40.ルビテナ讃歌
スカイ達がデメロスの森へ着く、七日前のことだった。
モルディニアとラストビアの国境付近では、ヤバネスズメバチの大公率いる別動隊が飛行していた。大公の側近であり長髪の蜂人、イーディスと、短髪の蜂人、アイリスは、先頭を飛ぶ大公を見ながら、お互い顔を見合わせていた。
「大公は早々に城から出されてしまったが、大丈夫なのか」
イーディスが問いかける。
「何をだ」
アイリスが不思議がる。
「出産だよ。まだお若い。早すぎないか」
「そうだな。たくさん食べて、大きくなっていただかないとな」
一方、ルビテナ村の学校の研究室では、ナッシュビルが例の羊皮紙の翻訳を続けていた。訳文を書き写す作業をサムに手伝わせながら、考えごとを始めた。
今日はもう四月二十五日だ。本当にヤバネスズメバチの卵は五月十一日に孵るのか。情報はただ一つ、ルークという少年のダイイングメッセージだけだ。その卵が産みつけられたかどうか、自分はこの目で見てない。見てないものは信じられない。が、ルークが蜂人だったこと、蜂人なのに蜂人に殺されたことを考えると、十中八九、Xデーは来る。
「”召使いが言い、倒れた。蛇に咬まれたと。我はあの剣を用いた。それは効果を発揮した。彼女は取り戻した、意識を。我は思っている、彼女に申し訳ないと” 剣を用いる、ってなんなんでしょうか」
サムの質問に、ナッシュビルは我に返った。
「ああ。よく分からんが、剣というは物理的なものではないのだろう。何かもっと抽象的な……」
「チュウショウ?」
ナッシュビルはため息をつく。サムからは聡明さが感じられない。だが、あのロクレンから来たというオリバーはどうだ。賢く冷静で探究心があり、とても頼もしい。スカイと、マデッサから来たという少年とまた出かけていってしまったが、いつ帰るのか。
彼らは領民、それもまだ子どもだというのに、いつからか自分は彼らの力を頼りにしている。彼らは自分にできることを必死でやっている。一方、自分は領主であり、成熟した大人だ。先祖代々伝わるこの領地を、守れるのは誰か。自分をおいてほかにない。ナッシュビルは気持ちを奮いたたせ、羊皮紙と向かいあった。
「こんなところにいた」
ナッシュビルは顔を上げた。戸口に立っているのは妻のバーバラだ。手にした燭台の明かりに照らされ、その顔は怒りに満ちている。
「ああ、バーバラ。これが撃退方──」
「いい加減になさい」
バーバラがぴしゃりと言うと、ナッシュビルはまつ毛をしばたく。
「そんなことより、国王陛下にお願いして、もう一度作業人夫をよこしてもらうのが筋です」
「確かに。だが、今は国中が──」
「では、あの献上したしろがね蜜はなんだったのです? あれ一瓶で馬車が買えるのに」
バーバラに詰め寄られ、ナッシュビルは顎をひく。
「だが、バーバラ。人夫はみな去ってしまった。我々にできることはこの資料からヤバネの習性を把握し──」
ナッシュビルが言い終わらないうちに、バーバラが羊皮紙の束をひったくる。
「おい、何をする」
「こうするのよ!」
バーバラは羊皮紙を、燭台の火の上に放った。
「やめろ」
「こんな生活、もううんざり。今日から屋敷に帰らせてもらいます!」
バーバラはズカズカと部屋を出ていった。ナッシュビルとサムは羊皮紙をバンバン踏みつけ、消火に奮闘した。そのとき、サムが目を見張った。
「あっ」
一部燃えた紙を、サムは素早くつかみとる。何も書かれていないまっさらな紙に、茶色くぼやけた文字が浮かびあがった。
その後、サムはまっさらな紙を三枚とも、慎重に炙った。次々に炙りだされる古代グリフィダ文字を、ナッシュビルが読みあげた。
「”蓮華……平原……風……通過……北方へ存在する山岳……。空を貫通する……天……直立……ずっと打ちつづけろ……平和的な金属……。感嘆符……端正……ルビー・イエテナ……”直訳はこんな感じだ」
どこかで聞いたことがある単語の並びだ。だけど思い出せない。サムは炙りだしを終え、首を傾げる。
「”平和的な金属”とは何でしょう」
質問の途中で、サムは物音に気づいた。外で誰かが歌っている。アイリーンだ。アイリーンの陽気な歌声にナッシュビルはうんざりしたが、サムはそれに合わせて口ずさむ。
「蓮華の畑に春風吹き抜け〜北に臨むは、アカラ山脈〜」
「ん?」
ナッシュビルは目を見開き、サムの顔を見る。サムは構わず続ける。
「空をも貫き天までそびゆる〜永遠に鳴らすは、平穏の鐘〜」
「鐘。平穏の鐘。平和的な金属とは、平穏の鐘のことか」
ナッシュビルはサムから羽ペンをひったくり、紙に書きだした。すべて書き終え、震えながら羊皮紙をつかんだ。
