32.ポアロン族の弓術
夜がふけた頃、神殿の礼拝室でスカイは目を覚ました。そばでアイリーンがぶつぶつひとりごとを言っている。今のアイリーンは少女のように純真で無垢で、とても臆病だ。なるべく刺激しないよう、ランタンに灯りをともし、弓を持って外へ出た。
戸外は星一つ出ておらず、柔らかい風が頬を撫でた。今日も蜂はいない。油断はできないが、一人になるとほっとした。スカイはランタンの灯りを頼りに、ルークが埋葬された丘へ向かった。墓の前にランタンを置き、そこに座ると、遺書を改めて読み直した。
『おばあちゃん、先立つ不幸をお許しください。なぜ、お母さんは蜂人のお父さんなんかと結婚したんだろう。なぜ、俺にだけその血が遺伝したんだろう。もうじき背中に羽が生えそうだし、腹から足が生えてきそうなんだ。みんなを襲ってしまう前に、命を絶ちます。
スカイ、俺は生まれてから今日まで、ずっと蜂人だった。スカイの右手の小指、曲がり方が変だろ。それって俺が昔、食べちゃったからなんだ。赤ん坊のお前は大泣きして、俺はお母さんとおばあちゃんに怒られて、物置に閉じ込められた。もう二度としないって誓ったけど、俺にはずっと、人間を食べたい欲求があった。我慢できないときは、庭に出て虫を死ぬほど食べた。その後、スカイの指は生えてきたけど、まっすぐ生えてこなかったな。本当にごめん。
同じ両親に生まれたのに、まともに生きてるスカイがねたましかった。俺はテイオウワシが怖いし、暗い所が怖いし、ネムレタスもしろがね蜜も大嫌いだ。コクジョウムカデの神経毒をスペンサーさんに渡されたときは、生きた心地がしなかった。
スペンサーさん、あなたは俺のことを怖がってるけど、俺はスペンサーさんのこと、尊敬してるよ。信じてほしかったんだ。けど、無理だよね。
俺は今日死ぬ。やっと解放される。もう自分を否定しなくて済む。だからみんな、喜んで。俺は蜂人が全滅することを願ってる。スカイ、勇敢な弟を、俺は誇りに思う。スカイが世界一の養蜂家になる瞬間をこの目で見られないこと、ビビに最後に一目、会えなかったことが残念だよ。おばあちゃん、ビビが戻ってきたら、黒りんごのパイ、焼いてあげて。みんな、今まで俺なんかと生きてくれてありがとう。死んでも忘れない。さよなら。ルーク』
スカイは遺書を綺麗に折りたたみ、右手の小指を見つめた。指は確かによく曲げられない。それでも弓を引けるし、スプーンも持てるし、逆立ちだってできる。
おそらくルークは死の直前、ヤバネスズメバチの卵が孵化するのを知った。血文字で書き残してまで伝えたかったのだ。きっと嘘はない。蜂人全滅を願うルークの意思と符合すると村人達に伝えると、誰もそれ以上追及しなかった。
ふと空を見あげた。星がただ一つ、瞬いていた。だが、目の奥から湧きあがるそれが、みるみるうちに星の輪郭をぼかしてしまい、よく見えなかった。
数時間後、太陽が空を焼き、朝がおとずれた。オリバーは野菜農家とともに校舎前へ集合した。
「卵の孵化まで残り二十九日だ。それまでネムレタスをもっと栽培しよう」
「おや? 調子よさそうだな」
農家がネムレタスの葉ぶりを見て言うも、オリバーは首を傾げる。
「うーん? 昨日見たときは、もっと枯れてたのに」
一方、ガルシアはスカイと兵士達を集め、訓練を始めた。
「昨日一日、貴様らの射撃を見せてもらった。今後は練習をレベル別に分ける。上級レベル対象者はスカイ。それとルイスだけだ。他の者は今まで通り、丸太の射撃訓練をしていてくれ」
ガルシアが弓場を指さすと、他の九人はそれぞれ丸太の的の前に立ち、弓を引いた。スカイの隣に立つルイスは、ガルシアを静かに見あげた。
「どのような訓練を?」
「ついてこい」
ルビテナ村の南端には、崖下に続く長い階段がある。崖下は海になっていて、引き潮のときだけ小さな浜が現れる。その浜を塩生植物が覆いつくしていて、海風にその葉を揺らしていた。
三人は各々弓を持ち、その浜に辿り着いた。ガルシアは丸太と杭でできた的を二つ、砂浜に深く突きさし、固定した。
「今の時間はまあまあだが、夕方になるとなかなかにいい風が吹く。ここで射撃をやってみろ」
ガルシアは大岩の上に座りこみ、二人が弓を引くのを監督した。
まだ朝で、ガルシア曰く「いい風」ではない時間帯であるものの、海風はかなり強くかった。防風林のおかげで、村にいるとさほど気にならないが、ルビテナはメドリア海に突きでた岬だ。スカイは頑張って弓を引いたが、横っ風にあおられ、矢は思わぬ方向へ飛んでいった。
