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魔王様の娘  作者: 神崎右京
第四章

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90、魔界の太陽②

 意を決した様子で口を開いた少女の言葉を聞いて、魔王は数度瞳を瞬いた後、その形の良い眉を軽く顰めた。


「……?」

「治天使の加護を持っていたのは、マナリーアという女生徒でした。今日一日、様子を観察したところ、座学に関しては勇者シグルトほどの優秀さはなさそうでしたが、魔法に関してはかなりの練度で――」

「待て。……何の話をしている……?」


 一生懸命に言葉を紡ぐアリアネルを前にして、魔王は怪訝な顔で言葉を遮る。


「ぇ……?あ、あの……今日の、報告を――」

「それは、俺が聞きたい内容ではない」

「えっ……」


 ばっさりと切って捨てられ、アリアネルは腫れあがった瞼を上下させてたじろぐ。

 治天使の加護を持つ生徒の報告は不要だったのだろうか。

 確かに、後方支援型となることが主のその存在は、直接的な脅威となりうる勇者の情報に比べれば優先度は低いかもしれない。――そもそも、勇者ですら、所詮人間に過ぎぬ以上、戦闘能力についての詳細な報告など欲していない、と言われる可能性がある。

 その事実に思い至り、アリアネルは焦りながら話題を考える。


(パパが、興味を持ちそうなこと――聞きたいと思っていること――えっと、えっと……)


 一生懸命高速で頭を回転させ、前回、学園に見学に行ったときに魔晶石の話に興味を示していたことに思い至った。


「ぁっ……!あの、生徒全員に、純度の高い魔晶石が配られていることがわかって――!」

「……?」


 焦るあまり上ずった声で告げながら、ポケットを探る。確か、謁見室に赴いたときに、報告しようとそこに入れたままになっていたはずだった。


「生徒の間では通称『記録石』と言われていて、光の魔法を応用することで静止画を記録できるんですっ……!」


 失態を挽回しようと逸る気持ちのせいで、なかなかポケットからスムーズに手が出てきてくれない。


「何度も上書きすることが出来て……えっと、その上位互換みたいな王都の神殿の魔水晶は、『映像石』って呼ばれるものが――」


 焦りが焦りを呼んで、敬語すら崩れて言いたいことがまとまらない。

 魔王が、さらに形の良い眉を怪訝そうに顰めているのを見て、己の不甲斐なさに、思わず泣きたい気持ちになった。


「もういい。――ゼルカヴィア。どういうことだ」


 失望されたと泣きそうな顔になったアリアネルをあしらうように手で制した後、魔王はアリアネルの後ろでそっと少女の勇姿を見守っていた己の右腕に声をかける。

 しかし、返って来たのは魔王が望む答えではなかった。


「どういうこと、とは?」


 にっこりと、清々しいほどの笑顔で問い返す忠臣に、ピクリと魔王の眉が跳ねる。

 長い付き合いだ。互いのことは、よくわかっている。

 今、この瞬間、魔王が言いたいことをくみ取れぬような右腕ではない。

 それでも笑顔で問い返したと言うことは――すっ呆ける気しかない、ということだろう。


「……ゼルカヴィア」

「魔王様が何をおっしゃっているのか、私にはよくわかりません。アリアネルは、健気に己の『役割』を果たそうと、こうして今日の”報告”をしています」

「…………ゼルカヴィア」

「学園に編入した初日ですから。我々の想定以上にたくさんのことを持ち帰ってくれたようです。謎に満ちていた魔晶石の実物を持ち帰るだけではなく、『記録石』や『映像石』といった新たな情報を得たようですね。さすが、私が手塩にかけて育てただけのことはあります」

「ゼルカヴィア。……俺は、そんなことを聞いているわけではない」


 苦虫を嚙み潰したような顔で、魔王は呻くように低い声で告げる。

 しかし、ゼルカヴィアはキラリと白い歯を見せる勢いで笑って、清々しいほどのとぼけ顔で言葉を続けた。


「おや。私は魔王様の言いつけ通りにしただけですよ?アリアネルに、己の『役割』を果たすことだけを考えるよう理解させて来い、とおっしゃったのは魔王様ではありませんか」

