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魔王様の娘  作者: 神崎右京
第四章

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84、『大好き』な人②

「おやおや。これはまた、随分と不細工になりましたねぇ」

「ぅ……ゼルのいじわる……」


 ぐすっと鼻を鳴らし、真っ赤に腫れた目を隠すようにぷいっとそっぽを向く少女に、くすりと笑いを漏らした後、指の背で潤んでいた目元を拭ってやる。


「今なら、貴女が正天使の加護を持つ子供だなんて誰にも信じてもらえないかもしれませんよ。天使は美しい造形の人間が好きですから。……魔王様の影響ですかね?」

「……やっぱりゼルもそう思う?パパって絶対、面食いだよね」


 ずび、と鼻を鳴らしながら上目遣いで長身の黒ずくめを見上げる少女は、少しは回復しているらしい。

 魔王への不敬発言を恐れず口にする豪胆さに、堪え切れない笑みを漏らしながら、ゼルカヴィアはよしよしと少女の小さな頭を撫でてやった。


「ほら、鼻をかんで、涙を拭いて。……そうです。落ち着きましたか?」

「うん……ゼルの顔見たら、ちょっと、元気になった」

「それは良かった」


 言いながら、ゆっくりと少女の私室を頭を巡らせて観察する。


(いつも、アリアネルが独りでいると勝手に聖気が溜まっていく部屋なのに――本当に珍しい。瘴気がまだ残っていますね)


 魔王から伝言メッセージで仕事先から呼び戻された時間から、ずっと彼女がここに籠っていたと考えると、いつもならアリアネルが常時放出している純度の高い聖気のせいで、ゼルカヴィアには酷く気分が悪い空間になっているはずだった。


(この聖気の塊のような魂を持っている子供でも、瘴気を発することはあるんですね。さて、その瘴気の源は、哀しみなのか、恨みなのか――はたまた別のものなのか。……あの淫乱魔族に触発されて、色欲に支配された、などではないことを祈りますが)


 純粋無垢な少女に、全く予期しない形で性教育を施す必要が生まれたとは思いたくなくて、心の中でげんなりとため息を吐く。

 ――まだ、この少女が知るには早すぎる。恋愛も、性愛も。


「それで?あの魔王様も絆すような貴女の可愛らしい顔を、そこまで不細工にしてしまった原因は何ですか?」


 揶揄するように何度も言われて、むぅ、と唇を尖らせる。酷い顔をしている自覚はあるが、そこまで言わなくてもよくないか、と心で思っているのだろう。

 だが、深刻な顔で心配され、問いただされるよりも、これくらい軽い調子で聞いてもらえる方がありがたいのも確かだ。

 さすがに、アリアネルの性格を熟知しているらしい。今日も、黒ずくめの育ての親は、真綿で包むように、わかりにくい優しさで少女の心を軽くしてくれる。


「あの……あのね……」

「はい。ちゃんと聞いていますよ」


 勇気を出すようにぎゅぅっとスカートの裾を握り締めて言葉を絞り出す少女に、努めて穏やかな声で返す。

 本当は、何が起きたかなど、魔王から聞いて既に知っているが、アリアネルの口から発せられる言葉を辛抱強く待った。


「あのね……パパに、ね……」

「はい」


 生まれたときから変わらない少し低いテノールの声音は、いつだってアリアネルに安心と勇気をくれる。

 少女は、ぎゅっと拳を握り締めて、竜胆の瞳を潤ませながら、胸につかえる気持ちを勇気を出して吐露した。


「パパにっ……『大好き』な人が、いたの――!」


「――――はい……?」


 予想外の発言に、ゼルカヴィアの眼鏡の奥の瞳が点になったのは、言うまでもなかった。


 ◆◆◆


 言葉にして胸中を発したことで、急に感情が高ぶったのだろうか。アリアネルは、勇気をもって言い切った後、ぶわっと竜胆の瞳から大粒の雫をあふれ出した。


「パパにっ……パパに、大好きな人がね、いたのっ……!」

「いや……えぇと……ちょっと待ってください……?」


 斜め上の回答に、ゼルカヴィアは事前にしていた脳内シミュレーションを慌てて修正しながら泣きじゃくるアリアネルに聞き返す。


「わ、わた、私がっ……私なんかが、いなくても、よかったの……!」

「はぁ……?」

「パパには、ちゃんと、『大好き』な人がいて――私が教えてあげるなんて、烏滸がましくて――!」

「ぅん……?ちょっと落ち着きましょう、アリアネル。話が見えません」


 ゼルカヴィアに訴えるように、青年の黒ずくめを握って涙をこぼしては一生懸命言葉を重ねる少女を手で制す。

 