スカイとルイスはひたすらに弓を引きつづけた。だが、相変わらず海風は容赦なかった。引いても引いても矢はどこかへ飛んでいくし、たまにかすっても的の端だった。いつもなら真ん中へビシッと吸い込まれていくのに、そうならないのがスカイには不満だった。ルイスもそれは同じようで、ことごとく外していた。
「風があると、うまく引けない、できないと思うだろう。だが実際にはそうではない。本人の精神的未熟さによるものだ」
ガルシアは二人の前に出て弓を構え、弦を引き絞る。まるで水から飛び出した魚のように、矢はバタつきながら飛ぶ。それでもビシッと的の真ん中を射る。
「強風時の矢飛びを見て、お前らは不安になっている。だが矢筋から外れていなければ、大した問題ではない。西から風が吹けば東に寄る。東から吹けば西に寄る。ただそれだけだ。そしてお前らが持っている弓は、ルビテナメープルでできてる。硬さとしなやかさ、素直さを併せもつ特級品だ。これくらいの風に耐えられるだけの強度は、充分ある」
そう言って、ガルシアはもう一本、矢を放った。突然の横っ風に煽られたものの、的内には刺さった。
「風にも呼吸がある。永遠に吹く風はない。突風、強風、弱風、無風のタイミングを見極め、躊躇なく射る。見極める材料は様々だ。雲の流れ。風の音。今立っている場所から的までの、植物の葉のたなびき。それらを瞬時に整理し、判断する」
風が静まった。ガルシアはためらわず矢を放ち、的を射た。
やがて潮が満ちてきた。砂浜はどんどん目減りし、靴が海水に浸かった。的も海風にあおられ、ガタガタと揺れた。
「そんくらいならまだ、立ってられるな。風もなかなかいい感じになってきたぞ。続けろ」
ガルシアは唸り声を上げる風に向かって笑う。スカイとルイスはより緊張しながら、矢を放つ。風にあおられ、二人の矢は海の藻屑となって消えた。
「おい、矢を無駄にすんな。的に当てろ」
ガルシアからの厳しい声が飛ぶなか、二人は必死で弓を引き続けた。風はいっそう強まり、海の水位は高くなっていく。
「弱い弓を引いてるからそうなる。それじゃあ、まだまだだな。『レクシア』までは」
「レクシアって?」
風に負けないよう、大声でスカイが尋ねる。
「俺の生まれ故郷、ポアロン族の言葉でな。『直射』という意味だ」
ガルシアはそう言って、スカイの弓を受けとり、矢を放つ。いつものロングボウではなく、スカイの短弓でも、ガルシアはまっすぐ、勢いよく的の真ん中を射抜く。
「すごい」
ルイスが思わずつぶやく。
「今のはまあ、普通に射た場合だ」
ガルシアはもう一本、矢を取り出し、深呼吸する。
「ラコロシュテ・プレレクテ・ピカ。レクシア」
ガルシアが何ごとかつぶやく。その直後、目にも止まらぬ速さで矢が飛んだ。瞬きするよりずっと前に、矢は的の中心を射抜いた。
「すげえ」
ルイスは驚嘆して震えた。
「え? 何、今の」
スカイも今更瞬きを繰り返し、ガルシアに詰め寄った。
「『ラコロシュテ・プレレクテ・ピカ』。俺達ポアロンの言葉で、耳を澄ませろ、という意味だ。ポアロンは人間と自然とを分けない。すべてが渾然一体となり、その息吹、鼓動を我がことのように感じとることから始める。それができたら、弓の声を聞け。それだけで、弓が目指す方向に矢を導いてくれる」
ガルシアの笑い方は、いつも以上に勇猛で、堂々としていた。
水位が腰の近くまできた頃、ガルシアが両手を振った。
「今日のところは、ここまで。村に帰るぞ」
それから三日間、スカイとルイスは同じ訓練をさせられた。普段の筋力トレーニングに加え、崖下の弓矢訓練はハードで、スカイは毎日クタクタだったが、弱音は吐かなかった。そして自分に誓った。蜂の卵が孵る前に、必ず仇を取る。ルークのために。自分のために。スカイは弓を握りしめた。
「ラコロシュテ・プレレクテ・ピカ」
心なしか、弓が輝いたように見えた。スカイは硬い椅子の上で毛布に包まり、目を閉じた。
同じ頃、オリバーは日に日に肥えていくネムレタスを、不思議がって見ていた。
「これって、こんなに成長が早いものなのか」
農家に尋ねても、農家はうーんと唸る。
「モーガン先生じゃないから、よく分からん」
「ネムレタスの生態をもっと調べる方法はないか」
「ああ、そういうことなら」通りかかったサムが神殿を指さした。「図書館はどうだろう」




