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貴族が罪を犯した場合、よほどの重罪でなければ自宅で軟禁が基本である。
とはいえ王弟の娘を殺そうとした事になっているのだ。いくら貴族と言えど、他の罪人と同じように牢に入れられても何らおかしくはない。
私は今、城内の一角にある塔に監禁されていた。
石の壁は剥き出しになっているとはいえ、絨毯は敷かれ調度品も整えられており、部屋は清潔に保たれていた。話には聞いていたけれど、自分が使う事になるとは考えもしなかった。
手も届かない位置にある、格子の嵌った窓から見える景色は空ばかり。
ベッドの上で枕を抱えながら、じっと息をひそめて裁きの時を待っていた。
何故かは分からないが、私は殺される事なく生きている。
兵士の姿をしたあの男はエスキオラ邸を燃やす事を引き受けた。そして私を手にかける事なく去っていったのだ。周囲では兵士が忙しなく動いていたため難しいと踏んだのか。もしかしたら改めて私を殺しに来るのかもしれない。
男は私の望み通り、本邸と別邸を役人に荒らされる前に燃やしてくれた。使用人には誰一人怪我を負わせる事もなく。どちらの屋敷も今や焦げた木片しか残っていない。――そうグランツが教えてくれた。
時折鳥のさえずりが聞こえるだけの部屋に、扉を叩くささやかな音が割って入った。一拍置いて声が掛けられる。
「マシェリー、私だ」
グランツだ。彼がここに訪れたのは、屋敷が燃えたと報告されて以来になる。
鍵の開けられた重たい音の後、扉の開きに合わせて金具が不快な音で鳴く。彼の踏み入れた一歩は絨毯に吸収された。扉はグランツによって、少しの隙間もなく閉められた。
閉鎖空間に二人だけ。
円形の部屋と調度品。窓から差し込んでくる光は春の麗らかさを運び、ともすれば童話に出てくる情景のようにも思えるけれど、ここはそんなぬるい空間ではない。
「裁判の日程が決まったよ」
柔らかな陽光には似つかわしくない、苦々しい口調でグランツは告げた。
「君が殺し屋からエリシアを庇ったと、エリシア自身の証言もある。マシェリーが重い刑を下される事はないだろうけど……。おそらく身分は剥奪され、修道院に入る事になると思う」
「そう」
打った相槌は平坦で、何の感情も乗っていない。
用件がそれだけならば早く帰ってほしい。ベッドの上で微動だにせず、物言いたげにする彼を見据えた。
何か返そうと開かれた彼の口は、しかし声にならないまま閉じられた。長い足は躊躇いがちに踏み出され、ついにはベッドの前で止まる。悲しそうな表情は、一緒に街に出た時を思い起こさせた。ざわつく感情を抑えつけ、ただ無言で彼を見上げる。
しばしの沈黙はとても心地の良いものとは言えなかった。
以前ならそう思う事はなかっただろう。私達の間にあったものはいつだって心安らぐものだったのだ。
ようやくグランツは口を開いたが、重苦しい空気を変えるものでは到底ない。
「マシェリー。私と共に来てくれないか。このまま君を修道院には行かせたくない」
「……あなたと逃げるという事?」
鼻で笑う。
この人は何を言っているのだろう。
「あなたにそれが出来るの?この荒れた状態を、あなたが、放置出来ると?」
真面目なグランツは今回の一端は自分にあると己を責めているはずだ。
状況を悪化させたのは私とエリシアだった。しかし分かっていて放置していたのは、第二王子側だ。グランツもまた第二王子の下についており、静観していた人間の一人である事に変わりはない。喩え本人がどれだけ介入したいと考えていたとしてもだ。
それにグランツが私を連れ出せば、彼の家であるマキウス家に迷惑がかかる。彼は衝動任せの行動を起こせる人間ではない。
私の中でグランツは、理性的で責任感のある、慎重な人間だった。そのくせ近寄り難さはなく、穏やかな空気を常に纏った、優しい男だった。
だけど彼は、私が長年抱いていた人物像を自ら否定した。
「出来るさ。君が私の手を取ってくれたなら」
こちらに手が伸ばされた。一見すれば軽く差し出されているだけだ。しかしそこには確固たる意志が見えたように感じた。
この手を取れば本当に彼はここから私を連れ出すのだろう。
そんな予感がして思わず後退る。
グランツは物悲しそうに微笑んだ。
「思った通り、私の手を掴んではくれないね。
三年前、婚約の解消が決まったら『仕方がない』と諦めた時と同じだ」
息を飲んだ。
グランツにそのつもりがあったのかは分からない。口調はあくまで穏やかで、怒っている気配はないし、悲しげな微笑に変化はない。
しかし私には、責めているように聞こえた。
競り上がった言葉は、結局は喉を貼りついて声にはならなかった。
「一年後。エスキオラ家を陥れた人物を捕えて君を迎えに行く。その時は僕と一緒に来てほしい。僕の妻になってくれないか」
懇願の声が絡みつく。
逃れようと顔を逸らした。枕を抱いていた手を取られて首を竦める。しかしグランツは構わず、私の手を握り込み、祈るように額に当てた。彼の手は雪の中で立ち尽くしていたように、とても冷たかった。
どくりと、心臓が跳ねる。
胸の内に生まれた不愉快な感情を押し込めるために唇を噛む。そしてそれをそのまま歪ませた。
そうだ。ひとつ、賭けをしよう。
浮かべた笑みはきっと綺麗とは言い難いものだっただろう。
「分かったわ」
「ありがとう」
安堵と苦々しさを混ぜた複雑な声音で、彼は言う。そうして誓いを立てるように私の指にキスを落とした。
「全てが終わったら迎えに行く」
名残惜しさを振り切るように踵を返した彼を呼び止めた。振り返った顔には俄かに期待が含まれていた。だけどその期待に沿うつもりは毛頭ない。
「そういうのはね。ヒーローでなければ死亡フラグになるのよ」
悪役の私が相手なら、あなたはヒーローにはなれない。
言葉の意味が分からなかったのだろう。彼は怪訝そうにする。
せせら笑った。
「せいぜい死なない事ね」
その数日後、私は身分を剥奪され、領地を失った。
裁判官が書面を掲げて高らかに読み上げるのを聞き終える。
微笑み、ドレスの裾を持って腰を折った。
「その処分。謹んでお受けいたします」
その場の誰もが奇妙なものを見る目を向けてきた。




