9-1 3人目の婚約者
「婚約って、お前なぁ……」
もごもごと布団の中からくぐもった声が飛んできた。
後に続く台詞を前世の常識で考えると、8歳という年齢で婚約というのは「早すぎるだろ」と思う。
ただ、残念ながらこの世界の常識は少し違った。どちらかというと「遅い」のだ。教会で魔力量が多いと判定された赤ん坊は、大抵3歳ごろになると両親から引き離されて中央の教会へ送られる。そこで教育を受ける間に、相応の魔力量を持つ婚約者があてがわれるといった態だ。
教会で5歳ごろまで過ごし、貴族の里親の元で8歳ごろまで過ごし、全寮制の学院で18歳ごろまで過ごす。そんな生活で親の愛情を感じろとか言われても無理だよね。そのせいか教会出身のエルフはどこか感情にぽかんと穴が開いているのではないかと感じることがある。だから婚約者があらかじめ決められているのは合理的だ、とする声は、鶏が先か卵が先かという論争と変わりない気がするのだけど。
まあ、何事にも例外というものはあるもので、上級貴族は教会に行かないケースが多い。事情はさまざまだけど、僕の場合はルナガルデ家の一員として専用の教育を受けるため。
ゆえに、教会が決めた婚約者はいない。
しかし、家が決めた婚約者達がいる。当然ながら、物心なんてついてやしない時期に決められたのだが。
「彼女は3人目の婚約者になるね」
一言で表すなら「チートハーレム!?」だよ。優秀な血筋を残す云々の理由で、一人に複数の婚約者がついていることはそれほど珍しくない。スペアがいるから、大きくなって性格が合わないと分かっても大丈夫だねという保険適用仕様。ゆえに、学院卒業付近になると、婚約者が変わることもある緩い制度ではあるのだけれど。
どちらにせよ、今の時期に新たな婚約者が追加されるのは妙なタイミングとなる。
「ルナガルデ家相手なら、その子……元の婚約者とは別れることになったんだよな。後悔がなきゃいいけど」
キースは魔力量がそれほど大きくないこともあって、ただ一人の婚約者を大切にしている。もし自分よりも魔力量の多いエルフが彼女を望んだら……と考えたのだろう。ちょっぴりしょんぼりした様子だ。
「いや、彼女には婚約者とかいないよ」
「えっ? ハーフエルフ? それってルナガルデの家は了承しているのかよ」
「ハーフエルフじゃないし、家の承諾はこれから取るし。ついでに付け加えるなら、半分騙してサインさせたから、彼女だって婚約したって気づいてないし」
「うおおおいっ!」
そりゃ犯罪だ。詐欺だ!
顎をガクガクさせながら僕を指差すルームメイト。
「やだなぁ。諸事情からちょっと保護する必要が出てね。僕が介入できるよう婚約者という地位を与えただけだよ」
「そ、そうなのか」
「そうそう、まあ、現地妻みたいなものだから」
「ちょっと待て! そこの薄情男。そんな重要なこと、ちゃんと説明もせずにサインさせるとか、ひどいにも程があるぞ」
この世界のエルフ相手ならそうかもしれないけれど、アルテミシアは異世界からやってきた。しかも、多分、前世の僕がいた世界から。
来たばかりで右も左も分からない状況下、情報過多に陥っている彼女にさらに情報を与えてもパンクしてしまうよね。そう判断して分かりやすい言葉に置き換え、彼女にサイン……して……もらった……けれど……。ん? ……うーん。
「よく考えると、キースの言うとおりだ」
確かにひどいな。
「この天然腹黒男がっ!」
僕が認めると、鬼の首を取ったような形相でキースは枕をこちらに投げつけてきた。風の魔法で難なく跳ね返すと、彼はポフンと音を立てて枕をキャッチする。
「人聞きが悪いよ。向こうが解消したくなったら、『前向きに検討しよう』と思ってるし」
「そこは『すぐに応じる』って言えよ。俺、なんかその子が心配になってきた」
確かにあんなにすんなりと引っかかるとは思わなかったなぁ。本人は「私、大人だもん」と主張していたが、小さな女の子が主張しても微笑ましいとしか思えない。実年齢、何歳だったのだろう。
「うん……僕もちょっと心配になってきた」
「お前が言うなああああ!」
もちろん悪いようにする気はないんだよ?
彼女とのつながりを持てるように、そして、もし教会など大きな権力を持つところから圧力がかかった場合に僕が直接介入できるように。さらに、彼女との間に横たわるさまざまな問題を解決するのに便利な守護精霊を傍につけられるようにと考えたら、婚約が一番合理的だったんだよね。
「そういえば、祝福魔法で守護精霊召還できた」
「まじかよ。お前の魔法の才能、でたらめすぎだろ」
祝福魔法は半ば高位神官の専売特許だ。中央教会にいる高位神官で、召還ができるのは片手分にも満たないだろう。いやあ、物は試しにやってみるものである。
祝福魔法は、攻撃魔法と違って魔力の濁りは少ないが、精霊を使役することになるので成功率はかなり低い魔法だ。今回成功したのは、多分、彼女に寄り添っていた闇の精霊が協力してくれたおかげだと思われる。
実は召喚したとき、守護精霊達の容姿を見てちょっとびっくりした。褐色の肌に銀髪の闇の精霊は、前世の僕のアバターに似ていたからだ。黒髪の文学少女っぽい光の精霊は彼女の前世に似ていたのかな。
「慣れない魔法のおかげで、魔力は空っぽに近いよ」
ふわあと、あくびを一つ。
「普通はぶっ倒れるもんだがな。というか話それたけど、婚約者って誰だよ」
「誰なんだろうねぇ」
「時々お前の性格が恨めしくなるぞ」
本当に僕は彼女のことをまだ知らないんだ。
森の中を歩き回ったり、大魔法を使ったりといろいろあったせいで急に瞼が重くなってくる。よく考えれば、昨日から働き通しだものなぁ。
明日は学院に顔を出さなきゃ。実家に連絡も入れなきゃいけないな。でも、眠くて眠くて考えがまとまらない。ぶつぶつとキースが何か言ってる気がするけど、先に寝るね。もう無理。
「貴族ってことはないよなぁ。ということは平民? ハーフエルフじゃないのに婚約者がいないって、どこの辺境の田舎娘だよ。保護って言ってたけど……本気で犯罪じゃないよな。うーん、うーん」
おやすみなさい。




