30.一匹残らず
ルビテナ村の空き地には、数十ものテントが張られていた。
村の家屋が再建されるまでの間、作業人夫がそこで寝泊まりをする。人夫達は肩を叩いたり首を回したりしながら、持ち場から帰ってきた。サムは他の村人達とともに人夫達をねぎらい、ライ麦パンを切り分けたり、チーズを配った。
「おお、ありがとうな、サム」
「今夜は冷えるな。神殿に行って、火をもらってくるといいよ」
サムが言うと、若い人夫が手をあげた。
「俺がもらってくる」
人夫は夕闇のなか、神殿へ向かった。正面玄関に近づくと、そこに立つエミリーと目が合った。人夫が言葉を発する前に、エミリーが人夫の頭をすぐさま食いちぎった。エミリーは咀嚼しながら、中にいるルークとアイリーンに笑いかけ、ゆっくりと玄関をくぐった。
ルークはエミリーの存在にわなないた。セピア色の髪と、同じくセピア色の瞳をしていて、姿形は人間の女だ。が、こいつは人間を食っている。蜂人だ。ルークは持っていた包丁をそっと握りなおし、静かに後ずさりした。アイリーンも壁づたいに玄関から離れ、床にへたりこんだ。
「シンカンノスペンサー。ヤットシマツデキタ」
エミリーは片方だけ口角を上げ、くすくす笑った。それから、スペンサーの亡骸のそばにしゃがみ込んだ。袖口から飛びだしていた小瓶に気づき、それを拾い上げ、じっと見た。それはコクジョウムカデの神経毒だ。エミリーは俊速で真後ろに投げた。小瓶は庭の石畳に当たって砕け、黒い液体が飛び散った。
「ば、化け物。出ておいき」
アイリーンが怒鳴った。だが、声は声にならず、小さなうめき声となった。エミリーはゆっくりアイリーンを見やり、再びルークを見た。
「スペンサーモ、トシヨリモ、クサイ。デモ、オマエダケ、クサクナイ」
エミリーが言った途端、ルークの全身が脈打った。ついに来た。ルークは目が痛くて、開けていられなくなった。背中と脇腹が焼けるように熱い。血管が膨張と収縮を繰り返す。ひざまづき、うめきながら踏んばると、エミリーはあくびして見下ろす。
「ワレワレノ、トケイヲカエセ」
「時計は……もうない」
ルークは背中を丸めて痛みに耐え、かろうじて答えた。が、すぐに痛みの頂点に到達した。背中と脇腹の肉が音を立てて裂け、血が噴きだす。八枚の羽と一対の中足がメキメキと生えた。アイリーンは変貌する孫の様子に目を見開き、わなわなと震えた。
「ドコヘヤッタ」
ルークが全身汗だくになり、痛みにこらえて黙していると、エミリーは急に背筋を伸ばした。両手を握りしめると突然、眼球をむき出し、蜂の複眼になった。素早く羽と中足を生やし、蜂人の姿になった。
「ドウホウヨ。シンジツヲイエ。トケイハドコダ」
同胞だと。笑わせる。ルークは息も絶え絶えに、笑ってみせる。
「虫ごときが、時計とか笑える」
「コタエロ」
「海にすてた」
ルークは息を切らしてエミリーを見つめる。エミリーもまた、ルークを見返す。その透き通った灰色の瞳に、小さな自分自身の姿がいくつも映るさまを見た。
「ナゼオマエハ、ワタシヲミテ、ヨダレヲタラス」
四つん這いのルークは、エミリーを見上げ、肩で息をする。生えてきたばかりの羽と中足のせいで、体は強烈に痛む。だが奇妙なことに、心だけは高揚する。死期は近いというのに、俺の体は蜂人としての成熟を望んだらしい。なぜよだれを垂らすかって? 俺が食いたいのは、人間だけじゃない。
「ああ……。ああ……」
アイリーンは、あまりの恐怖に身動き一つとれない。が、向かい合う両者はそれに構わず、睨みあいを続ける。
「ソンナニワタシガ、ウマソウカ」
エミリーの笑う顔を見て、ルークはよだれをぬぐい、そばの長椅子を見る。そこには自分の荷物があり、肖像画のキャンバスが見える。肖像画のなかの家族は、そろってほほえんでいる。
「ああ。美味そうだよ。俺の弟と同じくらい」
「ソレハケッサクダ」
「俺は画家なんだ。人間に育てられて、お前らの世界を知らない。蜂人の話を聞かせてくれないか。絵を描いてから死にたい」
ルークがキャンバスに近づき、それを見せると、エミリーは不敵に笑った。
「イイトモ」
エミリーは嬉々として話しはじめた。ルークはその醜い笑顔を見て、耳を傾けていたが、同時に他のことも考えた。エミリーの頭は良くない。だが体格といい、スピードといい、戦闘力は格上だ。戦ったら確実に死ぬ。だが、それでいい。急に痛みが薄れ、気分が良くなった。ルークはキャンバスを裏返した。それから自分の喉に人差し指をあて、ぬぐったその血で文字を書きはじめた。
その頃、テント場では作業人夫達がサムを手伝いながら、震えていた。
「寒い。あいつ、遅いな」
今度は別の人夫が、神殿へ歩いていった。
