あの日の女の子1(桐子side)
「失礼します」
かけ声とともにドアが開く。それとともに稟ちゃんが診察室に入ってくる。
「稟ちゃん、こんにちは」
稟ちゃんが私の挨拶に「ども」と返し椅子に座る。今まで何度となく繰り返してきた流れだ。
「どう?最近の調子は?」
「いつも通りです」
「いつも通り、か。“いつも通り”急に力が抜けたり意識が遠のいたりする?」
目線をそらしながら答えた稟ちゃんに少し意地悪な確認をする。長いつきあいで分かるようになってきたのだが、稟ちゃんは都合の悪いことがあると一瞬目線をそらす癖がある。
「先々週にも言ったことだけど・・・稟ちゃん、ホントにアメリカに行くのは嫌?」
「はい、今は高校が楽しいんで」
「そう・・・」
言われるまでもなく高校に行き始めてからの稟ちゃんの表情を見ればそれは分かる。中学の時とは天と地ほどの差がある。
でも、そうは分かっていてもやっぱり私は稟ちゃんにはアメリカに行って欲しいと思う。
「正直、私は医者として稟ちゃんがこのまま高校に通うのに賛成できない。前も説明したけど、後3年くらいで来るかもしれない波までになんとかしないと取り返しのつかない事になるかもしれない。小学校2年生の時に1度目の発作、これは学校を3ヶ月程度休むだけで済んだしその後の体の調子も安定していた。」
稟ちゃんのお母さんとも話して稟ちゃんには体のことで隠し事はせず本人に話すことにしているので、なんとか説得しようと先々週も言ったことを繰り返す。
「でもその後2年と少しして意識不明で病院に運ばれる。その時はそれだけで済んだけどそれからは度々意識が飛ぶことがあり中学に入学して・・・2度目の発作が来た。この発作のせいで3ヶ月間意識不明、目が覚めてもリハビリや容態が落ち着くまでかなりかかって学校に通えるまでになるのに1年近く掛かった。でのその後の中学生活では容態も落ち着いて運動はあまりできないけど普通に中学生活を送れた・・・卒業式の日までは。稟ちゃん、最近調子悪いでしょ?」
私の言葉に稟ちゃんは伏せ目がちに頷く。
「次はもうないかもしれない。・・・悔しいけど私だけじゃ原因がわからいかもしれない。でもアメリカの私がいたところには凄い医者が一杯いる。ゴッドハンドって呼ばれている人もいる。勿論、稟ちゃんが了承してくれるなら私もそっちの病院に移るしお金の心配も要らない。それでも・・・このまま高校に通いたい?」
稟ちゃんの容態についてはアメリカでの修行中にお世話になった師匠とも言える人にも相談している。心境的には微妙な所だが稟ちゃんの容態に興味を持ったらしく、その病院で看るなら治療費は無料にでいいとも言ってもらっている。
暫しの沈黙のあと稟ちゃんが口を開いた。
「桐子先生、ありがとうございます」
「!」
遂に納得してくれたか・・・と思った矢先稟ちゃんの言葉は続く。
「でもすみません。うちはアメリカには行きたないです。・・・先生の言うことがホントなら一番なんやと思います。でも、今、幸せなんです。この暖かさを・・・せめてあと3年、許してくれませんか?」
真剣な顔。色んな感情が入り交じっている表情。感謝、申し訳なさ、懇願・・・。
その表情に何とも言えない感情がわき上がってくる。
それとともに、昔の記憶も蘇って・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
緊、張、する!
