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魔王様の娘  作者: 神崎右京
第一章

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8、すべての始まり②

 ゼルカヴィアの予想は当たり、案の定魔王は肩を寄せ合い震える村人の前に姿を現したところだった。

 魔王は美しい顔をピクリともさせず、ブンッと無造作に手にしていたものを放り投げるように村人の前に落とす。

 それは、すでに事切れた魔族――この村落を魔力の結界で外界から切り離し、この世の地獄へと変貌させた愚かな同胞だった。


「ヒィっ――!」

「お前たちを、不当に苦しめ、恐怖に陥れた存在は、これで最後だ。部下の不始末を詫びよう」

「さすが魔王様。下等で愚かな人間への振る舞いとは思えません」


 ぱちぱち、と拍手をしながら賛辞を贈るゼルカヴィアだが、村人たちは真っ青な顔のままガタガタと震えている。震えている理由は、きっと、ひらひらと舞う雪のせいではないのだろう。

 皆、地面にゴミのように放られ、赤黒い血に染まった肉の塊の死相を見て、唇の色を失っている。


「ゼルカヴィア」

「はい、魔王様」


 恭しく頭を下げる忠臣に、面白くなさそうな顔で魔王は淡々と命じる。


「村を、人民ごと焼き払え。骨も家屋も残さぬよう、跡形もなく」

「はい、かしこまりました」


 予想通りの命令に、笑顔を浮かべて拝命すると、村民の間に恐怖が走った。


「たっ……助けてくれ!」「お願いだ!」「嫌だ!」「死にたくない!」


 聞き苦しい悲鳴を上げて騒ぎ立てる村人たちからは、甘美な瘴気が立ち上る。

 濃密な瘴気に酔いしれるように、笑みの端に恍惚の光をにじませたゼルカヴィアを、魔王が窘めた。


「――ゼルカヴィア。俺の期待を裏切るな」

「は……失礼いたしました。すぐに対処いたします」

「それでいい」


 再び恭しく頭を下げた男を振り返ることなく、魔王は歩みを進める。

 まっすぐに歩く先の虚空に不意に現れるのは――紫色の転移門。

 最古の魔族たるゼルカヴィアですら短い呪文詠唱を必要とするそれを、無詠唱で生み出せるのは、おそらくこの広い世界の中でも、魔王だけだろう。


「おっ――お待ちください!!!」


 阿鼻叫喚の様相を呈している村人たちの中から、しゃがれた声がひと際悲痛な響きを纏って飛んできた。


「――……」


 ゆるり、とけだるそうに魔王が振り返る。

 感情を映さぬ冷ややかな視線を向けられ、怯えたように人垣が割れた先にいたのは、いつ命の灯をかき消してもおかしくないほどの老齢の男。――この村落の長か、それに近しい権力者だろう。

 敬愛する主君の歩みを、人間ごときが止めたということが信じられず、ゼルカヴィアはすぅっと目を細めて殺気を纏う。


「どうか――どうか、ご慈悲を――!」

「何を馬鹿な……恥を知りなさい。人間ごときが、これ以上なく慈悲深い魔王様の処断を前に――」

「コレをっ……!コレを、献上いたしますっ……!どうか、どうか、何卒――!」


 神経質そうなゼルカヴィアの美貌が不愉快に歪んだ瞬間、老人は震える手で()()を掲げながら地面に頭をこすりつけた。


「……ほう」


 眼鏡を押し上げ、ゼルカヴィアは老人の手に乗せられた小さな供物を見る。

 それは――生まれてからそう月日が経っていないであろう乳飲み子だった。


「それを人身御供に差し出す代わりに、村落を見逃せ――と?」


 がくがくと震えている老人は、何度も頷きながら地面へと頭をこすり付ける。

 捧げられている赤子は、おくるみ(スワドル)に包まれたまま、スヤスヤと眠っているらしい。


(この状況下で眠りこけているとは――なかなかに神経の図太い赤子ですね)


 天使のような可愛らしい寝顔を晒す赤子にも、ゼルカヴィアの心は動かない。

 当たり前だ。

 ――元来、魔族は皆、天使のことを蛇蝎のごとく嫌う。


「意味が分かりませんね。そんな無力な赤子を我らが得たところで、何の得があると?」

「ひっ……!」


 魔族の無情な問いかけに、村人たちが息を飲む。


「ただでさえ、赤子は聖気を発しやすい存在。聖気を厭う我らにとって、利などありません」


 やれやれ、と肩を竦めて嘆くように言うと、頭を地面にこすり付けたままの老人は、ぶるぶると震えながら口を開いた。


「こ、これは、単なる赤子ではありません――!」

「ほぅ……?それは、どういう――?」


 聞き返しながら、ゼルカヴィアは頭の中で静かに考える。

 風前の灯火となった命を何とか救おうと、罪のない赤子すら差し出そうとする利己の塊となった人間は、なかなかに美味な瘴気を噴出してくれているが、あまり悠長に食事を楽しんでいては、魔王に失望されてしまう。


