35.モルディニア共和国
オリバーは有無を言わせずスカイとロイを馬車に乗せ、ルビテナ村を発った。前回の馬車と違って幌はなく、車両も小型だ。それを慣れた手つきで操縦するオリバーの隣に座り、ロイは感心して眺めた。それから、後ろを振りかえった。スカイは弓とルークの遺書を握りしめ、ぼんやりしていた。その背後を楽しそうに、ジャッキーとミケールが飛びながらついてきた。ロイは軽くせきばらいした。
「僕、今朝、瑠璃蜜ってのを、村の人にもらって食べたんだ。ご当地名物だな。見た目はエビの卵みたいな色しててキモいけど、結構イケる」
「俺も初めて食べた」
オリバーが答える。
「僕がマデッサ出身って言ったら、そんなハイカラなとこから来たのか、シティボーイだなってみんな、目を白黒させてさ、ハハハ。マデッサは世界中の人とモノがゆきかう大都会、メガシティだからね。ルビテナはクソがつくほどド田舎だし、みんな格好もダサいけどまあ、親切だし。悪くないんじゃん?」
ロイが気取って笑うも、二人とも無反応だ。それが面白くなくて、ロイはオリバーを細い目で睨む。
「それで、どこ向かってんのさ」
「キングロータスの沼」
「モルディニアか。僕の嫌いな国だ。それに、まだ洗濯中だったのに」
「ハイカラなシティボーイでも洗濯なんかするんだな」
オリバーはロイを見向きもせず、白けた調子で言う。
「僕、別に貴族とかじゃないし」
ロイは腕組みして頬をふくらます。
「洗濯を手伝うとかお前もまあ、親切だし。悪くないんじゃん?」
「うるせえな」
「ところでエーヨ、ちゃんと持ってきたか」
「エーヨじゃねーよ、イーヨだよ」
「どうでもいい」
「それより、道中危険だからってこれ持たされたんだけど」
ロイが怒ってネムレタスを取り出すも、スカイは上の空だ。代わりにオリバーがレタスをいちべつする。
「ネムレタス。ヨルシア大陸原産の小型レタス。結球時の直径およそ十センチ、三百グラムほどになる。葉色は淡い紫紅色で、三月から五月にかけて収穫時期を迎える。ハチ目の昆虫類には催眠作用がある」
「何だその、図鑑見たまんまみたいなコメントは」
「図鑑見たまんまだ。そこの本。二百三十七ページ」
オリバーが御者台の後ろを指さした。ロイは不可解な顔して、そこに置いてある「ヨルシア動植物大全」を手に取った。それからパラパラとページをめくり、二百三十七ページを開いた。
「ファッ!?」
そこにはまんま、オリバーが言った通りの文言が書かれており、ロイは目を白黒させる。
「俺。一回見たら忘れないから」
「ファッ!?」
「それで、ロイ。そのネムレタスのことで、俺らに隠してることがあるんじゃないのか」
「ファ……いや、別に……」
ロイは口ごもり、スカイの方を振りかえった。スカイは変わらず、空を見あげていた。
新緑あふれるアカラ山脈を抜け、一行は国土を東へ向けて走った。途中で休憩した町や村で、スカイは肖像画を見せ、バイオレットを見かけなかったかと尋ねた。が、誰もが首を横に振った。そうこうしながら、国境の町にたどり着いた。通行許可証を見せて三人はヨルシア大陸最大の国家、モルディニア共和国へ入国した。
暖かい海流に囲まれたグリフィダ王国と違い、内陸にあるモルディニア共和国は気温が低く、スカイは身震いした。立ち並ぶ民家や商家はグリフィダとそう大差なかった。だが、そこをゆきかう人々はグリフィダ人よりも全体的に背が高く、かつ温かそうな民族衣装をまとい、知らない言葉をかわしていた。馬車の馬も、スカイ達の馬と違い、毛がたっぷりでモサモサした馬種だらけだった。オリバーが宿屋を見つけてなかに入ると、スカイは心配になって尋ねた。
