28.マデッサ脱出
ロクレンとマデッサを繋ぐ街道を、一台の幌馬車が爆走していた。スカイ達を乗せた一行は無事にヤバネスズメバチ達を振りきったが、馬の走行速度が少しずつ落ちていた。
「ダメだ。馬がバテてる」
御者が切迫して言った。
「仕方あるまい。もうじきマデッサだ。馬を替えよう」
ガルシアが頷いた。マデッサはもうすぐそこだ。北の城門をくぐるとき、ガルシアは衛兵達に通行許可証を見せた。
「ヤバネスズメバチがロクレンに出た。鐘を鳴らせ。領民を城の中に入れろと、城主に伝えろ」
「なんだって?」
寝耳に水だとばかりに、衛兵達は怪訝な顔をした。
「蜂だ。巨大な殺人蜂だ。ここにもくるぞ。急げ」
「あー。それ、どっかの田舎で出たって、平民どもが言ってたな。村が全滅したとか」
笑う衛兵達に、ガルシアは鬼の形相を向けた。
「これが最後の忠告だ、貴様ら。俺達はここを通過して逃げる」
ガルシアは御者をせき立て、街の中に入った。
マデッサの街は蜂のことなど知るよしもなく、平和で活気に満ちていた。スカイはつい先ほど見てきた光景が信じられなかったし、目の前の光景もまた、信じられなかった。一体どちらが真実なのか。急に頭が痛くなった。ふと、ロイとオリバーの方を見た。二人も青い顔をして、まったく口をきかなかった。
御者は馬をゆっくり歩かせながら、街の広場へ向かった。そこの宿駅で、スカイ達を下ろした。
「馬を替えるから、少し待っててくれ」
「分かった」
ガルシアが御者に言い、皆で楽器屋のドアを開けようとした。
「ロイ」
「父上、母上」
後ろから声をかけられ、一行は振りかえる。ロイと同じ金髪頭の男性と、ブルネットの女性、それに背中に羽の生えた三毛猫が一匹、こちらを見ている。
「ロイ。ミケールに伝言させれば何してもいいわけではない。昨日はどこへ行っていた。家にも帰らず、そんなみっともない連中とつるんでいたのか」
ロイの父は息子の顔を見るなり、怒鳴りつける。
「父上、化け物が来ます。先に、城へお逃げください。僕、用事を済ませてくるから」
「頭でもおかしくなったの? 話をそらすのはおやめなさい。お兄様を見習いやしないし、非行に走ろうっていうなら今度こそお仕置きですよ」
ロイの義母も目を釣りあげた。すると、猫が羽を羽ばたかせ、石畳からゆっくり体を浮かせると、ロイに近づいた。義母はそれを細目でみて、扇子で思いきり背中をはたいた。猫は悲鳴をあげ、ロイに抱きついた。
「ミケール!」
ロイが目を見開き、唇を波立たせているので、スカイが前に出た。
「おい、やめろ。ロイの頭はおかしくなんかない。ヤバネスズメバチがロクレンに出たんだ。早く逃げないと死ぬよ」
「あーあ、ちょっと、なんなの、あなた達。わたくし達はマデッサ城主に仕える、栄えあるハーパ……」
義母が呆れながら言いかけたとき、楽器屋のドアが開いた。
「やあ、ロイ。早かったね。用意はできてるよ」
楽器屋の店主がイーヨの弓を差しだした。ロイはそれを受け取るも、表情を曇らせた。
「ハーパーさん、こんにちは」
店主が気づいて挨拶すると、ロイの両親は仏頂面のまま頷く。
「ねえ。三人はこれから、ルビテナに行くの?」
ロイは両親の方を見ず、スカイ達の方を見あげる。
「そうだ。ここにいるのも危険だ。だから小僧、お前は……家族と城内に逃げろ」
言いたいことはやまやまだが、ガルシアはロイの肩に手を置く。
「え。で、でも。でも、僕」
ロイは挙動不審になり、両親を見やる。そのときだった。両親の後ろに広がる空に、あの黒い影が浮かび上がった。
「来やがった」
ガルシアはとっさにロングボウを構え、弓を引いた。それが群れの一匹にあたり、何十メートルも垂直降下し、屋台の屋根に降りおちた。強烈な衝撃音とともに、屋台は大破、すぐ脇に立っていた店の主は失神した。通行人達が巨大な蜂に発狂し、いっせいに離散した。他の蜂達は高度を落とし、次々に人間達に襲いかかった。
「何? 何なのあれは?」
ロイの義母は蜂を何度も指さし、パニックを起こす。
「母上、父上、こっちだよ」
ロイが両親の手を引く。一行は逃げまどう通行人の隙間を縫いながら、広場へ戻る。馬車には新しい馬が車に繋がれていたが、御者の姿はない。
「乗れ」
ガルシアが御者の席に座って叫ぶ。スカイとオリバーは素早く乗りこみ、ロイも続く。が、ハーパー夫妻はその場でためらっている。
「ほら、あんたらも来るのか、来ないのか」
ガルシアが怒鳴りつける。
「わ、我々は城主様のもとへ行かなければ。アイザックも登城したところだ。ロイ、行くぞ」
「待って。父上、母上」
ロイは両親を追いかけようとしたが、スカイと目が合う。
「お願い。一緒に来て」