「順を追って、一つ一つ、起きたことを話してください」


 ひくっ……としゃくりあげながら、アリアネルは一生懸命目撃したことを話す。


「あのね、今日ね、学園で、一杯色々なことを、知ったの」

「はい。そうですね。今日が初日でした」

「うんっ……パパに報告したいことがいっぱいあって、それで、パパが謁見室にいるっていうから、向かったの」

「そうですね。本日の魔王様の予定では、貴女が学園から帰ってくる時間は地方に住む魔族の謁見対応が入っていましたから」


 一つ一つ認識をすり合わせながら、アリアネルを落ち着かせるように先を促す。


「前室に入ったら、話声が全く聞こえないけど、人の気配はあったから、きっとパパがまだいるんだと思って――」

「なるほど。謁見の最中だとは思わず、踏み込んだということですね。……でも、違った、と」

「うん……」

「それで、魔王様の不興を買い、叱られたと言うことでしょうか?」


 大事な仕事の最中――取扱いに気を遣うような事項のやり取りもありうる謁見中でありながら、己の身勝手で踏み込んだとあれば、その無遠慮さを叱られることもあるだろう。

 濃密なキスシーンが繰り広げられていただろう場面で、もしも魔王が己の行為を棚上げしてアリアネルを叱っていたとしたら完全に逆効果だが、一応行動の理由は理解出来る。

 ゼルカヴィアは怪訝な顔で少女を問い詰めるが、ふるふる、とアリアネルは小さな頭を横に振った。


「違うの。私が悪いの」

「そうではないでしょう。この城における謁見とは、基本的に仕事の定期報告会のようなものです。突発的な呼び出しにしろ、その場では言葉でのやり取りが基本であり、魔王様の御前で押し黙っていることなど不敬以外の何物でもありません。静寂が広がっていれば謁見者はいないのだと判断してもおかしくはないでしょう。私でもそう判断します」


 ゼルカヴィアはぽろぽろと涙を流すアリアネルの小さな頭を引き寄せるようにして言い聞かせる。

 そう――いくら褒美だと言っても、そこは神聖な魔王への拝謁を行う場なのだ。決して、不埒な行いを許してよい場ではない。

 仮に今日、謁見の間にゼルカヴィアが立ち会っていれば、その身に過ぎた褒美をねだるイアスを嗜め、別のもので代替させようとしたことだろう。それが、魔王の魔界での威厳を保つためでもあるからだ。


 ある種、誰にも心を寄せることのない魔王だからこそ、そうした行為に抵抗がなかったと言える。

 魔王の本質は、変わらない。――誰が、何をしてこようと、己の役割を遂行するのに邪魔にならなければ、興味がないのだ。

 たとえそれが、己の力を分け与えて造った同胞だったとしても。


(今日に限って私が不在だったことが悔やまれますね、まったく……)


「でも――結局、女の魔族の人がいて」

「はい」

「その……」


 ぎゅ……と唇を噛みしめた後、アリアネルはゆっくりと口を開く。


「キスを……してたの」

「……ほう」


 想像した通りの悪夢の光景に、ゼルカヴィアはとりあえず眼鏡の位置を直す。

 

「それも、ほっぺとか、額じゃなくて――唇に」

「……ほう。なるほど」


 知っていた。――それもきっと、特別濃厚な奴だろう。情操教育上まったくよろしくないシーンに違いない。

 幼気な少女には早すぎる光景を網膜に焼き付けた主に、胃のあたりをムカムカさせながら、ゼルカヴィアは口を開く。


「それで?――『王子様』みたいだと思っていた魔王様の幻想が崩れた、ということでしょうか?」

「え……?」


 これ以上少女に辛そうな顔をさせたくなくて、ゼルカヴィアが先回りして問いかけると、少女はぽかん……と呆けた顔で長身の青年を見上げた。


「場所もわきまえずに不埒な行為をしていたわけです。不潔な存在だと忌避したくなった――そういうことでしょう?」

「えぇ!!?な、なにそれ!?」


 一瞬で、アリアネルの涙が引っ込んだかと思うと、少女は慌ててゼルカヴィアの誤解を解く。


「そ、そんなこと思ってないよ!?」

「無理をしなくてよいのです、アリアネル。それは自然な感情の動きですよ。人間には思春期と言うものが存在しており、父親というものを不潔に感じて遠ざけたくなる瞬間があると――」

「パパを不潔だなんて思ったことないよ!?パパはいつだってキラキラしてて、いつ見ても世界で一番格好いいよ!?」

「……それはそれで、どうなんでしょうか」


 十歳にもなって父親をそこまで手放しで褒められる心理も、やや心配ではある。


「そんなことじゃなくて――パパに、『大好き』な人がいたことがショックだったの……」

「?」

「だって……キスしてた、ってことは、そういうことでしょう?」

「……はい?」


 きょとん、と呆けた顔で目を瞬くのは、今度はゼルカヴィアの番だった。


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