10 分裂オメデトウ?
異世界生活3日目。
いやー、よく眠ったよね……なんて思いながら起きたら、床だった。幸いなのかわからないけれど、それ程身体は痛くない。クッションが枕代わりにあてがわれ、マントが掛け布団代わりにかけられているおかげだろうか。ぼろきれのようなベッドとどちらがましかといわれると微妙である。
そういえば、異世界で始めて他人と意思疎通を図ったのだなぁと思い出す。色々伏せられた様子はあったけれど、欲しかった知識の断片も得ることができたのは嬉しかった。テンション上がり過ぎて、なんだか豪華そうな契約書にサインしてしまったのはあまりにもうかつだったとは思うが。
正直な話、怪しげな契約書にサインとか、自分はうっかりでもやらないだろうと思ってた。けれど、相手が信用できそうだなと思ったら、まじまじと文面を見るのが申し訳なくて、流し読みでサインしちゃうんだよね。あー、詐欺被害がなくならないのも分かるわぁ。
とりあえず、あの師弟契約におかしな文言が入っていないことを祈りたい。奴隷契約とか、奴隷契約とか、奴隷契約とかな!
目をこすりながら、ぼやける視界に焦点を合わせると、妖精さんが部屋の掃除をしていた。
な、なななな何を言っているのか分からないと思うが、言ってる本人が一番良く分からない。ぱちくりと瞬きしてからもう一度良く観察してみる。
ふんわりとした緩やかなパーマがかかった黒髪の女の子が、デッキブラシを片手に床をゴシゴシこすっている。顔はこちらに背を向けているので見えないが、身長約三十センチの体、そして背中には透明な羽が4枚ついていた。
「あ、ますたーが起きたよ!」
ぼんやりしている私の耳に、小さな男の子の声が聞こえる。どこから声がするのだろうと首をかしげると、声の主は明かり取り用の天井窓を拭いていたらしく、雑巾片手にパタパタと小さな羽根をひらめかせて降りてきた。短く整えられた銀色の髪に褐色の肌。ワイルドにも見える取り合わせだけれど、パッチリした目が大変愛らしい。
「あれ? 言葉が分かるの?」
この国の人と話し言葉は通じないと思っていたと呟けば、「そりゃ、僕はますたーの魔力の一部だもん」と答えられ、余計に分からなくなる。昨日はエルフの美少年、今日は妖精さんか……未知との遭遇はまだ終止符を打っていないらしい。
ん?
「私の一部?」
「うん。正確にはますたーの魔力を核にして呼び寄せ、可視化した精霊だよ」
よく分からない……けど、ファンタジーな現象に原理を考えるのはよそう。考えたら負けのような気がする。
「要約すると『私の分身』ってことでオッケー?」
「うん!」
「やったああああああ!!!」
思わずガッツポーズとりました。
祝! 分裂!
いやあ、着々とアメーバライフへ向かって前進してますね!!!
「って、違ーーう! 精霊ナニソレ。そんなもの召喚した覚えがありません」
「召喚したのはますたーの婚約者さんだよ?」
いやいやいやいや、そっちの方がもっとありえないから。婚約者ってナニソレ、美味しいの?
きょとんとする褐色の精霊さんは可愛らしいが、言っていることがあまりにも分からない。
すると、もう1人のゆるふわの精霊さんがパタパタと羽を揺らしてやってきた。その姿は、まさに文学少女。細いフレームの眼鏡に大人しそうな一重の瞳、どこかクラウディス様を思い出させる理知的な眼差しに見つめられ、鼓動が跳ね上がったのはここだけの話だ。
「婚約者は、あっしのマスターのクラウディス・ルナガルデですよ」
ち ょ っ と 待 て!!!
