3.ルビテナ山
ハラパノ大陸、ソラミエ大陸、ゴライアク大陸、アイスノウ大陸、ジャングリラ大陸、タリブ大陸、そしてヨルシア大陸──。世界には七大陸が鎮座し、幾千の民族が暮らしていた。
ヨルシア大陸の西端に、永年、平和を維持するグリフィダ王国があった。ときの第五十一代国王、エドワード十五世も前王にならい、他国との友好関係を維持しつつ、善政をしいた。
王国は気候に恵まれた農業国で、小麦やライ麦、青果の生産が盛んだ。そのなかでも一風変わった農村が、南西部の半島にあった。半島の根元部分、北部にはアカラ山脈が屹立し、それ以外は海に囲まれているため、本土から隔絶された地形だった。潮風が吹くその土地をルビテナ村、人々をルビテナ族と呼んだ。
グリフィダ暦千五十二年、三月終わりの朝だった。あたり一帯が春めき、アカラ山脈では白や赤紫色のモクレンがいっせいに開花した。その山脈の南端、ルビテナ山山頂近くで、少年と老年男性が狩りにでていた。
「今日は、山が静かだな」
「そうだね」
「スカイ。昨日のおさらいだ。やってみろ」
「はい、ガルシアさん」
ルビテナ族のスカイ・フォークナーは、十二歳の少年だ。まっすぐな黒髪は短く、やや面長で日に焼けた顔に、太くしっかりした眉に黒い瞳、少し丸みのある鼻、血色のいい唇をしている。肩にはペットの白いワシ、ジャッキーを乗せ、ガルシアを見上げた。
ガルシアは身長は百九十五センチ、体重九十キロ超の大男だ。六十代半ばで白髪まじりの髪を短く刈りこみ、細く鋭い目に大きな鉤鼻、大きくて薄い唇からは愛想の一つもない。今はもっぱら村の警護や害獣駆除の担当だが、かつてはグリフィダ国防軍で弓隊の指揮官を務めていたので、腕前は確かだ。肩には矢筒をかけ、左手には大小二つの弓を、右手には今しがた捕えたカモの首をつかんでいる。
ガルシアはスカイに短い方の弓と矢を持たせた。ガルシアが見る方向、百メートルほど上の斜面に、牙を左右に三本ずつ生やし、体重は五百キロはあろうかというルビテナオオイノシシがいる。視力のいいスカイには、イノシシがルビテナヨモギの花に尻をこすりつけているのがわかる。あのヨモギは薬草で、花粉をまぶすと傷の治りが早い。イノシシはそれを知っててやっている。つまり、尻をケガしたのだろう。それにイラついているのか、フグフグと鼻息が普段よりも荒い。ジャッキーはスカイの肩から地面へ舞いおり、ともにイノシシを静視する。
スカイはごくりと唾を飲む。あんなのに突進されたら、ひとたまりもない。
「ガルシアさん。あれは、ちょっと……」
「怖いか」
「いや……う、うん」
スカイは身がすくんだ。どうせなら尻にケガしていないのがいい。だが、ガルシアはそれに気づいていない。
「スカイ。お前はまだ、イノシシという動物をしとめた経験がないからそう思う。だからイメージしてみろ。お前のその矢が、あのデカブツの脳天を射抜くイメージを」
ガルシアはスカイをなだめるつもりで、おごそかに言う。
「イメージ?」
「そうだ。何でもイメージが大切だ。イメージさえ描ければ、恐れるものはない」
「恐れるものは、ない」
スカイは復唱する。
「できそうか?」
「ちょっと……」
スカイは尻ごみした。弓を持つ手が震える。あの牙はものすごく硬くて、人の背骨もつらぬくと、村の大人達が言っていたのを思い出す。
「そう。人には勇気、というものがある。恐ろしい怪物に立ちむかう勇気。友人に立ちむかう勇気。諦めてしまう自分を、受け入れる勇気、とかな。だけど今回の勇気は、一番下のランクの勇気だ。相手はただの獣だ。お前の人生をくつがえすような化け物じゃない。だから、ほんの少しの勇気を出すだけでいい」
「ほんの少しだけ? 本当に?」
尻が痛くてイライラしているイノシシにも、それだけで済むのか。
「ああ、本当だとも」
「俺でも出せるかな」
「出せるとも。俺が言うのを聞くよりも、まず、自分が自分を信じてやれ。『お前はほんの少しの勇気でいい』ってな」
ガルシアは諭しながら、穏やかにほほえんだ。
スカイは弓を左手に持ち、右手に矢を掴むと、イノシシの額に照準を定めた。それからノックと呼ばれる、矢の先端部分の切り込みを弦につがえ、山の斜面とほぼ平行にする。弓も矢も震えた。だけどさっきよりは、震え幅が少ないと知覚した。大丈夫だ。射止めてしまえば、尻を怪我していようが獰猛だろうが関係ない。
ほんの少しの勇気が湧いてきた。顔の近くまで弦を引き、矢を放った。
矢はイノシシめがけて直進した。空を切り、額を貫くかと思いきや、イノシシが直前で体の向きを変えた。矢は減速しつつも、その立派な、尻のタンコブに突き刺さった。イノシシは痛がって叫び、藪へ飛びこんだ。
「あーあ。ダメだった」
スカイはひどく落胆し、石に腰かける。
「まあ、短弓ならそこらへんが限界だ。コントロールは悪くない。飛距離の問題だ」
ガルシアはガハハと笑う。その手に持っているのはロングボウと呼ばれる、大型の弓だ。ガルシアの身長と同じくらいあり、かなり重量があるが、飛距離もかなりありそうだ。
「じゃあ、俺もロングボウがいい」
「いや、ダメだ」
ガルシアが急に真顔になり、スカイはきょとんとする。
「今日は逃げる訓練もしよう。俺がゴー、って言ったらダッシュで逃げろ。足がちぎれても」
「え?」
「一、二……」
「え? 何?」
「三。ゴー!」
ガルシアが一目散で斜面を駆けおりた。ジャッキーもすかさず飛翔した。スカイは慌てふためき、遅れて追いかけた。振りかえると、先ほどのルビテナオオイノシシが薮から飛びだした。尻に矢が刺さったまま、鼻息をあらげ、二人をめがけて突進する。スカイは悲鳴をあげ、しゃかりきに走りまくった。