「ねえ、俺、外国なんて初めてなんだけど。お金とか大丈夫なの? あと、モルディニア語は?」
「大丈夫、イエテナ男爵にもらってきた。モルディニア語も任せろ」
オリバーが請け負う。
「ねえ。じゃあ、これに書いてくれるか」
スカイは持ってきた羊皮紙と羽ペン、それにインク壺をオリバーに手渡す。
「なんて?」
「『妹を探しています。バイオレット・フォークナー、十歳です』って」
スカイが言うと、ロイが苦笑いする。
「さすがにこんな遠くまでは逃げてきてないんじゃ……」
オリバーはロイを手で制し、黙ってモルディニア語で書いた。
「ありがとう。ねえ、あれはなんて書いてあるの?」
スカイは羊皮紙を受けとり、客室の壁の貼り紙を指さす。
「ああ、それは……、『お姉さんを呼びたい人はフロントまでご用命ください』と書いてある」
オリバーが無味乾燥した口調で答えた。
「お姉さんって?」
「スカイ、お前にはまだ早い。もう寝ろ」
オリバーは面倒くさくなり、布団をかぶった。きょとんとするスカイを、ロイがくすくす笑い、その頭を後ろからはたいた。
朝になり、馬車でさらに東へ向かった。途中の村や町で食事したり、保存食を買いこんだ。その間も、ロイは話を振ったが、反応したのはオリバーだけだった。スカイはあちこちで、肖像画とオリバーが書いてくれたメモを掲げた。そうやってバイオレットを探すとき以外、ほぼ口をきかなかった。それから毛織物屋を見つけ、温かそうなエンジ色の羽織りを手に取った。
「そんな女っぽいの、買うのか」
ロイがからかうと、スカイは無表情で頷く。
「うん。おばあちゃんに」
二日目の宿に落ち着く手前、馬車の後ろを飛ぶジャッキーが急にピイイと鳴いた。さらにミケールもニャーニャー鳴きだした。ロイは空を見上げた。西日に照らされ、赤く染まった山の稜線上に、何か丸くて黒いものが浮かんで見える。それは徐々に大きくなり、近づいてきた。
「ラファドール!」
ロイが叫ぶと、ラファドールと呼ばれたハネコが高度を下げ、飛んできた。ミケールよりもずんぐりして体格がよく、真っ白の長毛をたっぷり生やしている。その身をロイの腕のなかにうまく収めたラファドールは、羽をたたみ、ニャムニャムと低く鳴いた。ロイは背中を撫でて、同じようにニャムニャム言い返した。まるで言葉が通じているかのような光景に、オリバーもスカイも目を見張った。
「あのさ。帰りに伯父様のところに、寄ってもいい?」
ロイが頬をボリボリかく。
「伯父さん?」
オリバーが身を乗り出す。
「うん。グリフィダとの国境近くにも看板、あっただろ。ツェルビア公国っていう小国にいるんだ」
「いいよ」
今度はスカイが即答した。
ルビテナ村を発ってから三日目の朝だった。三人は早い時間に出て馬車に乗り、草木が鬱蒼と生いしげる湿原に入った。道のぬかるみが酷くなり、三人は馬車から降りて、徒歩に切り替えた。背丈の高い草をわきによけながら歩き、ようやくキンングロータスの沼へ辿り着いた。この沼はヨルシア大陸最大の湖沼にして、世界最大の蓮、「キングロータス」が生育している。その葉は直径二メートルにもなり、湖面を覆い尽くしていた。
「この蓮を持ち帰るの?」
スカイが静かに尋ねると、オリバーが首を横に振った。それから真剣な表情になり、まっすぐスカイの目を見た。
「獲物はヨルシアヌマガエルだ。気をつけろ。うっかりすると丸飲みされる」




