39.ホーンランドの巨鹿
一面ピンク色のレンゲ畑では、オオルリミツバチがブンブンと飛びまわり、花蜜を集めていた。
「実験だ。いくぞ」
ロイは畑の前に立ち、イーヨを構えた。スカイが見ていると、ロイは立って演奏しやすいよう、イーヨのストラップを自作したようだ。それを首にかけ、楽器の弦に弓をあてがい、その手をゆっくり引いた。
ロイは『アヌミラ人の踊り』を弾き始めた。何やら怪しげな、ミステリアスな曲調で、スカイはちょっとだけ鳥肌が立った。その鳥肌が立つのとほぼ同じタイミングだった。オオルリミツバチは動きをとめ、バタバタと地に落ちた。
「おい。何すんだ」
スカイがロイの肩を揺さぶるも、ロイは弾くのをやめない。
「やめろ。殺すな」
「殺してない。これは蜂を金縛りにさせる曲」
ロイは得意になって笑い、キリのいいところで弾くのをやめた。それから恐る恐る、倒れている蜂の羽をそっとなでる。蜂が怖がって暴れ、ロイはすぐに手を引っこめた。
「本当だ。生きてる。すごいや、ヤバネにも使えるんだよね?」
スカイはほっとして、ロイの手を握りしめる。ロイはその手を振りはらい、せきばらいする。
「まあな、僕は天才だし。これでヤバネが飛んできても、まとめて振り落とせる。ただ……」
ロイは口をへの字に曲げ、腕を組む。
「何?」
「遠くの蜂には効いてないな」
ロイがちらりとオリバーを見てから、レンゲ畑を指さす。確かに離れたところにいる個体群は、変わらず飛びまわっている。
ロイは再びイーヨを構え、今度は曲を逆から弾いた。すると、倒れている蜂達が、足を徐々にばたつかせた。それから羽を広げ、皆、元気に飛びはじめた。
「なるほどな」一部始終を見ていたオリバーが頷く。「音を遠くまで届けられればいいってことか」
スカイとロイ、オリバーの三人は再び馬車に乗りこみ、村を発った。
「今度はどこ?」
運転するオリバーにスカイが尋ねる。
「ホーンランド。地の果てさ」
「そこまで行かないと無理なの」
「俺が知る限りではな」
オリバーはルーシーの懐中時計を懐から取りだす。暗い表情になり、深く息を吐く。
「ヤバネの卵が孵化するまであと三百九十時間」
「もう三百? 最初、九百とか言ってたよな」
ロイが素っ頓狂な声を上げる。
「つまり、あと十六日だ。なのに、巣が見つからない。しろがね蜜も残りわずか。ネムレタスも種がないから増やせそうにない。だから、戦うしかない」
「うん」
スカイは唇を引きむすぶ。
「ロイがヤバネの体の自由を奪ってくれれば、弓使いは楽だ。弓が引けない俺でも殺せる。その効果を最大限に生かすために、ベルエルクの角が必要なんだ」
「ベルエルクって?」
「鹿だ」
「何だ、鹿か」
鹿ならルビテナ村で仕留めたことがある。スカイは胸をなでおろした。
三人を乗せた馬車はグリフィダ王国を出て、モルディニア共和国を北上した。四日後には北方の国、ラストビア王国へ入国した。気温が下がり、残雪が見えてきたので馬車を止めた。馬に馬着を着せ、三人はスピリトーゴ男爵にもらった毛皮のコートを着た。そのとき、スカイは通行人と目が合った。怖くなって、慌てて目をそらした。ここはアヌミラ人の住む国だ。
「もしかして、そのへん歩いてる人も、金縛りの術を使うの」
「そうじゃねえよ。伯父様がそういうインスピレーションを得ただけだよ」
ロイが声を立てて笑う。
「どんな」
「アヌミラ人は強くて有名だ。戦闘前に踊る。敵はそれを見ただけでフリーズして、降参するんだ」
ロイの説明でスカイは納得する。
「意外と本当に、その術は生きてるのかもな。見ろよ。この国のりんご畑」
オリバーが指さす方を見ると、畑にりんごの木が立ち並び、赤いりんごがたわわに実っていた。
三人はラストビアを抜け、ホーンランドに入国した。北へ向かう街道は上り坂になり、民家が減り、生える木々も樹高の高いマツやトウヒだらけになった。空を雲が覆い、雪がちらつき、吐く息が白くなった。出発から七日目の朝、ようやくヨルシア大陸最北端の森、デメロスの森についた。
雪化粧をした森は、とてつもなく静かだった。そばに凍った湖があり、厚い氷の下に魚影が見えた。
「これがデメロスの森? 昔読んだ絵本に出てきたよ」
スカイが腕をさすりながら、白い息を吐く。
「僕も読んだ。悪魔、デメロスのすみかだろ。出会ったが最後、魂を吸い取られるんだ」
ロイはへっぴり腰のまま震え、スカイにしがみつく。スカイはそうされて、逆に自信満々になる。
「悪魔がいるのは絵本の中だけ。俺らは鹿の角を取ればいいんだ」
「ああ……。とにかく頑張れ」
オリバーの意味深な言い方に、スカイの自信が急激にしぼんでいく。
「何……」
