7-2 まるで陸に上がった魚のように
それから程なくして銀色の魔力の持ち主は見つかった。
「えっ。死体……じゃないよね? 大丈夫? ちょっと、生きてる?」
ただし、意識不明の上、痙攣を起こしているという状態で。まるで陸に上がった魚のように時折跳ねる。
倒れていたのは5歳くらいの女の子だった。銀色の髪に白いワンピースを着た彼女は、細かい傷がたくさんついた小さな手をぎゅっと握り締めている。唇を噛み締め、額に汗を浮かべて苦しんでいる様子に、僕は警戒を解いて慌てて駆け寄った。
ざっと確認した感じ外傷はない。麻痺……いや、毒か。何の毒を盛られたのか分かれば解毒魔法がかけられるのだけれど、こういうときこの魔法は使い勝手が悪い!
「返事しなくてもいい。緊急事態のようだから色々失礼するよ」
声をかけながら地面にマントを敷き、その上に窒息しないよう横向きに寝かせる。それから固く握られて冷たくなった指先に触れ、まずは失われた体力を回復させるよう温かい魔力を注いだ。僕はあまり回復魔法が得意ではないので効果は低いだろうけれど、時間稼ぎにはなるだろう。
しばらくすると少し楽になったのか、彼女の呼吸が緩む。強張っていた体の力が少し抜けていることを確認して、彼女の背中の影に手を置いた。
「闇の精霊よ、出ておいで。彼女に何があったのか報告して欲しい」
手のひらから影に魔力を注ぎこむと、実体化も覚束ないくらい弱った闇の精霊が影から出ようと手を伸ばす。紫スライムのような状態になった闇の精霊の手をとり、ぐっと引き出せば、もう片方の手は彼女のワンピースをぎゅっと握り締めていた。どうやらとても心配性らしい。
「大丈夫。少し回復させたから、その手を離しても彼女が死ぬことはないよ」
ふわふわと形を変えながら揺れる精霊を安心させるように何度も撫でる。するとようやく落ち着いたのか、闇の精霊はプルプルとしながら僕の手の上に乗って、あれから彼女に起こった出来事を身振り手振りで僕に伝え始めた。
目印を作りながら森の中を彷徨う話を聞いたときは、迷子というより冒険者だなという印象を持ったのだけれど、そんな彼女が偶然のように『隠れ家』にたどり着いたことに驚愕した。あれには強力な結界を張っており、普通なら入ることはおろか、見つけることすら難しい。
……っと、いけない。今は毒の治療が優先だ。結界の件も彼女が落ち着けば情報が得られるだろう。
慎重に彼女の行動記録を追いかける。
「え? 花を口に入れた?」
きゅいきゅいと頷く闇の精霊にその花の特徴を詳しく聞くと、どうやら聞き覚えのある毒花のようだった。知り合いの熟練冒険者が虫除けの道具として使っていた記憶がある。
知らずに口に含んだのだろうか、それともお腹が減っていたのだろうか? 真相はよく分からないけれど、とりあえず無事に解毒できそうなのでホッとした。うん、これならなんとかなるだろう。
***
さく、さく、さく。土を踏みしめる音が静かな森に響く。サラサラと流れる川の音が遠くになるのを感じながら、僕は記憶の奥底から隠れ家の場所を引き出していた。
『この姿』で訪れるのは初めてだ。前世……と言って良いのか分からないけれど、前の僕の体が死ぬまでは、避難所代わりにわりと頻繁に訪れていたため、少々地形が変わってもなんとか覚えている。とはいえ、一度行ってマーキングをした場所でなければ転移魔法は使えないのだが。
背中が温かかった。背負った銀色の君は時折甘えるように頬ずりするものだから、その柔らかさがくすぐったくて仕方ない。
こうして触れていると、ここは仮想世界ではなく、実在する世界なのだと実感してしまう。
「ん」
「あと少しで着くからね」
声をかけると彼女は頷くようにして、こてんとまた頬を僕の首筋に埋めるのだった。
思えば不思議なめぐり合わせと衝突することが多い気がする。
前世は大学に通うごく普通の学生だった。……はずなのだが、友達に誘われてはじめたオンラインゲームに閉じ込められ、老若男女関係なく様々な人と否応なしに関わることになった。仲間になったプレイヤー達とゲームクリアしたけれど、現実世界には戻れず、不老不死のアバター(ゲーム内での操作キャラクター)のまま過ごすことになったら、今度はNPCと呼ばれるゲーム内キャラクターが意志を持って動き始め、彼らとも関わることになった。
新しい国を立ち上げたり、未踏の地を冒険したりして過ごすこと数年、今度はプレイヤーの誰かに殺されて、100年後の現在に転生。第2の人生……もといエルフ生が始まる。
いやあ、なかなか波乱万丈だよね。個人的には死んでもこの世界から離れられなかったことを恨むべきか、前世の知識を持ったまま転生という特典に喜ぶべきか複雑な気持ちなのだけれど。できれば記憶を持たずに、まっさらの状態で生まれたかったというのが本音だ。
だってなまじ記憶があるだけに、僕を殺したのが誰だったのだろうとか、どうしてこの世界でやり直しさせられているのだろうとか、家族にもいえない悩みを抱えて悶々としてしまうからだ。
もう一つ厄介なことに、プレイヤーでしか知りえない情報をうっかり口にしないように気を配らなければならない。プレイヤーはアバターでいる限り年を取ることがない、ということは100年後の今でも生きている可能性はゼロではない。プレイヤーを殺せるのは同じプレイヤーだけで、NPCやモンスターにやられても復活の神殿に強制送還されるだけなのだから。
まあ、彼ないし彼女が消したかったのは僕のアバターだったのか、魂だったのか分からないので、再会したときに必ず狙われるとは決まっていないのだけど、用心に越したことはないと思っている。
そういうわけで、犯人に気づかれないよう普通に生きる予定だったのだけれど、家柄が普通じゃなさ過ぎて到底無理だと気づいたのは3歳の頃だった。うん、遠い目にもなるよ。顔面偏差値だってビックリするほど上がってて、鏡を見るたびいたたまれない気持ちになる。前世では普通だったからなぁ。アバターのときは借り物の体という感覚が強かっただけに、さほど気にならなかったんだけどね。
逆に僕に復讐心はないのかと問われると、そこは複雑な気持ちだ。良い気分ではないことは確かだ。しかし、そこまで恨まれる理由が思いつかないのだ。若干そのときの記憶も怪しくなっているし、なにか理由があったのかもしれない。
根が楽観的な僕は、前世のドロドロとした一件は棚上げし、歴史を紐解くような感覚で対峙することにしている。無理に前世の僕とリンクさせると、今の僕もひどく歪んでいくような気がしたからだ。
なにはともあれ、彼女との出会いは僕にとって大きな転機になるに違いない。そんな予感があった。




