20 大団円
服も肌も、どこにも異変はない。
「それにしても、何も起きないなんて、どうして」
アリーチェは記憶を辿った。
特別な儀式も、加護の付与もしていない。
変わったことといえば、みんなで金のキュウリを食べたくらいだ。
「……あなた、もしかして」
アンドレアは整った顔をしかめて、ラウルを見やった。
「聖女の加護を受けたものを体に入れた?」
「加護? いや、別に」
「そんなはずないわ。どこかで何か、食べたりした?」
ラウルは首をかしげた。
「よく分からないけど……野菜なら、いつも貰ってたな」
その瞬間、すべてが繋がった。
「……そうだわ」
アリーチェは双子とラウルを見渡す。
「ラウルも、この子たちも……金のキュウリを食べてる!
毎日、欠かさず!」
「はっ、キュウリだと?」
王子が鼻で笑った。
「ばかばかしい。そんなもので魔法がどうこうなるわけが」
「あらぁ」
アンドレアが、言葉を挟んだ。
ほんの少し、驚いたような声だった。
「それなら、だめね」
「だ、だめ……だと?」
「そんなことされたら、私の計画が台無しだわ」
魔女は肩をすくめる。
「嫌な聖女ね。知らないうちに、ずいぶん広く加護をばらまいてる」
どうやら、聖女の加護を宿した食べ物を口にした者には、魔法が効かなくなるらしい。
王子が見るからに元気になる。
「これでせいせいしたぞ。早くいなくなれ、魔女め!」
次の瞬間、アンドレアの指先がきらりと光り、電撃が飛んだ。
「ぎゃあああっ!」
王子は見事に撃ち抜かれ、再び悲鳴を上げる。
「ほらね」
魔女はつまらなそうに言った。
「王子には、ちゃんと効くもの。あーあ、やられたわぁ」
「おい、そのキュウリとやらを渡せ! このわけのわからん変態たちに、この国の王子たる俺を渡したらお前らは咎人だぞ」
アリーチェはじっと王子を見た。
「あなた、前に『野菜でも作っていろ』とおっしゃいましたよね。私が作っているのは、手塩にかけた子どもたちのようなお野菜です。草を抜き水をやり、手間ひまかけて育てたのです。その価値が分からない方に、お譲りできません」
「なんだと」
王子は真っ赤になった。
「この咎人めが!」
「どうぞご自由に罵倒なさってください。私は私のしたいようにいたします」
魔女はいらいらと爪を噛んだ。
「国の人たちだって、もう好きにできないよ!」
双子が声を張り上げる。
「大司教様たちは、今ごろ国中のみんなにピクルス配ってるんだから!」
「そうだよ! 僕たちたくさん持ってきたんだから!」
「……もう、嫌ぁね」
アンドレアは本気で困った顔をした。
「私の魔法が効かない国なんて……つまらないわ。もういいかしら。興ざめよ。飽きちゃった」
指先をくるりと回す。
「火でもつけて、焼いちゃおうかしら? いや、だめね、人間が残っちゃう。やだわ。人間はまた新しく生み出しちゃうのよ。しぶといわねぇ。せっかくいいオモチャができたって思ったのに」
そのとき、ポーリーヌが進み出た。
「お待ち下さい」
「ちょっと、ポーリーヌさん? どうしたの?」
ポーリーヌはアリーチェと視線を合わせて、頷いた。
何の頷きなのだろう。
「私は道を決めました。聖堂には戻りませんと、大司教様に伝えて下さい」
よからぬ予感がひしひしとする。
アリーチェは止めようかと迷ったが、ポーリーヌの視線があまりにもまっすぐだったので、親指を軽くあげるにとどめた。
物理的にも、アリーチェがラウルを介抱しにいった今、ポーリーヌの障壁はもはやなかった。
ポーリーヌはしずしずと進み出て、愛らしい唇を開いた。
「貴方様は魔女とお見受けしましたが、先ほどからの電撃。素晴らしいです」
「あら? そう?」
魔女はまんざらではなさそうだ。
「しかしながら、一つ申し上げます。貴方様はタイミングを分かっていらっしゃらない」
「まあ。どういうこと?」
「よろしいですか! かのザッヘル・マゾッホ侯爵は言いました。救済は、ただ女を通じてのみ成就しうる。と」
何かが始まりそうな雰囲気だ。
アリーチェはラウルの腕ととって起こし、そっと扉に向かった。立ちすくむ双子の背を押す。
「さ、もう行きましょう」
「でも、まだ魔女がいるよ」
「後は大人の皆さんにお任せしましょう」
「王子は? 王子はどうなるの?」
「きっと悪いようにはならないと思うわ」
「えー、もう少し見たいのに」
「私たちの役目は果たしたわ。勲章もお返ししたし」
「よし、行くぞ。戻ったらピザを焼こうな」
「わーい、ピザ!」
「チーズもいっぱいのせてね!」
「もちろんだ」
「わーい!」
「わーい!」
アリーチェたちが一礼して退室した後、王子の部屋ではポーリーヌと魔女が意気投合していた。
「……いうのは、男を支配し、男を意のままにする力が、女に与えられたなのです。世界は遠からずその様相を異にして、両性の関係は逆転するのです。つまり女は男を、国家を、教会を、世界を、統治するであろうと! 私は必ずしもそうは思いませんが、というのも」
ポーリーヌはひたすら熱く語る。