「成獣の体長は十メートル。体重十二トン。筒状の角は根元から先端に向かって末広がりになり、毎年生え変わる。その長さは雌雄ともに十メートル」
「何それ。またヨルシア大陸最大の……?」
スカイのから笑いを、オリバーは真顔で受け止める。
「世界最大の鹿だ」
全員、緊張して森へ入った。
「その鹿はどこ」
スカイは弓を握りしめ、先頭をいくオリバーに尋ねる。
「本によると、高いところが好きみたいなんだ。ほら、あそこに丘があるだろ。だいたいああいう見晴らしのきくところを寝ぐらにしてるらしい」
「してるらしい、じゃないよ」ロイが泣きそうな声で言う。「してる、よ」
オリバーは丘を上りながら、ロイに小声で尋ねる。
「地獄耳のシティボーイに聞く。何頭だ?」
「うん……でっかいのが六頭。すごくでっかいのが四頭。ウルトラバカでかいのが一頭」
「全部で十一頭か」
オリバーは冷静に計算する。
「肉食なの?」
スカイが尋ねると、ロイがこづいた。
「肉食の鹿なんか、いるわけねーだろ」
「食われそうになったらロイを置いて逃げるか」
オリバーが軽口を叩くと、ズシンと大地が揺れた。三人があたりを見回すも、何もいない。代わりに、見慣れない樹木が四本、目の前に立っている。
「何の木だ」
「さあ、モミとは違うようだな。まるで南方の植物みたいだ。この樹皮は……」
解説しながらオリバーが見上げると、そこでフリーズした。他の二人も同様だ。木のてっぺんには葉っぱのついた枝の代わりに、胴体と首、それに細長い草食動物の顔、てっぺんにはラッパのような筒形の角が二本、生えている。
「ベルエルクだ!」
三人は発狂し、回れ右した。
森を駆けて駆けて、駆けぬけた。息も絶え絶え、三人は馬車を止めた湖の手前まで舞いもどった。スカイは膝に手をつきながら呼吸を整え、森を振りかえる。
「ねえ、本当にあんなのの角が欲しいの」
「欲しい。見ただろ。素晴らしい造形美だ」
オリバーは狂気じみた笑い方をする。
「あんなもん、振りまわせるのは巨人だけだよ」
「いや、振りまわすんじゃなくて──」
オリバーが説明しかけたところ、再び大地が揺れた。三人がとっさに振り向くと、樹高と大差ない雄のベルエルクが森から出てきて、こちらの様子を伺っている。ロイは腰が抜けて、その場にへたり込んだ。
「でた。ウルトラバカでかいやつ」
「でも……。ねえ、俺達を襲う気はないみたい」
スカイはベルエルクの目を見る。その焦茶色の瞳は琥珀のように光り、曇りがない。
「ねえ、ロイ」
「んだよ」
ロイは失禁寸前だ。
「聞いてみて、ベルエルクに。その角、もらえないかって」
「ぼ、ぼ、僕が?」
「これは地獄耳の仕事だな」
オリバーはこの状況に慣れ、眠そうな声で言う。
「やだよ。怖え」
「ロイ」スカイはロイの肩に手をあて、ガルシアの言葉を思い出した。「ほんの少しの勇気でいいんだ」
ロイはビクビクして、ベルエルクに近づいた。するとベルエルクはロイの前で足を曲げ、ドスンとしゃがみ込んだ。その振動に馬車馬がいなないた。ベルエルクはロイの立つ前に鼻を寄せ、匂いを嗅いだ。ロイは恐る恐る、人差し指だけで、その大きな鼻に触れた。ベルエルクが抵抗しないので、ロイはギュイー、ギュイーと低い声を出した。するとベルエルクもギュイー、ギュイー、と鳴き返した。ロイは目を閉じ、こめかみに汗を垂らし、何度も頷いた。
「私はこの森を守る定めがある。お前達に狩られるわけにはいかない。去れ、だって」
ロイが震えて通訳すると、スカイはベルエルクの瞳をまっすぐ見る。ベルエルクも見つめ返す。
「でも、どうしてもその角が欲しい。生え替わりのときに、抜け落ちたものでもいいから、分けてもらえないかって。ねえ、死んだやつの角でもいいんだろ、オリバー」
「ああ」
オリバーが頷く。
「分かった」
ロイはそう言うと、再びベルエルクに声を発した。するとベルエルクはゆっくり立ちあがった。
「ついてこい、って」
三人はベルエルクについていった。ベルエルクはゆっくり森を闊歩するが、三人は追いつくため必死で走った。森はどんどん深くなり、ほぼ陽の当たらないところまできた。そこはすり鉢状の地形になっており、大きな骨や角がたくさん積まれていた。
「大漁だ。で、持ってっていいって?」
オリバーが確認すると、ロイは再びベルエルクに触れ、話しかける。
「我が先祖の角、由々しきことには使うな、だって」
「分かった」
スカイもオリバーも、まっすぐベルエルクの目を見た。ベルエルクはしばらく見つめかえした後、群れを率いて立ち去った。
「よし。持ち帰ろう」
「こんなにデカいの、馬車に乗らないよ」
「大丈夫。ほら」
オリバーはヌマグチを取り出すと、スルスルと長い角を収納してみせた。
「ご覧の通りだ。さあ帰ろう」