「…………」


 苦い顔をさらに顰めて、魔王は押し黙る。しゃあしゃあと揚げ足を取ってくる皮肉屋な性格は、確かにいつものゼルカヴィアだが、今、それを望んではいない。


「そうではない。俺が言っているのは――」

「アリアネルとのコミュニケーションにおいて、何かしらの齟齬があるのなら、私を介さず直接対話をしてください。今回の件について、私は部外者です。当事者同士で、誤解を解き合ってください」

「っ?……っ??」


 前後で自分を挟んで会話する二人を、混乱する頭で何度も振り返るアリアネルは、どうやら事態についてきていないらしい。

 魔王はゼルカヴィアの言葉にぐっと息をつめた後、大きくため息を吐いた。

 ゼルカヴィアの言葉は、彼がこの事態の第三者として全てを理解していることを示していたが――今回の件について、口を出すことはしないと宣言した形だ。

 

「こういう時に、お前を名前で縛り、命令出来ないのは厄介だな」

「仮にそのようなことが可能だったとしても、まさか、部下想いの魔王様が、そんな行いをされるとは思っていませんよ?」


 ため息に乗せるように恨み言を吐いた魔王に、笑顔で答える青年は、腹黒と言って差し支えないだろう。

 俯いて額を覆いながらもう一度だけこれ見よがしに大きな吐息を吐いた後――魔王は観念して、ゆっくりと顔を上げた。


「……おい。人間」

「っ!……は、はいっ……」


 蒼い瞳に見据えられ、緊張した固い声でアリアネルは返事をする。

 魔王がアリアネルを名前で呼ばないことなど、百も承知だが、それでもやはり、小さな胸の一番奥の奥が、シクリと小さく痛むのは止められない。

 眉をハの字にして泣きそうな顔になるアリアネルに、魔王は口の中で小さく舌打ちをした。


「いつまでそんな遠いところでごちゃごちゃと物を言っている。――いつものごとく、さっさと近くへ来い」

「は、はい――……って、え……?」


 思わず反射的に返事をしてしまってから、眼を瞬いて固まる。

 

(いつもの――ごとく……?)


 一瞬、理解出来なかった言葉の意味を考える。 

 いつも、この魔王の執務室を訪れるとき――自分はどんな行動をしていただろうか。


 様々な理由でこの部屋を訪れることはあるが、何よりも最初に思い浮かぶのは、毎日の『お茶会』だろう。

 いつも、決まった時間になると、座学や鍛錬を切り上げ、アリアネルは上機嫌で一直線にこの部屋へと向かう。

 そうして、『パパ!』と嬉しさを隠しもしない声で呼びかけながら扉を開け放ち、まっすぐに執務机にいる魔王の元へと走るのだ。

 幼い頃は、何も考えずにその足元に駆け寄って、『抱っこ!』と当たり前のようにねだっては、面倒くさそうな顔をした魔王に渋々抱き上げられていた。

 逞しい腕にひょい、と身体を抱き上げられ、当たり前のように膝に乗せてもらえることが本当に嬉しくて、『大好き』といつものように口にしては、その首に縋りつくようにして頬に口付けを落として愛を伝えた。

 さすがに大きくなってからはそんなことをねだったことはないが、まっすぐに魔王に駆け寄った後は、『あのね、今日はね』とその日にあったことを聞いてほしくて、ロォヌがお菓子を持ってきてくれるまで、延々と魔王に語り続けるのが常だった。


(確かに……パパと、こんな距離で話したことは、一度もない……かも……)


 改めて見れば、ここは入り口からほど近い場所――執務机からは随分と離れた場所だ。

 それは、アリアネルが魔王に感じた心の距離と同じなのかもしれない。


(この距離を……埋めても、いいの……?)


 昨日までのように、何も考えずに駆け寄って良いものなのかがわからず、思わず伺うように後ろを振り返る。

 

「どうぞ。魔王様が、お望みですよ」


 そこには、先ほど魔王に向けた生意気な笑顔とは打って変わって、優しく包み込むような自然な笑みを浮かべた青年がいてくれた。

 一緒についていてくれると言ったその言葉の通りに。


「う……うん」


 ゼルカヴィアがついていてくれるなら、百人力だ。

 アリアネルは、勇気を振り絞って、ゆっくりと足を踏み出した。


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