大学を出て初めての勤務先が大阪なんて・・・。
私の名前は薬師寺桐子、名前から分かるように私の家族は代々医者の家系。父さんに進められるまま何も疑問を持つこと無く医大に入学、医師免許を難なく取って就職・・・したのは良いけど、まさか大阪の病院なんて。いや、大阪が嫌ってわけじゃなくて東京から殆ど出たことが無かった私にとって初めての一人暮らしも含めて関西というのがまた何とも言えない。
「あ~・・・どうしてここ受けちゃったんだろう」
大学の時の教授の推薦に乗ったことを今更ながら後悔する。自分の家の病院は兄が継ぐことはほぼ決定事項なのでその時は何も考えずに就職を決めてしまったのだが。
もうかれこれ病院の入り口の前で5分。そろそろ不審者に見られかねない。
「ねぇ、お姉ちゃん、なんでそんな苦しそうな顔してんの?」
声をかけられた方を向いたが誰も居ない。が、声が子供の声だったことに気づき下を見るとかわいらしい女の子が私の顔をじっと見上げていた。
「う~ん、苦しくはないけど緊張してるかな」
「緊張?お姉ちゃん病院には慣れてへんの?うちも通い始めたときは怖かったけどもう慣れてもたし、お姉ちゃんもすぐ慣れるよ」
小学生低学年らしいわりにはかなりしっかりしてることに少し驚く。私がこの娘くらいの時にこんなに初対面の人と話せたかというと多分無理だったと思う。
「実は私今日からここでお医者さんするんだぁ。だから緊張してたんだけど・・・うんすぐ慣れるよね」
口にするとだいぶ気分が落ち着いた。それとともに少女の言葉が頭に入ってくる。
この少女は“もう慣れた”と言ったのだ。つまりこの年で慣れるほど病院に通っていると言うことだ。何か重い病気が連想させられる。
「ねぇ、お嬢ちゃん、お名前はなんて言うの?」
「稟!夏目稟って言うの」
間髪入れずに答えが返ってくる。なんだか懐疑心が薄すぎじゃないだろうか。こんなに可愛いのにどこかの変態に連れ去られそうで不安になる感じだ。
「そっか、稟ちゃんって言うんだ。稟ちゃんはこの後病院に用があるの?」
「うん、この後に何か検査があるんだって〜」
「そうなんだ〜。ねぇ、稟ちゃん、お母さんかお父さんは一緒じゃないの?」
「母さんはもう病院の中に入ってもた」
受付かな?
「じゃあ稟ちゃん、私たちも中に入ろっか?」
「うん」
この娘も置いていけないし、私の時間もそろそろ危ない所まで来ているので決心して中に入ることにする。手を繋いで自動ドアを抜けると稟ちゃんはお母さんを見つけたみたいで、私の手を離すと「お姉ちゃん!バイバイ!」と言って走って行った。
その後お母さんらしき人の所にたどり着くとなんだか怒られている。「走ったらダメ」という言葉も聞こえてきたので病院で走ったこと怒られているのだろうと予想は付いた。
っと、私も速く行かないと。
うん、もう緊張も無いし、稟ちゃんには感謝かな。
その後は何も滞ることなく研修がすすみ、外科志望で他の知識も欲しいという私の希望も聞いて貰えて、外科で内科知識もある遠野先生について働くことになり一週間が過ぎた。
今日の午前中は遠野先生が診察ということで私はその見学件サポートという立場で仕事をこなしていた。
そして今日最後の診察という所であの少女とそのお母さんが診察室に入ってきた。
「あ、あの時のお姉ちゃん!」
「稟ちゃん、久しぶり」
「そや、お姉ちゃん、名前教えてよ」
「私の名前?そう言えば前に教えてなかったっけ、私は薬師寺桐子」
「桐子先生かぁ」
先生と呼ばれることに少しむず痒さを感じる。一週間やそこらでは慣れるのは無理そうだ。
「薬師寺君?」
「っ、すみません」
遠野先生に名前を呼ばれ我に返る。
その後は問診などがあり、診察は直ぐに終わった。
診察室から出る時に稟ちゃんが手を振ってくれたので小さく振りかえした。
その後も毎週稟ちゃんは診察に訪れた。その度に稟ちゃんと少し話したり、お母さんと話したり、遠野先生に聞いたりして稟ちゃんのことを色々知った。
今小学2年生なこと、ここ数年体の調子が悪くなり倒れてしまったりするようになったこと、お母さんに女手一つに育てられていること、趣味が読書なこと、激しい運動が禁じられていること。
医者になって初めて出会った患者でもあり、初日に助けられたこともあり何時しか稟ちゃんは私の中で特別な存在になっていた。
その頃になると段々仕事にも慣れてきて簡単なオペの主治医も担当した。季節も外を歩けば汗ばむものに変わってきた。
そんなある日の昼下がり、今日も急患が運ばれてきた。丁度手が空いていた私は何か手伝えることがないかと救急の方に出向いた。でも・・・運ばれてきた急患の顔を見た時、心臓が止まった気がした。
