後半
芸術を学ぶ大学などは理論、実践、歴史などを取り扱うのが一般ですが、わたくしが設立した学舎では実践のみとなります。
歴史は勿論のこと、理論も知りませんし。
通う方々は大まかに3つに分けられまして、趣味教養のために習う貴族特権階級の方、音で身を立てている方、立てようとする方。そしてその他。
その他とは暇を持てあましている方、貴族の方々に繋ぎを付けたい方々、苑を知るため他国から遊学に来られた方、親に放り込まれた方、などを含みます。
色々な方がいるため多少の問題は起こりますが、わたくしの後ろには苑王が付いていることもあり、順調に音楽を学ぶ基礎を築けたと思います。
メシア時代のお知り合いとそこで再会を果たさなければ、全てが上手く行っていたと言えるでしょう。
あの時わたくしを出迎えに来てくれた方々は、みな所作が洗練されていて、振る舞いから教養の高さと身分の高さを感じました。
その中でも際立って、人目を引いていた方。
隣国シュネリアの財務長を父に持つそのお方は、外交を担う任に就くことが決まっており、苑と交流を図るため短い期間でありますが、音を習うと建前の元、わたくしの学舎に訪れました。
その冴え冴えとした美貌は、忘れたくとも忘れられるものではありません。
一度見たら忘れないほどの美形なのですが、目が氷のように冷たい方でした。
メシアであったわたくしを見る目はみんな冷え込んでいましたが、その中でも彼の目は、夏の海も氷結してしまいそうなほどの冷たさでございました。
鈍感で空気が読み取れぬ頃でさえ、わたくしは彼に嫌われていることを察しておりました。
選ばれし者に妬まれるのは当然、嫉妬乙とか思っていました。
恐らくそんなわたくしを彼は、このクズが! と心底見下していたのでしょう。分かります、あれは見下して良い生き物です。
その方、名をセイオン・ハリス様とおっしゃるのですが、わたくしがあの時のメシアだと疑っているようなのです。
顔も隠していますし、会話も致しませんが、わたくしの歌がその疑いをかけてしまったのでしょう。
ガラクタのような自作の歌の他に、ジャズや洋楽も時たま口にしておりましたから。
よろしくない展開になって来ました。
セイオン様は、わたくしの顔を一目見せてはくれまいかと事あるごとに請うてくるのです。
黒の被り物で顔をしっかり隠し、緩く首を横に振って拒否いたします。黒歴史を暴かれるのは断固、お断りです。
そうとは言え、わたくしは彼らに負い目がございます。
彼らはわたくしをシュネリアまで無事に連れて行くのが任務でございました。
わたくしが逃亡したことにより、何らかの御咎めを受けたのではと後に気付いたのです。
ですからセイオン様が高い地位にいらっしゃったことにわたくしは安堵いたしました。
苑でのわたくしの立場は悪いものではなく、セイオン様を遠ざけることを出来ないわけではないのですが、過去の負い目から邪険にすることを憚られました。
加えて、セイオン様は非常に紳士的に接して下さいます。
熱湯も一瞬で凍り付くような冴えた視線はどこへやら、一目だけでも見たいと切々と訴えてくるのです。
巷に流れる噂を聞いてか
「あなたの顔に大きな傷があったとしても、あなたの価値が損なわれることはありません」
気遣いも向けてくれるのですが、それデマです。
傷があるのは、顔ではなく過去です。
勇者だメシアだ、セーラディーンだ名乗り、自分で考えた格好いい技の名前を、変なポーズで繰り出そうとしていたあの過去。
思い出すたびに全身の骨が軋みます。
セイオン様はとても麗しい容姿をお持ちですが、それを楽しむ以上の羞恥が襲うので、わたくしには関わらないで頂きたい。
しかしセイオン様は学舎以外でも、わたくしが養生院や孤児院などに行く時でも、時間がある限り付き添ってくるのです。
苑を知るためという名分をお持ちですので、セイオン様の申し出を無下にすることも出来ません。
今日も城へ行こうとするわたくしにセイオン様が声をかけてきました。
わたくしは歌の恩恵で、考えられぬほどのお金を自由に扱うことが出来ました。
