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魔王様の娘  作者: 神崎右京
第三章

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50、魔法⑤

 ふわふわと漂う冬の夜空の空中浮遊は、程なく終わりを告げた。


「……見つけた」

「え?……あっ!」


 ぼそり、と耳元で低くつぶやいた魔王の言葉に視線を巡らせば、アリアネルもまたその対象を発見する。


「"竜"だ――!」

「動く対象へ魔法を放つ訓練としてはちょうど良いだろう。……人間ごとき脆弱な魔法では、アレの鱗に傷の一つもつけられん」

「む……そ、そうかもしれないけど」


 険しい山脈の谷間に、瞳を閉じて眠っているらしい竜の背中は、確かに固い鱗で覆われている。あれが、鋼も通さぬという天然の鎧なのだろう。


「俺の体内から溢れる聖気と、お前の体内から放たれる聖気を使って魔法を使って見せろ。……周辺に、人間は棲んでいない。瘴気に邪魔をされる心配はないはずだ」

「う、うん」


 瘴気を使う魔法は、それが空気中に高濃度で漂っている魔界でも訓練が出来る。逆に、聖気を使う魔法を魔界で訓練することは難しい。

 故に、こうして仕事が終わった魔王に人間界に連れ出してもらったのだ。

 どうやら父は、訓練相手として、人間界における最強の生物――竜を選んだらしい。


(勇者が、竜殺しの一族の元で、竜にも勝てる様に訓練を積んでいる――って話を聞いたからかな?)


 対抗意識、というほどではないだろうが、父の無意識の思考を読み取り、少しおかしな気持ちになる。


「聖気を使った魔法の使い方は覚えているな?」

「うん。瘴気を使う時と一緒で――でも、力を借りる対象が天使になる。……だよね?」

「そうだ。……だから、勇者一行は、魔界に来たとて大した戦果を挙げることが出来ない」


 呆れたように鼻を鳴らす魔王に、アリアネルも苦笑する。

 聖気の塊に近しい勇者たちは、人間界での戦闘においては負け無しだろうが、魔界では簡単に行かない。

 それは、慣れない瘴気が満ちているために活動に制限が出るというのは勿論だが――人間たちの知識は、圧倒的に天使側に偏っている。


(魔法は、その力を司る存在の力を借りて行使する。名前がわからない場合は助力を『乞う』形で――名前がわかる場合は助力を『命じる』形で)


 だから、本来、魔族や天使は、みだりに他者に本名を明かすことはないのだとゼルカヴィアに教わったのは、魔法を習い始めた一番最初のときだ。


「オゥゾもルミィも、あっさり教えてくれたけどなぁ……」

「それは例外だ。あ奴らが勝手にお前に絆されただけに過ぎん」

「でも、日常会話でパバもゼルも当たり前に呼ぶでしょ?本人が言わなくても、どうせすぐにバレちゃったんじゃ――」

「俺たちにとって、名前を知られると言うのは、支配権を渡すことに等しい。故に、書籍や壁に彫り込まれでもしない限り、本人の許可がなければ、偶然その名が他者によって呼ばれているときに耳にしたところで、意味不明な音の羅列にしか感じられないようになっている」

「えっ……!?そ、そうなの?」

「そうしなければ、危険だろう。……名前を借りた魔法は、その者の固有能力以外に関しても適用される。『命じる』とは、本人の力を意のままに使う、ということだ。極論だが――例えば、お前が正天使の名前を知ったとする。そうすれば、理論上は、正天使に命じて、正天使が行使できる魔法を代わりに行使する権利を得ることが出来る。……正天使が名前を把握し、従えている天使がどれだけいると思う?」

「ぁ……確かに……」

「まぁ、明らかに格下の存在に命じられたときは、それを拒否する権利を上位の存在は有するから、所詮人間に過ぎぬお前が正天使の名を知ったところでそう上手く事は運ばないだろうが――天使や魔族が、不用意に名前を明かさないのは、そういう理由だ」


 ごくり、とアリアネルはつばを飲み込んで真剣な表情で頷く。

 魔王による魔法講義は、的確でわかりやすい。

 ノートを広げることが出来ない分、アリアネルはしっかりと言葉を脳裏へと刻み込んだ。


「じゃあ、もしかして――今私が、オゥゾの名前で助力を命じて魔法を使ったら、オゥゾが名前を知っている魔族の魔法が全部使えちゃうってこと?」

「今、ということであれば、ここに瘴気が満ちているという前提が無いため意味を成さないが――原理としては、そういうことだ。魔族や天使にとって、名前を知ることは新しく勢力下に置く者が増えると言うことであり、使える魔法が増えることに等しい。オゥゾがいったいどれだけの魔法を使えるかは知らんが、腐っても上位魔族として名を連ねているからには、相当数の魔法を行使できるだろう」


