8-1 気づいているのか、いないのか
不意に彼女の瞳がきらめいた。
なにかを探り当てられられるような、そして体の中から情報を引きずり出されるような感覚に襲われる。あまり愉快ではない感覚に眉をひそめると、彼女の小さな唇からとんでもない名前が出てきた。
「エルファーレン・セインロード?」
それは前世での名前。
誰も知るはずのない、僕のアバターの名前。
エルファーレン。
封印され、歴史書から削られ、この世界から存在とともに消されてしまったはずの名前を、どうして君が知っているの?
一瞬、裏切られたのだと、心が痛んだ。命を助けてくれた恩人、そして命を助けた恩人だという甘えがあったのかもしれないと、急速に冷えてゆく指先をぎゅっと握り締める。周囲の温度もぐっと下がったような気がして手元を見ると、実際に駄々漏れの魔力が周囲を凍りつかせようと冷気を発していた。
ちらりと少女を見る。
僕から何らかの方法で情報を引き出したであろう彼女は……動揺するばかりか、竜の逆鱗に触れてしまった村人Aのように震えていた。ん? なぜ?
「ねえ、君。何をしたの?」
どこまで僕のこと知ったの?
何を知ろうとしたの?
自分から仕掛けておいて何を怖がるというのだろう。プルプルと首を振る銀色の少女は、目に涙を浮かべて口元をこわばらせる。
一歩、僕が近づく。
一歩、彼女が後ずさる。
ふと、この少女は本当に何も知らなかったのではないかという疑問が頭の中をよぎる。うーん、なんというか敵方にしてはあまりにも無防備なんだよね。魔道具の類も持っていないし、逃げるための魔法を用意している気配もない。
彼女の横にちょこんと立っている闇の精霊は、「どうしたの?」といわんばかりに首をかしげているのだから、攻撃の用意もなさそうだし、むしろ全面降伏しようにも怖くて言い出せないというか……そんな感じがして。
ああ、そうか。この態度。小さな末の王子が困ったいたずらをして、それが見つかったときの態度にそっくりなんだ。特に本人が悪気なくやってしまったいたずらに。
「オイタは駄目だよ」
叱るよりも効果的だった方法を思い出しながら、にっこり微笑むと、僕はカプリと耳に噛み付いた。
あたりに声にならない悲鳴が響いたのは言うまでもない。
あ、僕、呪いとかかけてないからね。
想像以上に必死な顔で説明してくれたのは助かったのだけど、彼女の中で僕の評価が『畏怖すべき存在』になっている気がする。
***
凍結していたしていたクローゼットの転移陣を起動させ、寮の自室に戻ってくると、そわそわと落ち着かない様子のルームメイトが待っていた。
部屋の入り口に向かって。
「……えーと、ただいま?」
「うおおおっ!? なんでクローゼットから戻ってくるんだよ!」
実家(ルナガルデ家)は代々魔術師団長の屋敷であるため、守護の魔法が幾重にもかかっている。その魔法をかいくぐるよりも、寮につなげるほうが簡単だったから。そう説明すると、学園にも守護の魔法は幾重にも張り巡らせてあるはずなのに、と彼は顔を引きつらせた。
「相対的なものだよ」
「クラウスの実家を基準にしたら駄目だろ……」
優等生のように見えて実は突拍子もないルームメイトに少々呆れながら、彼は手に持っていたカップの中身をぐいっと飲み干した。
燃えるような赤い髪にパッチリとしたこげ茶色の瞳、幼いながらもしっかりとした筋肉がついた彼の名前は、キース・サンライズ。代々魔術師団をまとめるルナガルデとは逆に、代々騎士団をまとめるサンライズ家の三男坊である。
聖王家の両腕ともなるルナガルデ公爵家とサンライズ公爵家の子息を預かることとなった学院側は、ルームメイト同士が対等に過ごせるよう、なるべく家格がつりあったもの同士を同じ部屋に入れるという理由で、僕と彼を同じ部屋にした。まあ、それは建前で、本当は問題児の多いサンライズ家を警戒して、唯一押さえられそうな僕を同室にしたというところが正解のような気がするけれど。実際はともかく。
結果として、明るく気さくな友達と過ごせることになったのは大歓迎だ。かなり濃い面子がそろっているサンライズ家の中では珍しい常識人ということも、暮らしてみてよく分かった。苦労人なんだよ、こいつ。
「あー、とりあえずホットミルクでよかったら飲むか? 背、伸びるぞ!」
兄二人に比べてまだまだ小さいのを気にしているキースは、1日1リットルのミルクを飲んでいる。
「ありがとう。あと、ただいま」
ほかほかのホットミルクが入ったマグカップを受け取って口をつけると、キースも自分のマグカップに残りのミルクを注いだ。僕たち骨太になれるかな。
「ん。無事でよかった」
彼はその名のとおり、まるで太陽のように朗らかな笑みを見せた。
学院の授業で出される宿題はさほど多くはない。といっても、それは僕やキースがまだ1回生だからだ。まだ1桁しか生きていない僕たちは眠って体を作ることも教育のひとつであると考えられており、体を動かすことによって得られる感覚の経験値が重視される。逆に最終学年である10回生になると、頭で考える知の経験値が重視されるため、勉強があまり好きではないルームメイトは複雑そうだ。
「明かりを消すよ」
「おう」
寝る子は育つという言葉がこちらにもあるように、上記の理由から僕たちの就寝時間は早い。
手元にアンティーク調の小さなランプはあるものの、部屋を照らす大きな明かりは学院の教官が消してしまうため、魔法制御のままならない1回生はさっさと眠らざるを得ないのだ。
僕は読書用の小さなランプを消し、木でできた小さなベッドにもぐりこむ。硬いマットと薄いシーツの寝心地は、あまり良いとはいえない。けれど、この程度で不満を言うようでは将来騎士団や魔術師団に入ったときに野宿などできるはずないだろう。
「なあ、クラウス」
「ん?」
「お前さ、いくら才能があるといったって、所詮俺と同じ子供なんだからさ、無茶するなよ」
言外に心配したと告げるキースに、心配してくれてありがとうと返す。すると隣のベッドから寝返りを打つ音がした。
「お前。魔力の濁りが浄化されるまで、仕事はしばらく休みって言ったけどさ、あれ嘘だろ?」
「どうしてそう思うの? 王宮に行ってないことは、調べたらすぐ分かると思うけど」
「俺は魔力自体は大きくないけど、魔力を感じ取るのは得意なんだ。でさ、クラウスの魔力……滅茶苦茶おかしいんだよ。確かに今朝会ったときよりも魔力の濁りは消えてる。なのに、信じられないくらい魔力を消費している。魔力を濁らせずに消費していることも変だし、その辺の大人のエルフよりも魔力量の大きいお前が大魔法を使う状況ってどんなだよ」
お互い言えない秘密なんてのはあって当然だし、隠し事はなしなんて言えるほどお気楽な家系じゃないことは承知しているけれど、話せる範囲でいいから教えてほしい、自分で助けになることがあるなら手伝いたいとキースは呟く。
「君は本当に優しい友達だよ」
「はぐらかそうとしたって……」
「あのね。僕、婚約しちゃった」
えへ、と笑って見せると、深刻そうに眉を寄せていたキースは口をあんぐりとあけて……そのまま現実逃避するように「さー、寝るか」と頭の上まで布団をかぶってしまった。