片田舎に引っ込む時には必要ないので、そのお金を費やし貧しき子供や弱者を支援する機関を設立してみました。
あの時よりずっと後悔しておりました。
ねぇ、お姉ちゃん、手を握って……呼びかける声が一つも聞こえなくなったゴミ捨て場のような小屋を、わたくしは生涯忘れることはないでしょう。
わたくしがいてもいなくても、あの時の状況は何も変わらない。
それは分かっていますが
「メシアが治してあげる! ±×÷≠♂♀∞∴」
などと嘘を言って(その時は本当に出来ると思い込んでいたので嘘よりも質が悪いのですが)死を逃れることが出来ない純粋な子供に希望を持たせたことを悔いております。
5秒に1人が死ぬ現実。
日本ではネットのバーナーでしか見ることがなかったそんな現実を目の当たりにし、生きている、それだけで幸せなのだと感じました。
ですから1人でも多くの人が、明日へ行ければいいと願ってしまうのです。
そしてやはり第一目的は保身です。
派手にお金を使って、浪費をし続けておいた方が、田舎に蟄居したとき危ない輩に狙われるリスクが減ると思いましたので。
薬やら食料やら、支援物資やらにお金を費やし、財産などない! アピールを続行中。
そのように使っていてもお金と言うのは巡ってくるもので、ならば子供のための教育機関でも設立しようかと計画中です。
識字率98%を誇る日本生まれのわたくしには文字が読めない人生が考えられないのですが、この国で文字が読めるのは恐らく10%以下。
苑は農業大国なので、民の大部分が農民であり、彼らの生活は文字を知らずとも成り立っております。
しかしわたくしは声を大にして言いたい。
文字という媒体が合ってこそ広がる世界があると言うことを。
農業大国苑は農業に関する知識が豊富ですが、その村々独自に発展しているため、他と共有することがなく、狭いコミュニティの中で口承伝達するだけに留まっております。
何と勿体ないことか。
もしそれを文書化することが出来れば、他国にも後世にも伝えることが出来ます。
農業に従事している者は教養知識など必要ないと言われておりますが、識字は別です。
むしろ特化している部だからこそ、必要だろうと思うのです。
そんなわけで子供のための学校を作ろうと思い立ちました。
そのために城へ行こうとしたのですが、知っていたかのように行く手に現れるセイオン様。
「お伴させて下さい」
気障にならないのが不思議なほど自然にわたくしの手を取ります。
身振り手振りで拒否を示せば、ご迷惑でしょうか? とハスキーボイスに落胆を含ませてこちらをじっと見つめてきます。
そういう状況で、ノーと言える日本人は多くありません。
わたくしも大多数派なので、仕方なしに緩く首を振れば、セイオン様はすっと洗練された仕草でわたくしの手を引き、流れるように右腕でそっとわたくしを抱え込むと、片腕で馬車まで引き上げて下さいました。
この世界の平均身長は、わたくしの国よりも遥かに高く、女の方で175㎝、男の方で2m辺りでしょう。
それに合わせた作りになっておりますので、160㎝足らずのわたくしは、様々な場所で難儀いたします。
馬車の踏み台に足が届かない、ドアのノックが届かないなど些細なことではありますが。
がたごとと揺れる狭い馬車の中で、セイオン様と2人きり。
ドナドナを歌いたくなるような気まずさです。
しかしセイオン様はその雰囲気をものともせず、返答は首を縦に振るか横に振るだけのわたくしに、色々と話しかけてきます。
向かい合わせに座れば良いものを、わざわざ隣に腰掛けて、事あるごとに顔を見ようとするので、それを避けるのが至難の業です。
セイオン様は基本紳士なので、無理やり被り物を引っぺがしたりはなさいませんが、さり気なく肩に置いた手を動かし、顔の輪郭をなぞって来たりするのです。
よもや骨格でばれるとは思いませんが、落ち着きません。
城へはいかなるご用で? と問われたので、返事の代わりに数カ月かけて作った明るい学校設立計画書を渡します。
セイオン様は、さっとそれに目を通して下さいました。
「ツバキ殿は子供の学び舎を作りたいのですね。でしたら、ここはこのように……そして、ここはこうなさったほうが、王も議会も納得なさると思いますよ」
