4-1 頭隠して尻隠さずとは
「ぐほっ!!」
なにかひどくむせたような声がする。そういえば傷薬を舐めた友人が同じ声を出していたなと場違いながら笑いそうになった。
そんな思いが伝わってしまったのか分からないが、熱を持っていた傷口に水がかけられる。ひんやりとした冷たさが気持ち良いと思った瞬間、麻痺していた感覚が戻ってきて傷の痛みを訴えた。どうやら僕は手当てされているらしい。けれど、おそるおそる傷薬を塗る慣れない手つきから、手当てしてくれている者はどうやら魔術師団の者ではないようだ。
謎の影に襲われた後で、しかもこの魔の森に現れた地点で怪しいこと限りないのだが、なぜか安心してしまう。それは、僕に触れているのが柔らかい銀色の魔力の持ち主だからかもしれない。こんなに濁りがない清廉な魔力は感じたことがなかった。
一番大きな背中の傷に触れられ、うめき声がもれそうになる。でも、痛みを表せば逃げられてしまいそうなので、必死で我慢した。
治療をされている間、この不思議な存在について考えてみる。結界の近くで会った黒い影と手当てしてくれている銀の魔力の持ち主に何かつながりがあるのか、どうして魔の森にいるのか、何故僕の手当てをするのか。傷口に触れる手が小さいことから子どもかコビット族だとは思うのだけれど、コビットにしてはどうも魔力の質に違和感を覚える。かといって普通のエルフとも思いにくい。キラキラと光る優しい魔力はどこかで感じたことがあった気がするのだけど……。うーむ。
傷薬に含まれている痛みを和らげる効果が効いてきて、何とか体を動かせそうになってきた。
あれこれ考えるよりも直接聞いたほうが早いだろうと判断し、指先に力を込める。
「ん……」
うつ伏せの状態から頭を起こそうとしたら、脱兎の如く逃げられた。
あれ? どうして逃げるんだろう? 僕怖くないよ?
まだ傷は引き攣れるが、立ち上がれないほどではない程度には体力が回復している。底をつきかけていた魔力も転移魔法くらいなら唱えられるくらいに回復していた。そこまでなら自動回復スキルに感謝するところなのだけれど、不思議なことにあれだけ攻撃魔法を使ったにもかかわらず魔力が濁っていない。
茂みの中でプルプル震えながらこちらを伺っている存在が何かしてくれたのだろうか。
保護すべきか考えたが、僕から逃げるということは今は接触したくないのだろう。僕もこれ以上何かあったときに対処できるだけの余力はない。一度報告に戻るか。
軽く土をはたいて荷物に手を伸ばす。
「火と風の精霊よ、乾かせ」
手当てに使われたらしく、ハンカチやポーチはずぶ濡れになっていたが、魔法を軽く混ぜ合わせて瞬時に乾燥させた。
適当に荷物を拾うと、茂みの奥にいる生き物に対して追跡の魔法陣を描いた。闇の精霊に監視するよう命令すると、精霊は何故か嬉々として影の中に滑り込んでいく。事務的に命令をこなす精霊の予想外の行動に少々いぶかしむが、一応見失うことはなくなっただろう。
同時に城へ転移する魔法陣を上書きし、少し後ろ髪を惹かれる思いで飛んだ。
城へ戻った僕を迎えに来たのは驚いたことに父上だった。
「クラウディス!」
宮廷魔術師団の筆頭である父上は大抵あちこちの会議や視察に出かけていることが多いため、掴まらないことが多いのだけれど。
「父上……何故ここに?」
「シグ主任から報告を受けたからだ。お前から聞きたいことは山ほどあるが、まずは治癒術師に見てもらいなさい」
普段温厚で口数の少ない父上が少し青ざめているのを見て、ああ……心配してくれたんだと思うと、迷惑をかけたにもかかわらず、嬉しい気持ちと安堵の気持ちが混ざって顔が熱くなる。
「あの……ご心配をおかけしました」
「うん、心配したよ」
ポンと頭の上に手を置かれると、軽く回復魔法がかかったのが分かった。城の最後の砦である父上はあまり魔法を使わない。
「ありがとうございます」
「今日は実家に帰っておいで。学院には連絡を入れておこう。じゃあ、あとで。シグ主任、任せたよ」
「かしこまりました」
貴重な時間を僕に割いてくれていたらしく、秘書を連れて父さんは急いでどこかへ行ってしまった。
「ルナガルデ師団長が来てくださるとはな……お前愛されてるな」
シグ先輩がニヤリと笑った。けれど、どこか嬉しそうなのは父上から直々に頼まれごとをされたからだろう。父上は人望が厚いからなぁ。
「先輩も来てくださってありがとうございます」
にこっと笑うと、僕達は医務室へと向かった。
「失礼します」
堅い樫の木で出来た扉を開けると、薬草のニオイが部屋の中から廊下へ漏れ出した。壁際の棚にはぎっしりと薬の入った小ビンが並んでおり、ロフト部分では天井から降り注ぐ明かりを利用して薬草の栽培も行っている。
「ようやく来たか……ん、思ったよりも元気そうで良かった」
真っ先に出迎えてくれたのは兄上だ。ああ、シグ先輩の温かい目が口ほどにものを言ってるよ。「お前の家族、本当に過保護だよな。ほのぼのしてるよな」と。
「兄上、ご心配おかけしました」
濃い紫色の髪に、アクアマリンの瞳を持つ兄上は回復魔法の腕を認められて医務室で勤務している。攻撃魔法もかなり操れるのだけれど「攻撃魔法は性に合わないから」という理由で、学院でも治癒術を専攻している。
続いて部屋の奥から、赤紫色に染まった白衣を着たエルフがひょっこり顔を出す。
「クラ坊、死に掛けたんだってな! どうだ、天国をちらっとでも覗けたか?」
がはははと大きな声で笑う髭もじゃもじゃの大男は医務室の主だ。どうみても大剣を持って騎士団で振り回しているほうが似合いそうなのだけれど、顔に似合わず繊細な調合をする腕利きの治癒術師だ。
「天国は見えませんでしたけど、天使は降りてきたかもしれませんね」
「そーか、そーか。思いっきり苦い薬を用意しているから、今度は地獄を見てこいや」
……彼の薬は良く効くのだけれど、味が難点だ。破滅的な味の傷薬を塗り薬へ発展させた兄上が、騎士団から褒め称えられているのも頷けるほどである。
うう、頑張って飲もう。




