21-1 ミーシャの連絡帳
寮に戻ってアルオに魔力を補給させた後、簡単な身の回りのことを覚えさせようとしたのだけれど、あらかたミーシャに教えてもらったらしく、魔法を使えないにもかかわらず生活能力が高くて驚いてしまった。
精霊に一般の魔法を使わせることはできないので、とりあえず緊急時の連絡方法や身の守り方、魔の森周辺の地理について教える。きっとミーシャも知りたいだろうから、簡単な本を学院の図書館から見繕ってアルオに渡した。
昨日は寝坊してしまったので、勉強会は早々に切り上げて眠ることにする。同室のキースが「守護精霊はじめて見た! すっげぇ!」と、はしゃいでいるのは無視して連絡帳を開こう。どうやらアルオと気が合うらしいので放っておく。楽しそうにしゃべっている間は邪魔されるまい。決して押し付けたわけじゃないよ。
『<クラウス君へ>
異世界からきました、なんて荒唐無稽なお話を信じてくれてありがとう。たくさん優しくしてもらって、お世話にもなっちゃって、なんとお礼を言っていいのか分かりません。現実逃避もしたけれど、クラウス君に会えて良かった。いつか必ず恩返しするので、どうかそれまで少し甘えさせてください』
連絡帳には小さな子とは思えない筆使いでたくさんのお礼の言葉が並べられていた。保護されるのが当たり前だと思わないのは、彼女が元は大人だったからだろうか。本当は僕も多くの打算や下心があるだけに、胸が痛い内容ではあるのだけれど、ここは素直に受け取っておくことにする。どういたしまして。
『ところで、ここは魔の森と呼ばれていると以前伺ったのだけれど、貴重な素材とか取れるのかな? 私でも採取できるものがあったら教えて欲しいなぁ。ちょっとずつでも何かの役に立ってるという実感がないと、申し訳なさでいっぱいになります』
あー、うん。この思考から例の毒薬作成に至ったんだよね。困ったなぁ。確かに貴重な素材はあるのだけれど、サバイバル技術もない小さな子に採取させるほど僕は鬼畜じゃないよ。とはいえ、断ったらまた無茶をやらかしそうだ。
いっそ最大魔力量が増えすぎて、回復が追いつかない僕のために夕飯を作って欲しいとお願いしてみようかとも思ったけれど、倫理的に問題があるというか、まるでプロポーズの言葉(毎日味噌汁を作ってくれというアレ)のようなので、すぐさま却下する。いや、もうすでに婚約済みか。
『頑張って出来ることからコツコツと慣れるようにします。言葉も覚えたいです。最初、婚約者の契約を交わしたと聞いて驚いたのだけれど、アルオとクララを……ああっ! もう埋まっちゃう。えっ、これも記録されるの? 消すのってどうしたr』
最後はしっかりミーシャの性格がでてたね。詰めが甘いというか、目の前のことに一生懸命になってしまうというか。あー、なんだろ、こうでなくちゃ彼女らしくないと思ってしまうのは、ミーシャに対して失礼なことなのかなぁ。
「なんだよ、お前ニヤニヤしちゃって変だぞ」
遊び疲れたアルオはベッドの横にある籠の中ですでに眠っていた。どうやら暇になったキースがこちらに矛先を向けてきたらしい。
ふわりとあくびを噛み殺して連絡帳を閉じると、燃えるような赤毛の友人に向き合った。
「そうだねぇ、バイト代を貢いでしまうくらいには気に入っている相手からのお手紙だからね」
わざと肩をすくめてみせれば、彼は物理的に距離をとった。
「何も知らない田舎娘に借金を背負わせ、金と権力に物を言わせて……」
「ストップ、ストップ、ストーーーップ!! 待って、それ、僕、すごい悪者」
「巷じゃお前に金を貢がせている女がいるって噂があるけど、俺は信じねぇ! だって、天下のクラウディオ・ルナガルデが騙されるはずねーもん」
それは信用されているのか、いないのか……どっちだ。
「昨日も言ったとおり、色恋で繋がった絆じゃないよ。彼女には僕の保護が必要だし、僕は彼女の力が必要だ。結婚する気はないし、用が済めば解消、用が済まなくても彼女が望むなら何か他の手を考えるさ」
「用済み……最後は手切れ金をつかませてポイ……。いや、お前なら後腐れなくやりそうな気がするけど」
「君の僕に対する評価が良く分かったよ」
確かにいくら保護が必要とはいえ、見方を変えればキースのいうような考え方をすることも出来る。でも、それはあくまで『ミーシャが僕を好き』という前提だよね。今は僕以外のエルフと接触していないから、彼女も僕に頼らざるを得ないだろうけれど、いずれは恋人だって出来るかもしれない。
もちろんハイエルフが恋愛するとなると、いろいろ障害も出てくるだろうけれど……。
そこまで考えたところで、無性に淋しくなってしまった。
数少ない前世の記憶の中の世界を知っているエルフ。今はまだ距離を測っている状態だけれど、彼女が敵ではないのは十分分かっている。このまま仲良くなって僕の前世を明かし、異世界の話をして、懐かしいという気持ちを共有してしまったら……果たして僕はミーシャを手離すことができるのだろうか。
「あー、もう。なんでそんな顔すんだよ。分かったって、お前はそんなことしねーよ」
「どんな顔だよ」
「捨てられたニャーみたいな顔! ……ったく、情が移って捨てられなくなるくらいなら、大人に任せろよ」
「キースは面倒見がいいよねぇ、あのお兄さんたちの弟とは思えないよ」
「あの兄貴たちと小生意気な双子の弟の後始末に追われりゃ、性格も矯正されるもんだって。てか、話題を逸らしやがってコノヤロウ。明日の休み、彼女に会いに行くのか?」
それからもあれこれ聞きたがるキースを無視し、僕は布団へもぐりこんだ。
この先どうなるかはまだ未知数だけれど、とりあえず前に進んでみるしかないのだから、まずは体力と魔力を回復しておくしかないのだ。
翌日、ミーシャのところへ転移しようとしたら、キースが押しかけてきて一緒に飛ばされてしまった。どうやらアルオと交代したらしい。どっちも無茶しすぎだよ! と怒ったら、キースが慌てたように「静かに! 姫様が起きる」と小声で叫んだ。
床にはプレゼントの包み紙が綺麗に折りたたまれて積み上げられ、いくつかのアイテムはすでに飾られたり収納されている。そしてミーシャが寝ているベッドは真新しいシーツとカバーに変わっており、彼女が息をするたびに小さく上下していた。
「朝方まで開封していたものですから」
テーブルの上を空け、手馴れた風にお茶を用意するクララが困ったように肩をすくめる。毎日いろいろあったからねぇ……と、しばらくお茶を飲んで待ってみたけれど、どうもぐっすり寝ているようで起きる気配がない。
キースはキースで、「思ってたよりもちっちゃい……てか、こんなちびに一人暮らしとかさせるなよっ」と青くなって頭を抱えたり、オロオロしたり忙しい。
せっかくの休みの日に彼女の寝顔を見ているだけでは、話が進みそうもないと判断した僕は、むにゃむにゃと夢の世界へ旅行している彼女を現実に引き戻すことにした。
「ミーシャ、起きて」
何度か声をかけながら揺り動かすと、最初は「むーむー」うなっていた彼女の意識が浮上したらしい。
「ふぁ?」
目をこすりながら起きたミーシャは、僕を見て、それからキースを見て、まばたきする。
あ、今、彼女が何を考えたのか分かっちゃったなぁ。




