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全滅まであと何日  作者: taki
第二章〜ヨルシア大陸編〜
44/79

44.複眼

 それから数日間、イーディスとアイリス、それに部下の蜂人達は夜明け前に起き、村のネムレタスに海水を散布した。日に日にしおれていくレタスに、村の農家達は首を傾げた。

「ネムレタスの調子がまた悪いな」

「病気か? まいったな」

「なんだか変なんだよ。水やりする前に、土がいつも湿ってるし」


 五月九日の夕方、ようやくスカイ達がルビテナ村へ戻った。神殿の前に馬車を停めると、ナッシュビルとガルシアが駆けつけた。他の村人達もパラパラと集まった。

「よく、無事に戻ったな」

 ナッシュビルがそわそわして、オリバーに目配せする。

「イエテナ男爵、あれはどうだったんだ」

 馬車から降りたオリバーが小声で尋ねると、ナッシュビルは親指を立てる。

「大丈夫だ。”人を脅かすそれ”はいなかった」

「よかった。俺らはロイのイーヨを拡声する道具を手に入れたよ」

「ほう」

 ガルシアが興味深そうにしたので、オリバーはイーヨの効果と、ベルエルクの角について説明する。

「じゃあ、例の翻訳作業を再開するから。来い」

 そう言うと、ナッシュビルはオリバーの手を引き、校舎へ入っていった。


「おい、ロイ、起きろ。ついたぞ」

 スカイは後部座席に倒れ込むロイを揺さぶる。ロイはイーヨの演奏に力を出しきり、起きあがれない。

「もう少し寝かせて。先、行ってて」

 ロイが目を閉じたまま言うので、スカイは馬車から降りた。

「みんなは元気だった? ヤバネは出た? 変わったことはなかった?」

 スカイは心配して尋ねる。

「全員無事だ。蜂も出てない」

 ガルシアが答えると、農家の一人が前に進みでる。

「ちょっとな。ネムレタスの調子が悪くて」

 スカイは馬車の方を振りかえる。ロイは再び寝てしまったらしい。

「明日、ロイとみてみるよ」


 研究室に入ったオリバーは、ナッシュビルとともに例の羊皮紙を見ていた。炙りだされた古代グリフィダ語のルビテナ讃歌と、ナッシュビルが別紙に書き出した現代語を見比べ、頭を傾げた。

「農家達が二番の歌詞をもとに『対抗薬』をつくったんだ。だが、一番と三番の歌詞は無視でいいのか」

 ナッシュビルが差し出した薬瓶を見て、オリバーも頷いた。

「一番と三番も、きっと何か意味はあるはずだ。もう少し調べてみよう」


 その晩のことだった。巣穴から飛び出た大公は、上空から村の様子を伺った。鮮明には見えないが、ネムレタスは、ピンク色だった葉を茶色に変色させ、すっかり枯れていた。計画は成功だ。あとはしろがね蜜の匂いさえなければ、安全に侵攻できる。大公は振り返り、巣に戻った。


 翌朝は、少し空が曇っていた。スカイが神殿から出て、おそらく最後になるであろう訓練に向かおうとしたときだった。神殿のそばの茂みに、何者かの気配を感じた。

 スカイは周りの兵士に目配せをして、弓の弦をぎりぎりと引いた。タイミングを伺っていると、ふいに顔を出したのは少女だった。

「え……」

 スカイはそれを見て、我が目を疑った。その少女を、スカイはよく知っている。

「スカイ……」

 言いたいことは、百個はあった。だけどその全部が、まるで雪の壁みたいに砕け散って、溶けてしまった。どうしたらいいか分からず、口をパクパクさせた。

「ビビ……」

 そこにいたのは他でもない、妹のバイオレットだった。


 奇跡だった。この一ヶ月というもの、スカイはずっと信じていた。ずっと願っていた。きっと生きてる。帰ってくると。その、ビビが。妹が。帰ってきた。帰ってきたんだ。

「どこ行ってたんだよ」

 スカイの声は、かすれて裏返る。それからバイオレットが息ができなくなるほど、両腕できつく抱きしめる。ガルシアや、そばにいた村人達も、いっせいに二人を取りかこむ。

「ほかの町へ、逃げてたの」

 バイオレットも、スカイを抱きかえした。


 その後は、中年女性の声がけで、バイオレットのために黒りんごのパイを焼くことになった。出来あがりを待つ間、スカイはバイオレットがいない間のことを話して聞かせた。ルークの死に取り乱すかと思いきや、十歳の少女とは思えないほど、冷静だった。

