18 いざ王城
アリーチェは王城へ向かった。
大司教に言い渡されたのは、『王子に借りたものを返しに行ってくれ』ということだけだった。
嫌だ、無理だと再三言ったが、
「そなたなら大丈夫じゃ」
の一点張りで、半ば強引に押し通された。
「老人の最後の頼みだと思って」
と言われたら何も言えない。
魔女というのはあの新しく召喚された、アンドレアという女に違いない。
ラウル、ポーリーヌ、双子たちも一緒だ。
ルーラだけは、聖堂の人たちに預かってもらった。
大司教によれば、王は腑抜けになり、王子は引きこもっているらしい。
いったい何が起こったのだろう。
アリーチェは急ぎ駆けつけた。
王城の外壁が見えてきた瞬間、アリーチェは息を詰めた。
あまりにおかしい。旗は色褪せ、門番は立っているものの、目に光がない。まるで人形のようだ。城の灰色をした石壁には黒ずんだ染みが広がり、近づくにつれて、鼻を刺すような澱んだ匂いが漂ってきた。
「酷いですね。瘴気が漂っている」
ポーリーヌが小さく呟いた。空気そのものが重く、湿り、呼吸するたびに喉に絡みつくようだ。
「裏口から行きましょう」
かつて物資搬入に使われていた小門は、鍵もかけられずに放置されていた。腐りかかった木の扉を押すと、ぎ、と嫌な音が響いた。
城の内部は、手入れされた様子がなかった。絨毯は踏み固められて、ホコリがついている。廊下にかかった歴代の肖像画は、意図的に顔の部分を削られたような傷がある。
燭台には火が灯っておらず、廃れた雰囲気が漂う。
美しく制御されていたかつての城は滅び、退廃的な虚無の空気が流れ、淀み、居座っていた。
途中、何人かの使用人とすれ違った。だが彼らはアリーチェたちを見ても挨拶をしない。視線は床に落ち、口は固く結ばれている。
「ゾ、……ゾンビみたい……」
双子の片方が、アリーチェの袖を引いた。
「ねえ……ここ、こわいよ」
「あいつら、インプレ、インプレって変な呪文を唱えてるんだ……僕らのことなんて眼に入ってないみたい」
「気にしないようにしましょう」
自分に言い聞かせるように、アリーチェは大股で歩いた。
王子の私室は、城の奥、最上階にあるはずだ。
螺旋階段を上るにつれ、空気はさらに重くなった。
割れた鏡を横目に、恐怖心を隠して歩く。
扉の前に立ったとき、はっきりとわかった。
ここだ。
扉の向こうから、かすかな声が聞こえる。
ぶつぶつと、何かを拒むような、怯えた声。
あの王子のものだ。
アリーチェは取っ手に手をかけた。
「あら? お客様ね」
耳元に柔らかく低い声がした。
(――誰)
ぞわり、と鳥肌が立った。
アリーチェがバッと振り向くと同時に、勝手に扉が開いた。
天蓋つきのベッドに丸まっていた王子が、布団をかぶったまま、扉の方に顔をむけ、驚愕に眼を見開いた。
「お前ッ……!? 魔除けの札はどうした!?」
その瞳にもはやアリーチェたちは映っていない。
「あなた、ほぉんとにおバカねえ。私は傾国の魔女よ。あなたが夜な夜な呪文だの呪符だのを貼り付けてたけど、そんなもの効くはずないじゃなぁい?」
「でっでもこれまで入ってこなかったじゃないか!」
「それは、私が忙しかったからよぉ。王様やら家来やら、王城ってのはたくさん人がいるんだから。あなただけの私じゃないの」
「くそっ……!」
そうなって初めて、王子はアリーチェやラウルに気付いたらしい。
「おい! お前ら、この変態の魔女をどうにかしろ!」
アリーチェは一気にやる気がなくなった。
この男、全く性根が変わっていない。
アリーチェは大司教に持たされた金色の勲章を懐から出した。大股に天蓋ベッドに近付いて、羽布団の上にポイッと置く。
「私はこれを返しに、お使いに来ただけです」
「何ィ?」
王子の顔が真っ赤になった。
「これは、我が王家が大司教に授与した勲章ではないか! 何を考えているんだ」
「現在の体制にはついていけません、と。大聖堂は王城におもねることを辞め、独自の自治を回復するとのことです」
「なっ、何を言っているんだ! そんなことが許されると思っているのか!?」
「さあ。私はあくまでも、お使いに来ただけですので。では、確かにお渡しいたしましたので」
「待て! 俺を置いていくな!」
「失礼いたします」
そそ、とその場を離れて退出しようとしたアリーチェの腕を、キュッと掴んだ者があった。
「それは、困るわねぇ」
と、アンドレアが魅惑の唇でささやいた。




