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魔王様の娘  作者: 神崎右京
第五章

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99、聖なる乙女と正義の天使②

 昔々あるところに、大層魂が美しく清らかな赤子が生まれました。

 過去に類を見ないほどの魂の美しさに、今まで眷属を迎え入れることのなかった正義の天使も無視することが出来ず、天界から静かにその赤子の行く末を見守りました。


 しかし、赤子は生まれ落ちた場所に恵まれませんでした。

 深い森に囲まれた、国境近くの争いが絶えぬ地域。

 戦争が起きるたびに自然が焼かれ、略奪の危機にさらされ、生きるために森の生き物を殺し、自然の恵みを刈り尽くしました。

 その結果、森を統べる巨大な狼の怒りを買い、ある日、敵国の兵士ではなく、獰猛な森の獣によって村が壊滅の危機にさらされます。


 天使という存在が伝承としてしか伝わっていなかった時代のことです。誰も、天使に助けを求めることは考えませんでした。

 その結果、村人はそのとき村で最も若い赤子――すなわち、正天使にすら目をかけられるほどの善性の魂を持つ赤子を、人身御供として森の狼へと捧げることにしました。今では非道な行いとされるそれは、当時、時折見られる風習でした。


 無力な赤子は、森の深くに作られた祭壇に安置されました。泣くばかりで、何もできぬ赤子は、数日であっても生き延びることは出来なかったでしょう。

 一部始終を見ていた正天使は、愚かな人間の振る舞いに呆れ、失望しながら、罪のない善性の魂が無惨に獣に食い荒らされて散ることを憂いました。


 そうして、天秤を思わせるほどに、どの勢力にも、どの人間にも、決して肩入れしなかった正義の天使は、歴史上初めて一人の赤子へと己の加護を与え、その尊い命を守ることにしたのです――


 ◆◆◆


「え……ひど……」


 最初の数ページを読んだだけで、アリアネルは思わず口元を押さえて素直な感想を漏らす。

 ファンシーで可愛らしい絵柄では誤魔化しきれないほどの残酷な所業が、そこには記されていた。


 ゼルカヴィアあたりがこの絵本を読んでいたら、おそらく、ひどく苦い顔をしたことだろう。

 皮肉なことに、赤子の境遇がアリアネルに似過ぎている。

 だが、ゼルカヴィアの配慮により、自身がかつて同じように人身御供として捧げられたという事実を伏せて己の経歴を伝えられたアリアネルは、御伽噺の中のこととはいえ、その非人道的な行いがなされたことに対して単純に心を痛めるだけだった。


(でも、なるほど……確かに、こんな逸話が残っていて、この正天使と今の正天使が同じ天使だと思われてるんだとしたら、正天使はすごく慈悲深い天使だって思っちゃうよね)


 納得しながら、ぱらりとひとつページをめくると、人間が赤子を捧げた祭壇の前に巨大な狼がやってきた場面が、見開きに大きく描かれていた。


 ◆◆◆


 村人に恐れられる森の主は、巨大な白銀の毛を持つ狼でした。

 仲間を引き連れて祭壇に現れた狼は、赤子を注意深く観察した後、その身体に牙を立てました。


 しかし、天使の加護が働いて、赤子には傷一つ付けることは出来ません。


 代わる代わる仲間の獣が襲い掛かり、牙を、爪を、突き立てましたが、分厚い光の結界が現れるばかりで触れることすらままなりません。

 恐怖で泣き叫んでいた赤子も、やがて泣き疲れてしまったのか、スヤスヤと眠りに落ちました。


 穏やかな赤子の寝顔は可愛らしく、正義の天使に慈悲をかけられるに相応しい神々しいオーラを放っていました。


 やがて森の主は観念したように、赤子の頬をぺろりと舐めました。

 自分たちの群れに子供が生まれたときのように、そっと、慈しみをもって、やさしく、舐めました。


 すると今度は、結界に阻まれることなく、赤子の頬に舌は容易く到達しました。

 頬を温かい舌で優しく撫でられ、赤子は目を覚まして嬉しそうに笑いました。


 赤子の笑顔に何を想ったのでしょうか。

 狼は、そっと赤子を傷つけぬように細心の注意を払って口に咥えます。今度も、結界は現れません。

 そのまま、白銀の狼は、赤子を口に咥えたまま、己の棲み処へと連れ帰ったのでした。


 そうして月日は静かに穏やかに流れて行きました。

 森の主は自分の群れに赤子を連れ帰り、群れにいる子供を生んだばかりの母狼の乳で、赤子を育てました。

 赤子はすくすくと大きくなっていきましたが、やがて、困ったことが起きます。


 乳を飲んでいたときは気にならなかったのに、成長するにつれて、狼と人間の違いが明らかになってきたのです。

 彼らは群れで行動しますが、人間の子供は彼らのように野山を素早く駆けることが出来ません。

 狼たちが狩ってきたご馳走である獣の生肉を食べることが出来ません。

 十分な栄養を得られず、衰弱していく子供を見かねて――再び正義の天使が、森へと舞い降りたのでした。


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