 人間どもが何を囀ろうと、答えは最初から決まっているのだ。

 問題は、いつ、彼らを救いのない絶望の底へと叩き落すか――ただ、それだけ。


 希望を見せるようなことを口にしながら美味な食事を楽しみ、どこでこの愉悦を切り上げるべきか頭の片隅で考えるゼルカヴィアは、生粋の魔族と言えるだろう。


「てっ……天使様の――天使様の、加護が、ありますっ……!」

「!」


 雪がチラつく中、全身に汗を流しながら叫ぶ老人の言葉に、ゼルカヴィアは静かに息を飲む。


「まっ……魔族は、天使様と、天使様の加護を受けた人間を嫌うと聞きます……!人の身で、人知を超えた魔法を使う資格を得、やがて脅威となるから、と……!」

「…………」

「この子供も、このまま生きて五歳になれば都会にやって、聖騎士養成学園に入れることになるでしょう……!そこで、貴方たちの同胞を殺す教育を受ける……!そして、万が一正天使様の加護を受けた者が同世代にいたならば、勇者と共に魔界へ攻め込む可能性すらある――!」


 これが最後の望みだと言わんばかりに、老人は掠れた声で必死に頭を伏せたまま声を張り上げる。


「将来の敵となることがわかっている人間を、今、この場で殺せることは、貴方たちにとっても利があるはずです――!魔界の安寧を願うと言うなら、何卒、何卒――!」


 ひらひらと雪が舞い散る中、必死に額を地面に擦り付ける様は、これ以上ないほどの憐憫を誘っただろう。


 ――相手が、同じ人間であったならば。


「……ゼルカヴィア」

「はい、魔王様」


 一応、最後まで主張を聞いてやったのは、魔王なりの慈悲だったのだろうか。

 転移門の前で黙って老人の言葉を聞いていた美青年は、ふい、と興味がなさそうな顔で再び門へと踵を返した。


「始末しろ」

「勿論、仰せの通りに」


 予想通りの主人の言葉に、にやりと笑って頭を下げると、村人たちから悲鳴が上がった。


「ふざけるな!」「どういうことだ!」「慈悲はないのか!」「助けて!お願い助けて!」


 煩わしい騒音を気に留める様子もなく、魔王は魔方陣の中へと足を踏み入れ、消えていく。

 頭を下げたままそれを見送った後、ゼルカヴィアは恍惚とした表情で村人を振り返った。


(あぁ――堪らない)


 頼りない一筋の救いの糸を無情に断ち切られ、深い絶望を前にした人間たちが発する瘴気の、一体なんと美味なることか。


「残念ながら、交渉は決裂です。――仮に()()が将来、魔界へ踏み込んでくるようなことがあろうとも、我らにとっては何ら関係がない。……所詮、人間。第一位階の天使と肩を並べる魔王様の脅威となりえるはずがないからです」


 愚かな人間たちに、嗤いながら無慈悲な現実を突きつけてやる。

 

「あっ……悪魔め――!」

「魔族、ですよ」


 老人の非難の声に、にこりと笑って訂正してから、右手を掲げる。

 ゼルカヴィアにとって、魔王の命令は、絶対だ。

 絶対の忠誠を誓う、最も魔王に近い臣下として、これから先も永遠に、魔王の手となり足となり、彼の望みを叶え続ける。


「第一、こんなにも色濃い瘴気に塗れた地に生まれた命が、高位の天使の加護を賜るはずがありません。下位天使など、最古の魔族たる私の敵ではない。脆弱な天使の加護を打ち破ることなど、造作もありません」

「なっ……!?」

「貴方たちの希望は、そもそも、希望ですらないのですよ。……最初から、その赤子諸共、この地にいる誰一人、生かしておくつもりはありませんから」


 最高の笑顔で、絶望の底にいる人間たちを、さらにどん底へと叩き落す。


「魔王様のご慈悲に感謝し、骨も残さず消えなさい」


 無情な宣言と共に、ゼルカヴィアは魔力を解き放った。


 ◆◆◆


 言いつけ通り、骨も家屋も残さぬよう、最大火力で村一帯を全て灼熱の業火で焼き尽くした。念入りに、逃げ出す者を許さぬよう、広範囲を一瞬で灰にしたのだ。生存者は誰もいないはずだ。


 ――はず、だった。


「さて。いくら濃い瘴気をたんまり摂取していたとはいえ、さすがに聊か疲れましたね。転移門ゲートを開いて、さっさと魔界に帰って――」


 コキッと首を鳴らしながらため息とともに呟いた言葉が、不意に途切れる。

 何か――信じられない音を、聞いた気がした。


「……ま、さか――?」


 ぞくり、と背筋が凍るような錯覚。

 ゆっくりと、油の足りないブリキ人形のように首を回して、音の方を確認する。


「オギャァアアア!オギャァアアアア!」


「――――――――……」


 そこには、おくるみ(スワドル)の縁を焦がしもせず、火がついたように全力で泣き叫ぶ、見覚えのある赤子の姿があった。


「馬鹿な――!」


 人間の骨が一瞬で灰になるほどの熱量だったのだ。

 どうして、無力な赤子が無傷でいられようか。


「このっ――!」


 ゼルカヴィアは信じることが出来ず、混乱しながら泣き叫ぶ赤子に向かって再び魔力を解き放つ。


 ごぉっ――と蒼い炎が立ち上り、赤子を包み込んで――


「オギャァアアア!オギャァアアアア!」

「嘘――でしょう……」


 相変わらず、烈火のごとく元気な泣き声を上げる存在を前に、最古の魔族は、呆然とした声を唇から洩らしたのだった。


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