15-2 忘れていた僕が悪いです
緊張していた体を少し緩め、銀色の魔力の持ち主を探すと、玄関からなにやら楽しそうな声が聞こえた。角を曲がると、ふわりと嬉しそうに火の精霊が目の前を飛んでいく。なにやら香ばしい匂いが届き、続いてバスケットボール大サイズのキャンプファイヤーが現れた。
その火に照らされた美しい銀色の髪の持ち主は……なぜか、せっせと魚に串を通している。しかもふらふらになりながら。
これはいったいどういうことなのだろう。声をかけようと近づいたらアルテミシアの体が傾いだ気がして、慌ててその腕をとった。まだ軽いその体は、そのままくるりと一回転して綺麗に起立する。
頭のてっぺんからつま先までざっと確認すると、大きな怪我はないものの手足に細かい傷がたくさんついていた。特に指先は真っ赤になって痛々しい。本当にどうしてこんなことに?
「クラウ……ディス▲○&%」
柔らかい腕に力がこめられることはなく、ただ呆然と名前を呼ばれた。
焚き火が爆ぜる。パチンという音で我に返った僕は、慌てて彼女の手を離し、赤くなってしまったそこを認めて項垂れた。そんなに強く握ったつもりはなかったのだけれど。
「ごめんね……」
言葉では伝わらないだろうと思ったのだけど、ジェスチャーから感じ取ったのか、アルテミシアは小さくかぶりを振る。けれども不安そうに揺れる翡翠色の瞳に、怒っているわけじゃないんだよと伝えたくて、小さなメモに急いで書き付けた。
『床が血まみれで、異臭がしていたから驚いた』
驚いただけだから、もう大丈夫。そう続けようとして僕は、また失敗したことを悟る。
「&%$#*」
申し訳なさそうな表情で口にした言葉は謝罪だろう。目の前の少女は真っ青になっていた。
……ああ、僕には言葉が足りない。
責めているわけではなくて、何があったのか教えてほしいのだけれど、と悩んでいると、守護精霊の一人がずいっと前に出てきた。黒髪の女の子のほうだ。
「報告なら私が」
「えっ、君。しゃべれるの!?」
精霊ってエルフの言葉を理解することはできても、自分で口にできる存在じゃないと思っていた。守護精霊だから?
「普通は出来かねますが、マスター達は規格外ですので。驚きました」
「無表情で言われても実感しないけどさ」
彼女(クララと名付けられたらしい)から今日の報告を聞く。「魔物っておいしいのかな」発言に始まり、お手製のモリの製作、魚獲り、木の実収穫から火起こし、そして魚の三枚卸に至ったあたりで僕は地中にのめりこむ勢いで恥ずかしくなった。
人は食べなければ飢えてしまうのは当たり前のこと。言葉が通じないならなおさら心細かっただろうし、不安もあったはずだ。僕は転生後公爵家に生まれ、食事から何からすべて何も言わなくても出てくる生活だったけれど、アルテミシアはそうではない。
一人で生きなければと、魔法も使えない身で健気に頑張る姿を想像し、心がぎゅっと締め付けられる。土産にと持ってきたクッキーがやけに重く感じた。『女の子ならお菓子が好きだろう』なんて浅はかにもほどがある。その日食べるものにも困っている人に対して、『パンがなければお菓子を食べれば良いのに』を地でやってしまうところだったのだ。
そんなことにすら思い至らなかった僕はひどいやつだ。優秀だ、将来が楽しみだとおだてられ、ある意味チート気味な魔力と前世の知識に思い上がっていた。婚約者を名乗ったくせに甲斐性なしすぎる。
がっくりしたまま地面を見つめていると、目の前に良い匂いのする焼き魚が差し出された。放っておかれたにもかかわらず、彼女は詰ることも怒ることもせず、ニコニコと傷だらけの手で串に刺さった焼きたての魚を勧める。
今日の成果を僕におすそ分けしてくれるらしい。まだ小さな背では魚を僕の口元に持ち上げるだけでも大変なのか、少しプルプルし始めた姿が可愛くて眺めていると、おずおずと腕を引っ込めようとした。
その腕を今度は軽く掴み、そのまま魚に口を寄せてかぶりつく。
ふわりと香ばしい香りが鼻をくすぐり、続いてふんわりとしながらも歯ごたえのある皮と身が口の中に入った。塩もしょうゆも使っていないが、軽く柑橘系の実を絞ったそれは爽やかな酸味とともにほろほろと崩れて溶ける。
「ん、美味しい!」
素朴な料理なのに本当に美味しかった。そして、なぜかどこか懐かしい味がした。夕食は食べたはずなのに、美味しいものは別腹なのかするすると胃に入ってしまう。優しい味がするのは、調理スキルで時間短縮や処理をしていないからだろうかと考えていたら、ふと違和感を覚えた。
……魔力が回復している!?
美味しい食事で体力が回復するケースは珍しくない。しかし、魔力は睡眠か高価なマジックアイテムでしか回復できないはずだ。おまけに驚いたことに、魔力を使用した際の濁りも浄化されている。これこそ教会本部が販売している霊験あらたかな聖水か、高位神官の祝福クラスの効果だ。
驚いたり回復効果を確かめているうち、もらった魚はあっという間になくなってしまった。がっついてしまったようで、思わず照れ笑いを浮かべてしまう。
「ありがとう。君もしっかり食べてね」
彼女の左手にある食べかけの魚はすっかり冷めてしまったので、新しい方を渡す。冷めてしまったほうは温め直せばまだまだ美味しく食べられるはずだ。
出来心で串を持ったまま顔に近づけると、彼女は少し困ったような顔をしつつもそのままカプリとかぶりついた。
ただの焼き魚が、すごい効能を持ったアイテムになっていることにアルテミシアは気づいているのだろうか……いや、気づいていないんだろうな。絶対に。
一通り食事を終えると、疲れきっていた彼女はうつらうつらと船を漕ぎ出した。
「ミーシャ」
大丈夫? という意味を兼ねて呼びかけるが、こくこくと頷くだけで完全に瞼は落ちている。これは力尽きるパターンだなと、後ろから体を支えてやれば、案の定そのままぐっすり眠ってしまった。
ふわりと薪の火が揺らめき、影が揺れる。
「おやすみ」
力の抜けた体を抱えなおし、治癒魔法をかけるとアルオが心配そうにミーシャの顔を覗き込んだ。
「ましゅたー、いっぱい無理した?」
「今日は頑張ったから疲れたんだね。僕がもうちょっといろいろ気づいていれば良かったのだけど」
面目ない話だ。明日はクララとルナガルデ家の者に頼んで買出しに行ってもらおう。これでも一応働いているから貯金はあるし。
「んー、ミーシャは楽しそうだったから、ごめんの必要はないとおもうよー」
「ありがと」
慰めてくれている守護精霊の頭をわしゃわしゃと撫でると、彼にクッキーの包みと連絡帳を預ける。明日の朝に渡してもらえるようお願いすると、頼もしい返事が返ってきた。
「がってんだ!」
……どこでそんな言葉覚えたんだろう?




