15 魚は焼きたてに限る
着々と焼きあがる魚に集中していた私は、全くその気配に気づかなかった。
「!?」
気がついたときには背後に立った人物に腕を掴まれ、くるりと回転させられるように立たされる。何が起こったのか分からなくて、悲鳴を飲み込んだままおそるおそる前を見ると、そこには黒髪の少年が立っていた。
「クラウ……ディス様」
こんな日が落ちた時間帯に何故だとか、やたら険しい表情をしているのが怖いとか、頭の片隅で思い浮かべながらも、見知った顔に安堵して息を吐く。そんなに腕を強く掴まなくとも、この力の抜け切った手では振りほどくことも出来ないというのに。
焚き火が爆ぜる。パチンという音で我に返ったのか、彼は慌てて私の手を離し、赤くなってしまったそこを申し訳なさそうに見つめる。
「△+□#&*……」
多分、すまなかったと言っているのだろう。彼は小さなメモを取り出すと、サラサラと書き付け、光で照らすように私へと向けた。
『床が血まみれで、異臭がしていたから驚いた』
少し困ったように微笑む彼の目を見ながら、私は真っ青になった。
やらかしてしまったよ! 魚食べたさに私は、人様の家を魚まみれにしてしまいましたよ。ああっ、恩をあだで返すようなマネとはこのことだ。ううっ、どうしよう。
心の中でスライディング土下座しながら、思わず何度も頭を下げる。
薄暗い家の中、血まみれの床、転がる魚の頭、立ち込める生臭いにおい……どう考えてもホラーです。
「ごめんなさい」
しゅんと眉を下げて謝ると、言葉は分からなくても通じたのか、頭をなでられた。小学生くらいの少年に頭を撫でられるというシュールな図だけど、許してもらえたらしい。明日は朝から窓を開けて換気しようと心に誓った。
パチンと炎が爆ぜて、いい匂いがしてくる。ほとんどまともなものを食べていなかったせいか、ぐるぐる主張しそうなお腹に力をこめた。だめだ、ここで鳴らすとか乙女としての矜持が許さない。ぐぐぐぐっと下腹に力を込め、助けてくれと守護精霊達にアイコンタクトという名の睨みをきかせる。このままじゃ魚も焦げてしまうからね!
パチン☆ パチン☆ と何度かウインクしたところで、クララが心得たように前に出てきてくれた。これで魚を回収できるぞ。
「▽&*%%#」
「□*#+&*」
うん! 何言ってるかわからないね!
なにやら今日の報告をしているであろうクララを見ながら私は、がっくりと項垂れた。彼女の流暢な発音から考えるに、精霊には自動翻訳装置がついているらしい。いいなー、バイリンガル。私なんて中途半端な1.5バイリンガルだ。
魚~、魚~、と体を揺らしながら待っていると、クララがこっち向いてゴーサインを出してくれた。
「魚班! 至急本日の夕食を回収せよ」
「お~!」
魚班といっても、アルオと私の2名なんだけど。12本の焼き魚はあっという間に回収され、少し離れたところに突き立てられる。焼きたての香ばしいニオイを思いっきり吸い込めば、自然と涎が沸いてきた。早く食べたい。
ちらりとクラウディス様を見れば、こちらに向かってくるところだった。私があまりにも期待に満ちた目で見つめてしまったからか、彼は苦笑しつつも『どうぞ』と勧めてくれた。せっかく来てくれたのに、食い意地が張っててごめんなさい。
食べられる魚かどうか分からなかったので、とりあえず小さく一口噛んでみる。じゅわっと程よく乗った脂が口の中に広がった。魚特有の甘みと苦味。舌の上でとろけるようにほぐれる身。
「美味っ! なにこれ、美味しい!」
もう一口、今度は遠慮なくかぶりつく。すると自動的に鑑定スキルが発動し、頭の中にこの魚の情報を流してくれた。『アユーナ=煮ても焼いても美味しい魚。清流でよくみかける』とな。おおお、これはお手柄ですぞ。素晴らしい。素晴らしい!
私が食べた魚は少し血抜きが甘かったので、若干の臭みが肉に移行していたものの、それでも十分美味しかった。これ、貴重なタンパク源になるわ。
うむ、と頷いてアルオとクララにガッツポーズをとる。すると、それを合図に精霊達も焼き魚に手を伸ばした。いやあ、魚は焼きたてに限ります。塩がなくても十分美味しいって流石ですね。
自然と笑顔になりながら、「良かったらクラウディス様もいかがですか?」と、血抜きもバッチリで形も綺麗な焼き魚をぐいっと引っこ抜いて差し出す。もしかしたら夕食食べ終わっているかもしれないけれど、男の子は結構食べるというし、おやつ……みたいな?
「あっ。もしかしてナイフとフォークがないと食べられない派!?」
美少年はちょっと驚いたように立ち尽くしていた。そ、そうだよね。いかにも貴族のお坊ちゃんといった彼が、魚の串にかぶりつくという姿は想像できない。すいません、野蛮で。
美味しいのに残念だなぁ、なんて思いながら、魚の刺さった串をゆっくり離すとぐっと手首をつかまれた。今度はこちらが驚く。そうしてそのまま彼の顔が近づき……綺麗に整った口を軽く開け、パクリと魚を一口齧りとった。
「ん、####」
もぐもぐと咀嚼するクラウディス様は、とろけるように幸せそうな表情をする。多分、美味しいといってくれているであろう言葉は、唖然とする私の脳内を通り過ぎていき、ただ、ただ、その表情だけが焼きついた。
ああ、彼はこんな風に笑うのか、と。
いつもの大人びた表情は、少し怖いくらい整いすぎてたから、こちらの方が安心するな、なんて考える。
気がつけば、1本丸々彼は焼きアユーナを平らげていた。焼き魚にかぶりつくという食べ方なのに下品に見えないのは上流階級のスキルなのだろうか。しかも骨が美しい状態で残されている。
あまりに綺麗な食べ方に、思わず「おおぅ」と声が出ていたらしい。憧れと感嘆の混じったそれに、彼は少し恥ずかしそうに笑った。そして、何事か呟くと、地面に刺していた新しい魚をこちらに差し出す。え? 食べろということですか?
左手には先ほどまで齧っていた焼き魚があるんですが……とは思ったものの、せっかくの好意なので受け取ろうとする。……が、魚を放さない。むしろ、魚の背中の部分をこちらにそっと向ける。
まさか、餌付け!!?
いやいやいやいや、その魚私が調理したものですから!




