19 E:お手製の蚊取り線香
日本には除虫菊と呼ばれる植物がある。乾燥させて粉にしたものを固めたものが蚊取り線香、その有効成分を人工合成で作ってスプレーにしたのが、アー○ジェットをはじめとする殺虫剤だ。ピレストロイド系殺虫剤。余談だけど、セアカゴケグモに効くのは今のところこの系統の薬剤だけらしいよ。大きさにもよるけれど、噴射してから約十秒でコロリ。
今回のターゲットは、クモや某昆虫Gよりもこれに弱いと推測される虫だ!
ゴリ、ゴリ、ゴリ。石の盆いっぱいの花をすりつぶしたら、小袋に移し変えて次の花を入れる。
「イヒヒ……粉々に~こなっごなにいいいぃ」
異世界でも除虫菊と同じような作用を持つ植物が見つかるとは思わなかったなぁ。見つかるというか、体張って見つけてしまったというか。意図しない遭遇だったんだけどね。そんなに大量に口に入れたわけではないけど、作用自体はこっちの植物の方が強そうだ。
「僕もやるー」
「どうぞー」
小さな女の子と精霊がキャッキャ楽しそうにすりつぶしている光景だけみれば、ポプリでも詰めているように思うだろう。実際はもっと物騒なものを製造しているわけだが。
「それにしても、僕もその黒い霧を見たかったなぁ」
「圧巻だったけど、見て楽しいというよりは不気味だったよ」
事の発端は昨日、クララと採取していたときに遭遇した黒い霧だった。森の奥を低く唸るような音を立てて、黒い霧が広がったり収束しながら移動していたのである。霧の大きさは約3~5メートル。一瞬こちらに気づいた様子だったが、じっと立ったまま動かないでいると、そのまま何事もなかったように飛び去っていった。
ざわざわとした音が遠ざかっても、私はまだ動けず、しばらく立ち尽くしていた。耳の奥で、まだあの羽音がずっと信号を送り続けている。
目の前を通る際に見えた黒い霧の正体は、小さな蜂のような生き物だった。2センチほどの虫が何万と集まって群れを成し、それが黒い霧に見えていたのである。
「分蜂……なの?」
「分蜂?」
「ミツバチは増えすぎると、新しい巣をつくりに引越しするのよ」
彼等は雨宿りしたりしながら新天地を探す。そして、女王がここと決めた位置に新しく巣を作るのだ。気性はとても穏やかで、自分や巣を攻撃されない限り襲ってこない。よくスズメバチや熊に狙われるので、あまり目立つところに巣を作ることはないのだが……もしかすると、彼らが来た方向に巣があるかもしれない。
「ね、クララ。元の巣を探しに行ってもいいかな?」
「ハニービーなら、まあ、近づかなければいいっすよ」
あれはハニービーというらしい。うん、ミツバチの分蜂説はかなり正しいと見た。
半径5メートル以内には近づかないというのを条件に、クララと私は元の巣を探す。なるべく音を立てないよう、彼女に先導してもらい、なるべく柔らかい土の上を歩いた。森のもっと奥部分には、キラービー(ハニービーを狙うといってたから、スズメバチみたいなものかなぁ)という凶暴な蜂が、地中に巣を作っているらしいので、不自然に盛り上がっているところがないか一応注意する。踏んだら地雷の如くキラービーが襲い掛かってくるらしい。怖すぎる。でも、巣を守るためと考えれば当然か。
川が見える範囲内になければ諦めようと進んでいたが、思ったよりも早く巣は見つかった。川沿いの花から蜜を集めていた働き蜂を追いかけたらたどり着いたのだ。
ハニービーの巣は樹木の枝に挟まるような形で存在していた。大体バレーボール程度の大きさで、色は白っぽい。3メートルほど上にあるので、もっと大きいかもしれない。働き蜂が頻繁に出入りしていることから、彼らの住処であると分かる。
「生態系は元の世界と共通する部分もあるんだなぁ」
「アルテミシアの世界にもハニービーが?」
「いたよ。丁度あんな形の巣を作るんだよね。まあ、よく見かけるのはアシナガバチの巣だったけど」
ちょっと緑がある程度の都会じゃ、なかなかミツバチの巣やスズメバチの巣と遭遇する機会はない。蓮の実というか、シャワーヘッドのような形の蜂の巣を作るアシナガバチが関の山だ。足をだらんとさせてフラフラ飛んでいる程度なので、実害はほとんどない。
「ちなみにアレは魔物?」
「たまに魔力の残渣を溜め込んで魔物になるキラービーはいるけど、あっしが知る限りハニービーはただの動物っすよ」
「それは良かった」
ニヤリと笑った私は、悪い笑みを浮かべた。
そんな経緯があって、蜂の巣ゲットを目論みつつ、下準備に余念がないのであります。蜂蜜ゲットするんだ!
「念願のハチミツ漬にハンドクリーム製作、あわよくば花粉も食べられるかもしれない」
蜂の子は、イザというときのたんぱく質に……。甘いけれどイモムシみたいで、食べるのは若干勇気がいるんだよね。はちみつ漬けにして保存しておいても良いかも、などと取らぬ狸の皮算用ながら想像は尽きない。今朝のクッキーを食べて、やっぱり甘いものが欲しいよなぁと思うのだ。
「よし、これで全部出来たよー!」
わあい、と無邪気に喜ぶアルオの横で私は虫取り網のようなものを作っていた。細かく編んだザル状の網を3メートルほどの長さの枝に括りつける。現地で燃えそうな枝や葉を調達し、今回作った薬を放り込んで燃やせば、簡易蚊取り線香……もとい、蜂取り線香の完成だ。
枝を使うのは一応安全対策というか、私がチキンだからです! 失敗したらすぐに逃げるよ。砂かけ婆さんの如く、粉末状の薬剤を降りかけながら逃げるよ!
「お疲れさま。根気良く作業してくれてありがとう」
にこにことアルオの頭を撫でたら、嬉しそうにはにかんでくれた。どうやら頭を撫でられるのが好きらしい。
今日はクララが買い物して帰ってくるはずなので、作業場を丁寧に片付ける。勿論今度は換気も忘れないよ。そんなに匂いはしていないはずだけれど、作業していると鼻が慣れるので念のため。
「今日の夕飯なにー?」
「アユーナの一夜干しと木の実かな。デザートに冷しておいたウォーターメロロン切ろうね」
こうして私達はクララとクラウス君が帰ってくるまでのんびりと夕飯をむさぼり食べたのでありました。
今日は平和だったなぁ。




