だ。だけど劣性種だから、人間とほぼ変わらない。平凡な人間の男の子で、明るく素直で純真で、バイオレットより二歳年上なのに十歳くらい歳下に見えた。
ルークは優性種で、人間や蜂人を食べるのが好きなタイプだけど、病弱だった。多くの蜂人がそうであるように。そしてその愚かさが遺書に表れている。本人は蜂人であることを恥じていた。蜂人なのに、蜂人を否定していた。
だけど自分は違う。人間や蜂人に食欲は湧かないが、屠殺欲はある。蜂人であることが誇らしい。何よりも生命力に満ち、生物界の頂点に立つ存在、それが蜂人だ。人間の前ではおとなしい十歳の少女のふりをしてきたが、蜂人の十歳は成人だ。とっくに羽と中足は生えてたし、それを隠す術も覚えた。
もう窮屈な思いをしなくていい。大空を飛び回ることも、ときに暴力的になることも、隠さなくていい。解放してくれたのはアグネスだ。だからこの命尽きるまで、アグネスに忠誠を誓う。
バイオレットは替えのシーツを手に取り、女帝の部屋へ戻った。
しばらくして、雨がやんだ。空から雨雲がしりぞき、わずかに陽光が輝いた。イーディス達は少ない部下を連れ、村の入口近くまで飛んだ。
「今の人口はたったの百人強だ。三十分で終わらせよう」
イーディスが鼻で笑った。
「だな。よし、枯れてる」
アイリスが入口近くの民家前で、枯れたネムレタスを指さした。
一行はスピードを上げ、神殿に向かって飛んだ。ところが、急にイーディスが落下した。
「おい、どうした」
アイリスが声をかけると、今度は部下の蜂達が続けざまに落ちた。
アイリスは訳が分からず着陸し、イーディスを抱え起こそうとした。が、急激な眠気を覚えた。まぶたが重たくなるのを必死でこらえ、せばまる視界でピンクの植物を見た。頭上で、つんざくような鳥の鳴き声を聞いた。
「まずい、退却だ。伝達係は先に戻れ。お前はイーディスを運べ」
アイリスはイーディスを部下の蜂にゆだね、きた道を急いだ。まるで滝のように、蜂の一団が次々に落下した。背中に矢が刺さっているのを見て、アイリスはすぐさま後ろを振り返った。エボニーに乗ったスカイが弓を構えていた。他にも弓を持った人間達が接近してくる。
「放て!」
ガルシアが号令をかけると、スカイ達は一斉に弓を放った。
「くそ……」
がむしゃらに飛び、なんとか距離をとると、アイリスの眠気は失せた。それから急いで周りを見渡した。二十匹いた部下は、先をいった伝達係と、隣でイーディスを運ぶ蜂だけになってしまった。その蜂も後頭部を矢で射抜かれ、飛び方が不安定だ。
「急げ。追いつかれるぞ」
アイリスはその蜂をせかした。
「やはり、そういうことか。連中の巣は山のなかだ」
ガルシアはルビテナ山をまっすぐ指さした。
その頃、神殿の礼拝室では、村人達が祭壇の周りに身を寄せ合っていた。戻ってきたスカイが玄関を開けると、ナッシュビルが顔をこわばらせ、つかつかと歩み寄ってきた。
「なぜだ。卵が孵るのは明日じゃなかったのか」
「わからないけど……。あれは孵った奴らじゃないと思う」
「なぜそう思う」
「体の色だよ」
「色?」
「確かに。孵化したての蜂はもっと白っぽくて、透明感があるんです」
サムが補足すると、スカイは重々しく頷いた。
「数は前よりずっと少なかった。だけど俺らが殺した。これから、応援がくるかも」
「我々はどうすれば」
ナッシュビルが聞いたタイミングで、再び玄関の扉が開いた。
「これから討伐に出るぞ。ガルシアさんが村の入口で作戦会議を開いている。ここは私がみているから、スカイ、合流してくれ」
そう言ったのはルイスだ。
「うん」
「待て、スカイ」ナッシュビルがスカイの前に仁王立ちした。「お前の妹が、おそらくこの奇襲に関わってる」
部屋を重い沈黙が支配した。だが、ナッシュビルは容赦なく続けた。
「妹を殺せ。お前がもし、裏切るようなことをすれば。……アイリーンを殺す」
ナッシュビルは本気だ。全身から熱がほとばしっている。だけどそれを見れば見るほど、スカイの頭は冷えた。怒りは、微塵もなかった。
「人間を殺さんとする者を、俺は殺す」
スカイが低い声で告げた。その形容しがたい雰囲気に呑まれ、ナッシュビルも村人も息を飲んだ。そこへ、アイリーンがすたすたと前に進み出た。顔には無垢な少女のような笑みを浮かべている。
「みんな怖い顔、しないの。ねえ、私、前にも言ったでしょ。巣の場所を知ってるって」
「おばあちゃん、今は、ちょっと……」
「スカイ。その弓と同じ素材の木よ。連れってくれたら、教えてあげる」
スカイは目を見開いた。それから黙ってナッシュビルに頭を下げ、アイリーンと神殿を出た。ロイとオリバーも続いた。スカイは厩舎の前に立ち寄り、アイリーンとともにエボニーに乗った。
「おい、僕達も乗せろよ」
「四人は無理だ。走れ」
「えー」
エボニーで駆け出すスカイ達の後ろを、ロイとオリバーはしゃかりきに走りまくった。