「なるほど、あなたがただの人間の女じゃないってことは理解したわ」
魔女は面白がっていた。
「国一つ滅ぼしてみたら面白いかなと思ったけど、このヘンチクリンなキュウリのせいでだめそうね。どうせ魔法が無効化されるなら、いいわ。この世界を捨てて、次の遊び場に行くだけ。このバカは連れていこうかしらね」
「はあ!? なっ! なぜだ! もう飽きたんだろう!?」
「なんとなくよ。理由なんて無いっていったでしょう? 魔女は、理由なんてくだらないもので動かないの。黒猫のように自由気ままなのよ」
ポーリーヌが手を挙げた。
「それなら私も連れて行ってください」
「あら。怖くないの? 見どころがあるわね」
「私は孤独な探求者。時の果て、国々の果てにまで手をのばし、あらゆる悪をかき集めてその上によじのぼり、もう少しで永遠に手を届かせるのです。天国への裏階段を見つけるまで、私は参ります。この逸材と共に、どこまでも!」
ふんす、と鼻息荒くポーリーヌは拳を突き上げた。
愛らしい顔に決意がみなぎっている。
レースのエプロンのメイド服は可憐だが、言動は前衛的なアーティストのそれである。
しかし、魔女は喜んだ。
退屈を何より嫌うアンドレアにとっては、魅力的に見えるらしい。
「良く言ったわ。あなた、人間にしてはなかなかね」
「こいつもお前も、ただの変態じゃないか!」
と、王子が初めて最もなことを叫んだ。
アンドレアは、くつくつと声を立てて笑った。
「いいわ。決めた」
アンドレアがパチンと指を鳴らす。
部屋ごと、空間がぐにゃりと歪む。
「あなた、合格よ。退屈しなさそうだもの」
「光栄です」
ポーリーヌは深々と一礼した。
「ちょ、ちょっと待て! 俺は良いなどと許可していない」
王子の抗議は、歪んだ闇に吸い込まれていく。
アンドレアがうっそりと嗤う。
「許可? そんなものこれからは貴方には不要よ」
「ええ。同感です。許可する者でなく、許可を請う者になるのですから」
「まあ無駄じゃなかったわね。面白いオモチャの素材を手に入れたのだから。あなた、名前は?」
「俺こそはコンスタン……」
「あんたじゃないわよ。もっかい電撃食らう? ああ、ポーリーヌというのね。そうそう、この男の名前を考えなきゃ。新しい名前……ポチとかタマでいいかしら」
「お言葉ですが、アンドレア様の足下に置いたとき、ふさわしい言葉にすべきかと存じます」
「いーわねえ! ポーリーヌはわたしの知らない世界を知っている感じがするわ! とっても新鮮。さて、どこの世界に行きましょうか」
「どこへでも、お供いたします」
「おい、待て、俺はいいなんて一言も、うわあああああっ!」
次の瞬間、部屋には誰もいなくなった。
ただ、主のいなくなった天蓋つきベッドの上に乱れた布団と、アリーチェの零した涙の跡のついた赤いカーペットだけが、生物の息づかいの余韻を残していた。
*
満面の笑みで出迎えたルーラを、アリーチェはぎゅっと抱きしめた。
晩ご飯の準備ができるまでの間、アリーチェの膝の上でご機嫌にしている。
ルーラはぷくっとした頬を赤くして尋ねた。
「魔女さんに会ったの?」
「ええ」
「どんなだった?」
「うーん、不思議な感じの人だったわ。猫みたいな」
「ポーリーヌさんはなんで一緒じゃないの?」
「聖堂の契約期間が終わったんだって」
「ふうん。次は魔女さんのところで働くのかなあ」
「そうかもね」
ピザの香りが漂ってくる。
「焼けたよー!」
「おいしそー!」
「味見したい!」
ラウルと双子の声が聞こえる。
ルーラがぴょんと跳ねるように、膝を降りて駆けだしていく。
大司教は隅のテーブルで、弟子たちに囲まれながらワインを飲んでいる。
あれは未来を憂いているのではなく、単にポーリーヌがいなくなってしまって悲しいのだ。
あの女傑ならば、どこの世界でもやっていけるだろう。
王子もある意味、幸せになるのかもしれない。
金のキュウリのおかげで、国は救われたらしい。
魔女は去り、ついでに王子も去った。
抜け殻のようになっていた王はそのままだが、これからは大司教様が政治にも口を出していくらしい。
さあ、もうすぐ小麦の種をまく季節だ。
アリーチェが首を伸ばすと、大聖堂の女神様の像と目が合った。微笑まれたような気がする。ふんわりとした雰囲気は、どこか畑にいた妖精に似ていた。
普段は飲まないワインを、グラス一杯だけもらった。
ふくよかな香りに顔をひたす。
美しい田園を想う。
このワインを飲んで、美味しいピザを食べたら、ヴァル・ドルナへ帰ろう。
また、当たり前の日常の中で、新しい時間が始まっていくはずだ。
野菜と降り注ぐ陽光と、土を耕す手。
そういうものが限りなく美しいと、今は思えるのだ。
「ねえ、そういえばルーラ、お城でアリーチェがラウルに告白したよ」
「うん、愛しい人って言ってた」
「ほんとう!? ねえラウル、アリーチェといつけっこんするの」
聞こえてきた天使たちの遠慮無い言葉に、救国の聖女は勢いよく、紅いワインを噴き出した。
END
これにて完結です。読了ありがとうございました!