「その一人称は、認めん!」
いやいやいやいや。うん、婚約者については薄々誰か気づいてはいたので、衝撃は小さかった。何せこの世界に来てから接触したのは彼だけなのだから、ここで違う名前が出る方がおかしい。
それよりも、この小さくてふわふわした……文学美少女のような精霊さんが自分のことを『あっし』と呼ぶほうがビックリだったよ。あっし……って、あっしってなぁ! 「あっしは精霊でやんす」とか、こんな美少女から聞きたくない。
色々混乱してきた。よく考えれば、こんなおかしいことがあるだろうか? いやない(反語)。きっと私はまだ夢のつづきを見ているのだろう。昨日は食中毒にもなったし、うっかり幻覚と幻聴の症状が出ているのかもしれない。いや、きっとそうだ!
もう一度ベッドにもぐりこもうとすると、愛らしい精霊さん達は掛け布団がわりのマントを引っ張った。
「現実逃避しないで。僕たちはますたーのために召喚されたんだから」
異世界生活3日目、自称精霊と名乗る妖精と話しております。すごいなーファンタジーだなー(棒読み)
私の魔力を得て召喚されたという精霊さんは、水筒をコップに見立てて井戸水を出してくれた。まあ、これでも飲んで落ち着きな、ということらしい。
「こういう時って普通、お茶とか……出すよね?」
どこの馬ですかと突っ込んだら、「僕たちはますたーがこの世界でやったことしか出来ないんだもん」とふくれられた。なんだこの精霊、可愛いじゃないか。
なにがどうなってこのような事態になっているのか良く分からないことだらけなのだけれど、とりあえず。
「……私も掃除するわ」
プチ現実逃避してしまった私をお許しください。
うむ、いろいろなものを整理したら大分綺麗になりました!
自分のために行う労働は良いものですね。おはようございます、ようやく現実に戻ってきましたアルテミシアです。
羽を持つ精霊さんのおかげで手の届かないところまでピカピカ。空飛ぶ自動掃除機ル○バを手に入れたようなものですよ。いやあ! 素晴らしきかな精霊ヘルパー……。
「はぁ」
埃や汚れがすっかり落ち、開け放たれた窓から清々しい風が入る自宅にて私はくつろいでいた。テーブルの上には昨日収穫しておいた果物がある。この世界に落とされたときの境遇と比べると、月とすっぽんといっていいほどの待遇改善である。……あるのだが、なんだろう。この釈然としない気持ちは。
「ああ~オレンジアうまうまー」
精霊さんたちにもオレンジアの実を提供したら、美味しそうに頬張っている。あまりにも美味しそうに食べるので、もっと凝ったものを食べさせてあげたいなぁと思うのだけれど、食材が森の恵しかない状況では、なかなかそうもいかないのが残念だなぁ。というか、食べ物って人間(エルフ?)と同じで良いのかしら。加工食品、ダメ?
ふいーっと、休日のお父さんのように口元を拭う……自称私のために召喚された精霊は、ふいに人間くさい動作をする。なんだかその姿が可愛らしくて思わず和むのだけれど。
「なんだかもう、意外なことばかりの連続で、どこから驚いたらいいのか分からなくなったよ。大体結婚する気なんてないし」
転生、異世界、別人の体、スキル、魔法、精霊、教会から追われる身、婚約者。どれもこれも唐突に突きつけられ、許容することを強制される。
「もう、頭の中がパンクしそう」
いくら暢気な自分でも、わざと目の前のことだけに集中して、別のことを考えないようにしないと……おかしくなりそうだよ。
半分笑いながら呟けば、銀髪の精霊さんが「それはそうだね……」と同意してくれた。そして、黒髪の精霊さんは、カプリとオレンジアの実にかぶりつき、果汁をしっかり堪能した後、言った。
「マスターは結婚するつもりなんかサラサラないっすけどね。大体、ほぼ初対面なのに『あんさん運命のお方や』なんてないっすよ」
「だよねぇ」
どういう意図なのか、本人に尋ねるしかあるまい。
あーあ、本当に異世界って意のままにならないことの連続だわ。