「そうだったんだね……」

 バイオレットはそう言いながら、あちこちを見まわす。

「うん。これが遺書だよ」

 スカイはルークの遺書を見せる。バイオレットは涙一つ流さず、それを一息に読む。

「そうだ。新しい仲間が増えたんだ。ちょっと待ってて」

 スカイはオリバーとロイを探しに、校舎へ向かった。


 バイオレットがその場で立ちつくくしていると、村の若い女性が声をかけた。

「私達はしろがね蜜に救われたの」

 女性はほほえんだが、バイオレットは顔をこわばらせる。そのせいで、反応が遅れた。

「へ、へえ。今年も獲れたんだね」

「多分、今はもらえないわよ。瓶があと三つしかないから、ああやっていつも、バーバラ様が肌身離さず持ってるの」

 女性が、ナッシュビルの隣にいるバーバラを指さす。バーバラは不機嫌な顔で編みかごを抱え、突ったっている。バイオレットはかごの中を見ようとしたが、よく見えない。

「さあ、焼けたわ。どうせだから、なかで座って食べましょう」

 中年女性に誘導され、皆は神殿の中に入る。女性がパイをテーブルに置くと、ナッシュビルがやってきた。

「やあ、美味そうだな」

 そう言った時、テーブルの上から布巾が落ちた。ナッシュビルが拾おうとしゃがみ込んだとき、ふと見あげた。テーブルの反対側にバイオレットの顔がある。ナッシュビルは凍りついた。パイを見おろす黄緑の目は、蜂の複眼だった。


 恐怖に駆られ、ナッシュビルは喉がカラカラになった。叫びたいのに叫べない。どうしたものか。悩む時間が、永遠のように感じられた。おい、なぜ、誰も気づかない。見ろ。娘は下を向いている。あの目は絶対におかしい。一瞬、バイオレットと目が合った。ナッシュビルはとっさに目をつぶった。


 ナッシュビルは床に落ちた布巾を見つめる。心臓が早鐘を打つ。布巾を握りしめる間、バイオレットは村人と話している。ナッシュビルは顔を上げられない。だが、ずっとこうしているわけにもいかない。布巾を片手にそろそろと立ちあがり、おそるおそるバイオレットを見た。蜂の複眼は、再び人間の目に戻っていた。切り分けられたパイを食べ、皆と笑いあう姿は、ごく普通の少女そのものだった。


 どうする。すぐにガルシアに言うか。だが、ガルシアは少女と親しげに笑いあっている。では、オリバーはどうか。あたりを見まわすも、オリバーの姿がない。そのとき、ルイスの姿が目に映った。移住者のルイスは気後れして、皆がバイオレットを取りかこむのを、遠巻きに見ている。ナッシュビルは喧騒にまぎれ、ルイスにゆっくり近づいた。

「蜂人がいる」

 ナッシュビルが小声で言うと、ルイスは身を固くした。

「誰だ」

「あの娘だ」

 ナッシュビルは両手を握りしめ、バイオレットを顎でしゃくった。


 一方、オリバーは研究室で、例の羊皮紙を見ていた。炙りだされた古代グリフィダ語のルビテナ讃歌と、ナッシュビルが別紙に書き出した現代語を見比べ、頭を傾げた。二番の歌詞、「サイラスの刻」というのがどうにも引っかかった。人名なのは分かるが、何か時間帯を示すものではないか。


 時計職人の共通認識として、地域によってそれぞれ一日の時間帯を特別な名前で呼び分ける地域がある。それを季節ごとに分ける場合もあるし、月の満ち欠けに合わせて分ける地域もある。ルビテナにもそのような特殊な方言があるのではないか。もっぱら、国内に時計職人自体が少ないし、職人同士で会うことも少ないから、その手の知識に乏しい。だが、以前、父と一緒に遠くの街へ出かけたとき、そこの職人がそんな話をしていたのを覚えている。


 オリバーはぼんやりしながら、古代グリフィダ文字の本を手にとった。最初にこの部屋で見つけたものだ。ナッシュビルのおかげで随分、古代グリフィダ文字を読めるようになっていた。

「”ヤバネスズメバチの女王は通常、スイカほどの大きさの、薄茶色の卵を一度に百から二千個ほど産卵する。だが、女王が老齢だったり、体調が悪かったりすると、他の雌蜂が代わって産卵する場合もある”か。なかなか絶滅しないわけだな」


 オリバーが思考している頃、神殿の礼拝室では、ナッシュビルとルイスが額を突きあわせていた。

「ここじゃ人が多すぎる。それに……スカイの妹なんだろう」

「そうだ」

「ああ。彼の兄もまた蜂人だった。ならば彼も蜂人なのでは?」

 ナッシュビルはそこで、イエスともノーとも言えない。ルイスが肩にかけていた弓を手に持ち替えるのを、息を荒げながら見る。

「それは……これまでの彼のおこないを見るに……」

 そのとき、幼い女の子がバイオレットの手を引き、階段下を指さした。

「ねえ、絵本、読んで」

「いいよ」

 バイオレットは頷く。

「よしときなさい。バイオレットは疲れてるのよ」

 幼女の母親がたしなめる。バイオレットはあたりを見まわし、バーバラに目をとめた。誰とも話さず、不機嫌な顔のまま椅子に座り、暇をもてあましている。バイオレットはしずしずと歩き、お辞儀をした。

「ナッシュビル夫人。絵本の朗読をお願いできますか」

「絵本ですって?」

 バーバラは怪訝な顔をした。

「ええ。夫人の朗読が素晴らしいと、前に祖母から聞きました」

「ああ……。なら、別にいいわよ」

 バイオレットと母子、それにバーバラは、階段を降りていった。他の村人も何人かそれに続いた。ナッシュビルは階段まで歩き、手すりに寄りかかりながら、階下の様子を見おろした。

「彼女が一人になるまで、待とう。それまで作戦会議だ」

 ナッシュビルの言葉に、ルイスは頷いた。

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