父君が財務長官なだけあり、セイオン様はお金の管理運営に精通なさっておいででした。
「ツバキ殿のお考えは、わが国の目指すありかたにとても似ておりますね」
セイオン様が呟いた言葉にどきりとします。
それはわたくしも常々思っておりました。
シュネリアは、日本を模倣とした国の体勢を目指しているのではないかと。
シュネリア建国に関わりました我が従姉、黒田六華はとても聡明でした。
しかしそれでも国を整えるには何十年、何百年と歳月がかかる。
急激な変化は歪みを招きます。国の体制を整えるには、彼女の生涯を使っても成しえるものではございません。
だからこそ彼女は何らかの形で、模倣となる国の組織体制を後世に伝えたのではないかと。
「我が国も全国民に対し、一定の教育を受ける権利を与えることを目指しております。それに対して、専門の機関を設立いたしましたが、設備と法を整えたとて、認知が未だに低く、教育など必要ないと考える親の固定観念こそが障害となっております」
前のめりで話を聞く体勢となったわたくしに気付いたのか、セイオン様はご興味がおありですか? と尋ねてこられました。
頷くと、セイオン様はばっとわたくしの両手を長い袖から引き出し、ぎゅっと握りしめました。
「ならば我が国にお越しくださいませ。あなたの目指す国の在り方は、我がシュネリアにこそあるのではないかと思うのです」
六華の意思を継ぐシュネリアにはとても関心があります。
しかしシュネリアに行ったが最後、黒歴史が明るみになるという危険が。
ジレンマに葛藤している内に、馬車が王宮へと到着しました。
セイオン様は何かを警戒するように馬車から顔を出し、左右を見渡しています。
どうしたのかと首を捻るわたくしに
「いえ、駄犬が飛び出してくるのではないかと思いまして」
「……」
この場合、本来のおバカな犬を差しているわけではありません。
苑の第三番目の王子、紅夜様を意味しておられます。
仮にも一国の王子に対する別称としては不敬過ぎるものですが、紅夜様もセイオン様に会うたびに国に帰れコールをするので、お互いさまと言えるでしょう。
御年16歳の紅夜様は、じっとしていられない性質なのか、あちこち出歩いては王族らしからぬヤンチャばかりをするお方です。
しかしその天真爛漫さから、悪感情を抱かれにくく、一般市民からも人気がある若き王子。
出会った当初は、胡散臭いやつだとバリバリに警戒され、嫌われていたのですが、ある事件を境に、わたくしを見たら一目散に飛びかかってくるほど懐かれてしまいました。
数か月ほど前、紅夜様は遠方の大国へ親交の証として贈る予定であった壺を割ってしまいました。
これには末息子に甘い苑王も大激怒。
珍しいものを好む王へとようやく見つけ出した一品だったようです。
王の怒りを前に臣下は跪いてそれが過ぎるのを黙って待ち、紅夜様は泣き出しそうな途方に暮れた顔で立ち尽くしておりました。
そこでわたくしはそっと苑王に近寄り、懐から折り畳み式のナイフとバングルを取り出しました。
折り畳み式のナイフは、パワーストーンを抱いたドラゴンが巻き付いている代物で、早い話、中二病患者が好みそうな形状です。
バングルは、槌目加工を施してあり、色んな角度からの光によってきらきら輝くシルバー製で、早い話が以下同文。
高校の入学祝い金をつぎ込んだとは言え、決して高価なものではありません。
しかしこれはこの世界では手に入らないもの。
わたくしはこれらを壺の代わりとして苑王に差し出しました。
わたくしの取り成しもあり、紅夜様は数日の謹慎で許されることとなりました。
それらに壺以上の価値を見出してくれた証とも言えましょう。
紅夜様は謹慎がとけるなりわたくしの部屋に通い詰めて、連日のように謝罪。
自分が壺を割ったせいで、わたくしが大事なものを手放してしまったと誤解しているようです。
違うのです。実はわたくし、あれを捨て去る機会を狙っていたんです。
あのナイフを見るたびに
「あいつにはこれで充分だろ…」
と呟いて出し入れしていた痛ましい過去を思い出します。