小さな体に点滴を付けられ顔には呼吸器を付けられている。その横では遠野先生とあと2人の先生が何か言い合っている。でもその声はどこか遠くに聞こえる。するとすぐに気分が急激に悪くなりトイレに駆け込んだ。
そのまま我慢できずに便器に胃の中身をぶちまけてしまった。大学病院にいたときにも色々あったがこんなことは初めてだった。何も考えられない。唯々便器の前で放心してしまった。
どれくらい経ったのか。段々と思考が戻ってくるにつれ心配な気持ちが押し寄せてくる。気分も少し落ち着いたきたので水を流し口も洗ってから戻る。
と、そこにはまだ稟ちゃんが先ほどと同じ状態で横たえられていた。その近くで遠野先生がレントゲンを真剣な様子で見ている。
「遠野先生!稟ちゃんの容態は!?」
急いた気持ちがどうしても声を荒げさせてしまう。そんな私の声に遠野先生が落としていた目線を此方に向けた。
「薬師寺君か。容態は心臓発作で運ばれてきたが今はそれも落ち着いてきている。ただ、意識が戻らない原因が分からない」
心臓発作と聞いて自分の心臓も何かに捕まれたように痛む。
「なら、オペは!?」
こんな短時間でオペが終わる訳はない。
「それができない。原因が分からないんだ。心臓発作を起こした理由も」
その言葉に事の重大さが段々とわかってくる。もともと稟ちゃんの不調の理由はわかっていなかった。それが今、命に直接関わる事態になったときには致命傷となる。
「薬師寺君、今日はもう帰りなさい」
驚いて遠野先生を見る。
「顔が真っ青だぞ。そんな奴にどの患者も診させるわけにはいかん」
「でもっ」
「命令だ」
「っ」
その後どうやって家に返ってきたは覚えていない。ただ気がついたらベッドに座り込んでいた。服は病院に出向いた時のものなので返ってからそのまま座り込んでしまったようだ。
稟ちゃんが心配でならない。そして何もできない自分が腹立たしい。私はどうして医者になったんだっけ?こんな時に患者を救ってあげたいから?違う、ただ引かれたレールの上を走ってきただけ。そんな風に医者になってしまった自分が今になって許せない。
稟ちゃんを心配して、無力な自分を責めてを繰り返してる内に窓の外が再び明るくなってしまっていた。
「いけない、もう時間だ」
お風呂に入って軽く化粧を済ませると病院に向かった。
しかし病院に着き遠野先生に会うとまた家に帰された。少しは言い返したが有無を言わさず追い返されてしまった。
家に舞い戻ってくると昨日と同じようにベッドに座り込んでしまた。
「何やってんだろ、私」
ほんとに、なにやってんだ。
夜になって、こんなことしていても仕方がないと思い至りお風呂に入ってから無心で寝た。
そうやって目の隈も取り、病院へ行くと今度は追い返されずに済んだ。
そのまま何とか仕事をこなした。勿論途中に稟ちゃんの様子を見に行ったり容態を遠野先生に聞いたりはしたけど。
仕事を終えると自分の力なんてたかが知れてるとはわかってはいるが諦められずに稟ちゃんの病気が何なのかを調べる事に時間を費やした。
そんな生活を10日繰り返したとき、稟ちゃんが目を冷ました。その知らせを聞いて涙が流れた。お母さんの後稟ちゃんと話してまた涙が出てしまった。稟ちゃんには笑われてしまったがどうしても止まらなかった。
稟ちゃんはその後は段々容態が落ち着いていき入院する前よりも良いくらいになり三ヶ月で退院していった。
この出来事が私のターニングポイントになった。稟ちゃんみたいな娘を救える医者になりたいと決意した。その為には最先端の現場で修行するしかないと思って稟ちゃんの容態を調べている時にメールで問い合わせたアメリカのある病院に話を通した。でも、もちろんこんな新米に給料なんか出ないし、勉強に行くんだから他のバイトもできない。つまり手は1つしかないわけだ。その手の為に稟ちゃんが退院した後勤務して初めての有給を取って実家に帰った。
その日の夜、夕食がちょうど済んだとき父さんに思い切って口を開いた。
「父さん」
「なんだ?」
「お願いがあります」
「あら、桐子がお願いなんて初めてじゃない?」
母さんに言われてたしかにそうだったかもしれないと思った。私って父さんと母さんに言われるまま育ってきたかもしれない。
「で、どんなことだ?」
「・・・私、アメリカのある病院で働きたいと思ってるの。でも・・・だから・・・その、お金を優遇してほしいの」
「・・・で、お願いってのはそれだけか?」
「はい」
「・・・無理だな。そんなことは賛成できん」
「っ、なんでっ」
「桐子?お父さんはあなたのことが心配なの、わかるでしょ?」
母さんまで父さんの肩を持つの!?
でも、私にも引けないことはある!