 ひくり、とアリアネルの頬が引き攣る。

 名前を教えてもらうことがそんなにも重要なことだと知らなかったとはいえ、幼い日の自分に無邪気に名前を問われてあっさりと教えてしまっていた彼らの無責任さはいかがなものか。


(ま、まぁ……いざとなったら拒否すればいい、って思ってるんだろうけど……)


 オゥゾやルミィの普段を見ていると、もしかして拒否されることはないのではないかと思ってしまうから怖い。


「でも――そっか。だから、高位の天使の名前は、殆ど図鑑や文献に載ってなかったんだね」

「そうだ。……人間ごときに知られたところで、何の支障もないと言えばそれまでだが、人間は書籍に書いて残すという知恵を得た。音声で聞いても無意味のそれは、書き記されれば本人の意志にかかわらず効力を発揮してしまう。万が一、己と同等以上の力を持つ天使や魔族に、その書物に記された名を知られれば、取り返しがつかなくなる」

「そうだよね……」

「世の中のことわりを乱すことは、俺の処罰の対象となる。悪用されうる能力を持つ者が書籍に名を残され、実際に悪用されたと言う実績が認められれば、俺はその存在を処罰せねばらなくなる。故に、高位の天使は――魔族も同様だが――己の名前の扱いには慎重になっているはずだ」

「だから、『正天使』とか『治天使』とかいう呼び名しか残ってないんだね」


 ふむふむ、と頷きながら納得する。

 助力を『乞う』だけなら、名前を知らなくても問題はない。この場合は魔法を発現させるかどうかは助力を乞われた側の存在に決定権がある。仮に力を貸すと決めたところで、名前を知られて命じられたときよりも発現する魔法の効力は弱い。

 通称として機能している呼び名まで制限する必要はない、ということだろう。


「じゃあ――パパにも、あるの?」

「?」

「名前だよ。……『命天使』も『魔王』も――通称でしょう?」


 娘の当然と言えば当然の質問に、魔王は一つ、二つ瞬きをしてから、ゆっくりと口を開いた。


「……当然、ある。――が、この世でそれを知っているのは造物主だけだ」

「ぁ――や、やっぱりそうなんだ……」

「俺は、全ての天使と魔族の名前を把握している。個体を作り上げるときに、名前も共に作るからだ。……与えられた役割を考えても、決して名前を知られるわけにはいかない。当然、第一位階の残りの天使も、俺の名は知らんはずだ」

「そ、そうだよね……パパの能力を、パパ以外の人が使えるようになっちゃったら、世の中がとんでもなく混乱しそう……」


 困った顔で言う少女に、魔王は少し遠くに視線を投げた。

 漆黒の空の下――晴天を思わせる瞳が、静かに数度瞬く。


「魔族や天使にとって、名前を知られることは、支配権を渡すと同義だ。……俺も、造物主に名前と共に命じられれば、その命令に従わぬわけにはいかない」

「…………そう、なんだ……」

「この世界では、造物主こそが真の正義だ。造物主が、そうあれと望んだことが全て正義であり――そこに、個人の感情や主張が反映されることはない。……顔も見たくないと、翼をもがれて陽の光も届かぬ世界に閉じ込められたとて、それが造物主の意向であれば、反論も何もない。決して覆ることのない、絶対の決定だ」

「パパ……」


 ”愛”とは一番理解から遠い感情――そう言ってのけた日の魔王の横顔を思い出す。

 ゼルカヴィアからは、彼が魔界に堕とされた理由は、正天使による陰謀だった、と聞いていた。

 陰謀だった、とは即ち――自分が造り出した存在である正天使に貶められ、裏切られたということ。

 そして、この魔王の口ぶりから推察するに――彼個人の感情としては、当時、魔界に堕とされることを不服としていたのではないだろうか。

 だが、それまで何万年もずっと、造物主にひたすらに尽くしてきた歴史を無視されるかのように、無実だと訴える己の主張を信じてはもらえなかったのだろう。


 唯一、己の全てを支配されることを許していた相手に、その実、一切の”愛”を向けられていなかった――

 彼にとって、魔界に堕とされた日というのは、その事実を悟った日なのかもしれない。

 

「パパ、大好きだよ」

「?」

「私は、パパの家族だからね。ずっと、ずっと、パパと一緒にいる。パパのこと、大好きだからね」


 チュッといつものように軽く頬にキスをして告げる。

 ”愛”が理解できないと言った魔王は、いつものように少し怪訝な顔をしていたが――それでも、何度でも伝えたかった。


「お前のそれは、聞き飽きた」

「うん。……でも、何度でも言うよ。大好きって思ったときに、大好きって言うって、決めてるの」 


 にこり、と笑うアリアネルは、星の瞬く夜空の中でも、眩しい太陽のようだった。


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