ロイが手を引くも、スカイは下を向き、黙りこむ。永遠ともいえるような時間が流れる。
「ダメだ……。俺はルビテナに帰らなきゃ」
ロイはスカイの瞳を穴が開くほど見た。今にも泣きそうだ。下唇を噛み、馬車を飛びおりた。
ロイが駆けだして間もなくだった。目の前に、毒針が特に長い個体が現れ、ホバリングした。
ロイは蜂に見つめられ恐怖のあまり、尻もちをついた。スカイは座席から御者台に駆けつけると、十数メートル先にいる蜂に狙いを定めた。定めたのに、蜂は素早く矢をよけた。スカイは焦って何度も矢を放つが、当たらない。蜂はくるりと体の向きを変え、ロイの両親に向きなおる。
「うわああ。来るな」
顔を手で覆う父親に、義母が後ろに隠れ、ピッタリと張りつく。蜂は毒針を突き出し、二人まとめて貫いた。
「やめろ」
ロイはへたり込んだまま叫び、ロイの両親は一瞬、フリーズした。口から泡を吹き、骨を抜かれたようにぐにゃりと膝を曲げると、そのまま地面に倒れこんだ。ロイが何をどうする間もなく、ガルシアが矢を放った。その矢はロイの脇をかすめ、蜂の腹に刺さった。
「小僧、戻れ」
ガルシアが怒鳴った。だが、ロイは腰が抜けて立てない。矢の刺さった蜂がふらつきながら近づいてくる。ガルシアが再び矢を放ったが、また急所をはずした。スカイは馬車を飛びおり、ロイの元へダッシュした。それからロイをおんぶし、馬車へ駆けもどった。追いかけてくる蜂を、ガルシアが今度こそ仕留めた。
「ほら、乗って」
スカイはオリバーに手伝わせ、ロイを座席へ放り込む。
「ガルシアさん、馬車、出して」
「おお。スカイ、援護しろ」
ガルシアは座席にロングボウを放り投げ、馬車馬のハーネスを握る。
「はい」
幌馬車は大通りを駆けぬけた。通行人はほぼ建物内に逃げこみ、露天商の売り物がゴロゴロ転がっていた。馬はそれを頑張ってよけたが、完全にはよけられず、馬車の座席は上下左右に揺れた。その馬車を守るため、スカイは馬車の最後席で弓を突きだし、矢を放った。
蜂の一団は馬車の後をぴったりくっつき、序列を乱さず飛行している。一番手前にいる個体が、その大顎で幌にかじりついた。幌はバタバタと音を立てめくれあがり、ちぎれて飛んでいった。骨組みだけになった座席で、オリバーとロイは体を床に伏せた。スカイは弓を引き続けた。
スカイは歯を食いしばった。やはりそうだ。ロクレンのと同じだ。ジャッキーが助太刀するものの、それ以上に蜂はすばしっこいし、飛行速度が速い。何より、自分の立つ足場は馬車の上、激しく揺れつづけている。蜂が一番多く群れているところからは逃げきれたが、それでもまだ数十匹、馬車の後ろに張りついている。先頭の蜂は、今度は幌の骨組みにかじりついた。その大顎で、骨組みが砕けはじめた。
「いやだあ。死にたくない」
ロイがミケールを抱きしめ、泣きさけんだ。
「オリバー! 君が御者をやって。ガルシアさんを後ろに」
スカイは矢を放ち、大声で叫んだ。
「分かった」
ためらわず引き受けるオリバーに、スカイは少し面食らった。オリバーは揺れる座席をなんとか歩き、ガルシアの座る御者台にたどり着くと、ハーネスを引きうけた。ガルシアは御者台から立ちあがってロングボウを手にとり、最後席へ立つと、スカイとともに矢を放った。
一匹。二匹。ガルシアが確実に仕留め、蜂が地面へ落下するのをスカイは見た。矢はまだ沢山ある。ガルシアもいる。落ち着け、自分。だが、そう思えば思うほど、当たらなかった。
「スカイ。大丈夫だ」
ガルシアが弓を引きながら、スカイを見ずに言った。スカイは手が震えた。だが、蜂はくる。少なくとも、あと二十匹は。ガルシアはひときわ力強く、弓を引いた。矢は一瞬の煌めきをもって空を切りさき、蜂の額にヒットした。
美しかった。ガルシアは一体、どれだけ訓練を積んだのだろう。こんな時なのに、ガルシアの所作にスカイは見とれた。一本一本が的確だ。だが、蜂も獰猛さを増し、座席の背もたれにかじりつく。ガルシアはすぐさまその個体を射抜く。スカイは同時に、怖くなった。涙がうっすらにじむ。一瞬、ガルシアがこちらを見た。
「お前ならできる。前にも言ったろ」ガルシアは言葉を切る。「ほんの少しの勇気でいい」
スカイは頷いた。全身に鳥肌が立った。それが恐れなのか、何なのか、よく分からなかった。
残り五匹。四匹。三匹。ガルシアは射殺を繰りかえす。泣きつづけるロイを尻目に、スカイは蜂と向きあう。左手で弓を押し、右手で弦を絞る。残り二匹、そのうちの左側の個体をガルシアが殺した。
「自分が自分を、信じてやれ」
まるで、ガルシアのささやきに誘われるかのようだった。スカイの矢はまっすぐ飛び、蜂の額に命中した。