このまま言葉だけで頼んでも多分拉致があかない。だから、席を立つと膝を地面に付ける、そして額をも床にこすりつける。
「桐子!なにやってるの!?」
母さんの叫び声が聞こえるが無視。
「お願い!!どうしてもアメリカに行きたいの」
その後私が何でそんなことを思うようになったかを一所懸命話した。
話し終えると食卓に沈黙が落ちた。
その沈黙を破ったのは父さんだった。
「桐子・・・。わかった。お前の好きにしなさい。お金も心配しなくていい」
「あなた!」
「お前は黙って為さい。桐子、私はお前が心に何もなく医者になったように見えてそれが不安だった。誰かを救いたいって気持ちが医者には何よりも大事なものだ。お前がそれを持って医者になれなかったのは私のせいだ。だが、お前は自分でそれを手に入れたんだ。・・・私なんかが反対はできないな。そういうことならむしろ賛成だ。好きにしなさい」
「父さんっ、ありがとうございます」
父さんの援助もありアメリカに渡った私は貪欲に飢えるように知識と技術を学んだ。最初の1年はただただ必死だった。2年目は色んな先生のオペを見せて貰った。3年目は尊敬するゴッドハンドのもと教えを受けた。4年目は珍しいオペや症状の患者を看に世界中を飛び回った。そして、5年目に入ると勤務先の病院では若いゴッドハンドと呼ぶ人も出てきた。そしてアメリカに来て4年半が経った頃、実力が少し付いてきたと実感してきた頃、大阪のあの病院から腕の良い医者が欲しいと依頼があり日本に戻ることになった。今の自分なら、あの時稟ちゃんの病気の原因もわかったかもしれないとも少し感じていた。
2月末、4年と半年ぶりにあの病院の前に立った。初めてここに来たときのことを思い出す。あの時は緊張や不安で立ち尽くしていた。でも今は懐かしさでいっぱいだ。私が変われた場所。
「桐子・・・先生?」
名前を呼ばれて振り返るとそこには小学生か中学生かというとんでもない美少女が立っていた。
ん?この顔の面影・・・もしかして、
「稟ちゃん?」
「はい!そうです」
確かに育てばこうなるだろうといった感じかもしれない。
「病院になにかあったの?」
「え〜と・・・実は4年の頃からまた調子が悪くなっちゃってて、また通院することになってもうたんです」
「ぇ?」
そうか!
ピンと私が呼ばれた理由に思い至った。私を呼ぶに至った経緯として今年遠野先生が歳で医者を引退するため代わりの凄腕のできるだけ若い医者が欲しいからと聞いた。でも、本当は遠野先生が私を押してくれたに違いない。でないとさすがにまだ若すぎる私なんかが呼ばれるわけがない。
「桐子先生がここにおるってことは戻ってきたんですか?」
「うん、そうなの。また今日からよろしくね」
期待の籠もった声に頷くと稟ちゃんが喜びの声をあげてくれた。
稟ちゃん分かれた後、予想通り遠野先生に色々説明され、これも予想通り私は稟ちゃんの主治医となった。
その後、私は仕事の合間を見つけては稟ちゃんの容態解明に躍起になった。でも原因がわからい。そのまま、稟ちゃんは小学校を卒業、私が主治医になってから半月が立っていた。最初はアメリカでの修行で付いた自信に私も落ち着いていられたが、段々と焦りがでてきてしまう。どうしても心臓発作で運ばれてきた稟ちゃんの姿が頭にちらついてきてしまうのだ。そのため、春休みの強みをいかして稟ちゃんには週三回診察に来てもらい細かく容態の変化を見ていくことにした。
その間、稟ちゃんと色々なことを話したし、稟ちゃんのお母さんとも何度も話す機会があった。
稟ちゃんのお母さんは仕事で忙しいだろうに診察の度に付いてきてくれていた。ホントにできた、娘思いのお母さんだ。
そんな春休み最後の日。
「稟ちゃん、なんだか今日は嬉しそうね」
「わかる?」
「うん、何かいいことあったの?」
「まぁ、あったというか、今からあることかな」
「あぁ、明日の入学式?やっぱり新しい生活って楽しみなんだ?」
「入学式が理由なんはそうやけど、・・・母さんに中学の制服見せてあげられるんがな。なんて言うかあれやん?私ってずっと母さんに心配ばっかかけてもてるやん?父さんもおらんし母さん1人で大変やのに。・・・でもな、中学の制服受け取ってきた時にな、うちの制服姿がもうすぐ見れる言うてものすごい嬉しそうにしててん。あんな嬉しそうな母さんの顔久しく見てなかったから、そんな喜んでくれるとこ明日見れると思ったらな」
「・・・そっか」
そう言えば私が中学に入る時なんか親の気持ちなんか考えたこともなかったな。こんな良い娘が病気で苦しんでていいはずなんかない。もっと、・・・もっと私もがんばらないとだな。
「っ、桐子先生!い、今の話は母さんには内緒な!」
稟ちゃんはふと我に返ったように恥ずかしそうにそう良いながら顔の前で手を振る。
「大丈夫、言わないよ」
「約束やで!?」
「うん、約束約束」
その後診察が終わり帰るまで稟ちゃんは終始ご機嫌だった。
でも・・・・・・。
稟ちゃんのその楽しみしている日がくることはなかった。