あいつって誰と聞かれると困るのですが、恐らく仮想世界の強敵です。名前はまだない段階です。
バングルは自分の中に宿る邪悪な何かを押さえるために買ったものでした。
とっとと捨て去りたかったのですが、この世界では価値があることが分かっていたので、捨てるに捨てられなかった過去の汚物。
遠い国に行ってくれました。
二度と帰ってくんなよ~という心境ですので、紅夜様が謝罪なさる必要はないのです。
しょげ返りつつも、ごめんなさい! と下がったままの紅夜様の頭を撫でることで、全く怒ってないことを伝えました。
それからです。紅夜様がわたくしの回りをうろちょろするようになったのは。
王位継承権第三位の紅夜様もいずれは、国の重責を担うお一人。
多忙ではいらっしゃるのですが、今日は~した、頑張った、明日は~する、頑張ると報告をしにやって来ては、撫でろと言わんばかりに頭を差し出してきます。
くしゃくしゃと頭を撫でると満足して帰って行かれるので、時間を節約しようと来たと同時に頭に手をやりました。
そうしましても紅夜様は報告を怠らず、また終わり次第期待するようなきらきらした目を向けてくるので、時間の短縮にはなりませんでした。
「ツバキ殿は、あの仔犬の皮を被った狼に騙されてらっしゃる。子供だと思い侮っているツバキ殿の身が案じられてならない」
外の確認を終えたセイオン様が顔を戻し、忌々しそうにそう吐き捨てました。
そう言われても、と被り物に隠れて苦笑してしまいます。
紅夜様はわたくしよりも5つも年下、まだまだ幼く見えても仕方がない年齢です。
紅夜様は16才、それでも国の責務を負い果たしているところを見るとついつい甘やかしてしまうのです。
わたくしが16才だった時は……中二病真っ盛り。
音を消して歩くのをマスターしようとして、全校集会に遅刻。
宿題忘れたことを先生に注意されて、家業…いや、家庭の事情でねと痛い言い訳。
立ち入り禁止の屋上に忍び込んで、いつかあんたを越えて見せるよと独り言を言いながら無意味に空を仰ぎ。
碌な事をしておりません。
それに引き換え、紅夜様のご立派なこと。
ひらりと軽やかに下りたセイオン様が、過去の所業に遠い目になっているわたくしに優雅な仕草で手を差し伸べてくれます。
手を重ねようとしたところに
「ツーバーキーっ! 会いたかった!」
元気いっぱいに駆け寄ってきた紅夜様が、どんっとセイオン様を弾き飛ばしました。
たたらを踏んだセイオン様は
「この躾のなってない駄犬がっ!」
吐き捨てながら、体勢を整えております。
そんなセイオン様に目もやらず、紅夜様はわたくしを馬車から下ろそうと両手を広げて待ち構えておりました。
尻尾があればぶんぶん振っているような紅夜様のご様子に苦笑してしまいます。
「昨日俺、頑張ったから半日休みもらえた。夕飯に招待してくれてもいーよ」
紅夜様は招待してくれてもいーよ、撫でてもいーよと言う上からとも思える言い方をなさるのですが、弾んだ声から可愛らしさが先立ちます。
「あなたはその辺の骨でも齧ってなさいっ!」
さっきの仕返しか、セイオン様がどっつき返しました。
このお二人の仲の悪さはどうにかならないものかと思うのですが、公の場ではその片鱗も見せないので、流石生まれついての上流階級と言ったところです。
「早く国に帰れ!」
「苑の王子ともあろう方がそのお言葉遣い、いかがなものでしょうね」
いや、でもセイオン様も紅夜様限定で悪い言葉お使いになりますが。
「お早くお国にお帰りやがり下さいませ!」
「あなた、一から教育をやり直した方がよろしいのでは?」
このように頗る仲が悪いお二人なのですが、わたくしが片田舎に引っ越す計画を実行に移そうとすると、タッグを組んで妨害をなさるのです。
弟のように懐いて下さる紅夜様は、わたくしがずっと苑の王宮に留まる事を望んでおりますし、セイオン様はわたくしがシュネリアに行くことを望んでおります。
どちらにしてもリスクが高く、選びにくいものですのでわたくしはやはり片田舎に引っ込む一択で行きたいのですが、それが叶うのは当分先の話かもしれません。
共同作品です