「これは『ルビテナ讃歌』……か」
サムとナッシュビルは顔を見あわせた。
やがて日が暮れた。ヤバネスズメバチの別動隊は、ラストビアの森林で休息していた。
「大公は人間の肉団子がお嫌いだ。蜂人のくせに変わっているな」
イーディスはアイリスの前でぐちった。
「だな。陛下はあんなに肉団子がお好きなのに」
「陛下とは嗜好が違うのだ。だからミツバチ探しとなるわけだが、この辺には食いごたえのあるのがいない」
「待て。いい匂いがするぞ」
アイリスが森の外を指さす。
「ああ、だがよく見えない。朝になったら探索部隊を派遣しよう」
翌朝も、ナッシュビルとサムは研究室にこもった。
「一番の歌詞は、村そのものを謳っているようだ。まさに、『村をたたえる歌』だ」
「ですね。二番の歌詞は、『巡っておくれ』とあるので、何かを探してほしいような」
サムは二枚目の羊皮紙を手にとる。
「そして三番。村を巣立つ若者の心情を歌っているようだ。……それで」
「はい」
「これのどこに、ヤバネ撃退法が記されていると?」
「他の人にも聞いてみませんか」
サムはそう言って、研究室を出た。
「村の歌がヤバネ撃退法を記したヒントだってのか」
サムに連れてこられたガルシアは、腕を組みながら首を傾げる。一緒についてきたルイスや他の村人も訳文を見つめる。
「二番の歌詞。この、『サイラスの刻』ってのは何だ」
ルイスが尋ねると、サムが頑張って頭をひねる。
「そういう渡り鳥とかがくる季節かも」
「うむ。刻、というくらいだ。何か季節の変わり目を伝えるものだと私も思うが…。とにかく、『にがきアロエから青菜の花まで巡っておくれ』とある。青菜はともかく、村にアロエが生えてる場所はあったか」
ナッシュビルも顎に手をあて、考えをめぐらす。
「ベイカーさんが店で育ててました。つくったパンで胃もたれしたとき、アロエを食べるんだって。苦いけどスッキリするって」
若い女性がパン屋のベイカーのことを持ちだして言うも、ナッシュビルは首を横に振る。
「こんな古文書にある時代から生えてる場所だ」
「そうだな。もともとアロエという植物は、もっと南方のものだろう」
ガルシアも指摘した。
「ヨルシア原産のアロエというものはないのか。小さな村だ。探してみてはどうか」
ルイスの提案に、皆は賛成した。
一行は校舎から出て、村をめぐった。だが、空き地や野原、林を見回っても、アロエが生えている場所は見当たらなかった。が、夕方になって、サムがビシッと指をさした。
「ねえ。あれ、アロエじゃないの」
そこは村の南東部に位置する、小さな一軒家のそばの茂みだ。
「おお。本当だ」
ナッシュビルが駆け寄って、その肉厚な葉を手にとった。
「だが、そこはモーガン先生の自宅だ。あの物好きな先生のことだ、自分で植えたんじゃねえのか」
「そうかな。先生の家は塀がないから、どこまで庭なのかよくわかんないし。これは勝手に生えてたやつなんじゃ──」
サムが苦しまぎれに言うが、皆は微妙な表情をする。
「歌詞どおりだと、その位置から青菜が生えてるところまでを巡れ、とある。青菜はどこだ」
ナッシュビルはあたりをキョロキョロ見回す。
「青菜と一言で言ってもな。色々あるんだ。ほうれん草なのか、キャベツなのか」
農家が唇を突き出して言う。
「ほうれん草は今はもうどこにもないよ。キャベツならアイリーンが育てていたよ」
年配の女性が言うと、ガルシアが眉を垂れ、ため息をつく。
「モーガン先生のアロエも、アイリーンのキャベツも、古文書に書かれる前から存在していたか?」
「それもそうだ……」
皆は肩を落とした。
「もう一度、その訳文を見せてくれないか」
ルイスが尋ねると、訳文を書いた紙をナッシュビルが手渡す。
「この、『夏陽』というのは? 夏でないと意味がないということはないか」
「だが、それを言ったらそこで青菜、という言葉が出てくるのも変だ。夏に採れる青菜はほぼ無い」
農家が言いかえす。
「よく分からんが、『豊穣の坩堝』とある。何かを溶かすべきと言っているのだろう」
ナッシュビルは訳文を指で辿ってみせる。
「じゃあ、このアロエとキャベツを溶けるまで煮込んでみたらどうだろうか」
ルイスが言うと、皆はぎこちなく、バラバラに頷いた。
「やってみよう」
同じ頃、ラストビアの森林で探索部隊の報告を受け、イーディスとアイリスは顔を見あわせた。
「ルビテナの人間が近くにいたと…?」
「モルディニアの方らしいぞ。匂いで分かるんだろ。あいつら、しろがね蜜のくっせえ匂い、するもんな」
「何のために」
「分からんが、陛下を危険にさらすわけにはいかん。奴らをマークさせよう」
「了解」