村から十数キロ離れたところで、スカイ達を乗せた馬車はアカラ山脈の南端、ルビテナ山へと進入した。スカイはふと見上げた。木々の陰ごしに見える夜空は厚い雲で覆われ、何も見えなかった。
「フクロウが、鳴いてる」
急にロイが口を開く。スカイはロイの方を見た。表情は暗いが、少しは落ち着いたようだ。
「うん。ルビテナ山には五種類のフクロウがいる。人間顔負けのハンターなんだ」
スカイが言うと、今度はオリバーが頷いた。
「森が豊かな証拠だ」
「うん。フクロウのほかにも動物がたくさんいるし、秋には美味しいキノコも採れる。もうじきレンゲの咲く時期で──」
「スカイの家族は?」
馬車に揺られながら、オリバーは話を変えた。
「おばあちゃんと、兄と、妹がいる。でも、妹は行方不明だ」
話すのが辛かった。ビビのことを思うと自然と涙が溜まる。だけど、つい先ほど両親を惨殺されたロイがいる。自分ばかり可哀想がるのは違う。スカイは頑張って涙を引っ込め、首をブンブン横に振った。
「きっと上手く逃げられたんだよ。生きてるさ」
そう励ましてくれたのは、ロイだった。
一方、ルビテナ神殿のなかでは、エミリーが話すのをやめ、立ち上がった。
「カケタノカ」
中足を組みながら、エミリーがルークのそばへ歩み寄り、猟奇的な笑みを向けた。
「サイゴニイイノコスコトハアルカ」
エミリーが首を傾げ、やけに高い声で尋ねる。ルークはアイリーンの方を見た。大好きな祖母は瞬きするのも忘れ、痙攣しながらこちらを見ている。
「おばあちゃん。今までありがとう」
ルークはにっこり微笑むと、キャンバスを椅子に置いた。飛びかかってきたエミリーに、ルークは背中の羽を勢いよく広げ、それをよけた。両者は複眼をむき出しにして、空中で睨みあう。大顎をカチカチ鳴らして威嚇する。どちらともなくつかみあうと、互いの肩に噛みついた。唸り声を上げながら、互いを押さえつけ合い、肉を食いあった。
その間、アイリーンは声なき声で叫び続けた。失禁して、体を震わせ続けた。震えは次第に大きくなり、限界まで達したとき、完全に気を失った。
夜空全体を覆い尽くした雲は、やがて小さな雫を落とした。それが連なり、雨になった。スカイ達の馬車はルビテナ村に辿り着き、神殿の玄関前に止まった。
「ひとまず、中に入れ」
ガルシアに促され、三人玄関を開けた。が、三人はそれ以上動かない。
「何してる。早く体を拭け。風邪引い──」
ガルシアがせき立てると、そこには人だかりができていた。ガルシアは首を突っ込むと、言葉を失った。皆の足元には、スペンサーが頭から血を流して死んでいる。さらに、オルガンの前では意識を失い、失禁したアイリーンが気絶している。そして正面奥、祭壇の脇で体のあちこちを食いちぎられ、羽や中足を折られ、血まみれになって死んでいるのは他でもない、ルークだった。
スペンサーとルークを殺したエミリーは、早々に帰還した。報告すると、赤毛女はベッドに横たわり、表情を変えずに頷いた。
「そう。あなたも戦士として、今後もしっかり働きなさい。そうすればこの女帝蜂、アグネスが、あなたを食べてあげる」
アグネスは赤毛を振り払い、頬杖をつくと、ほんの少しだけ笑った。
「ハッ」
エミリーは頭を深々と下げた。陛下に召し上がっていただけるなら光栄だ。エミリーは石の床に満面の笑みを向けた。
その頃、ルビテナ神殿では、あちこちからすすり泣く声が響いていた。
「なんてことだ」
ガルシアはスカイの肩を強く抱き、爪をめり込ませる。スカイは反応せず、そのまま棒立ちしている。
「おい、その絵の裏側、血でなんか書いてあるぞ」
一人が指をさした。
「よく読めないな。 『と、け……、と、ま、る』『……ま、ご、か、え、る』?」
キャンバスを拾い上げた者が、気味悪そうに言う。それを聞いたガルシアは目をカッと開き、懐中時計を握りしめる。皆の前に出てしゃがみ込み、そのキャンバスを手に取った。オリバーもそれに近づいた。
「時計止まる、卵孵る、か」
ガルシアが囁いた。
「あと三十二日後に、蜂の卵が孵化する」
オリバーも囁くと、ガルシアはオリバーの両肩を掴んだ。
「一刻も早く、なんとかしないと」
そのとき、サムが階段を上ってきた。手にしているのははルークの遺書だ。スカイは機械的な動きで便箋を取り出すと、ほんの数行だけ読み、すぐに封筒にしまう。それからフラフラと前に進み出る。皆が見てる前で、ルークの前にしゃがみ込む。
「殺してやる……」
ロイは顔を上げた。スカイが皆に聞き取れないくらいかすかな声で言うのを、ロイだけは聞き取った。スカイの黒い瞳は焦点が合っていない。ロイは血の気が引いた。
「ルーク、待ってて」スカイは囁いた。「俺が一匹残らず、殺してやる」




