47、魔法②
「――――……何……?」
流石に、そんなことを言われるとは思っていなかったのだろう。
思い切り怪訝な顔で眉を顰めて、魔王は低い声で聞き返す。
「魔族は、瘴気を吸い込んで、生命活動をするためのエネルギーにするんだよね。そうやって吸い込んだ瘴気の一部を、体内で魔力に変換して増幅しながら魔法を使うんでしょ?変換するのが上手だったり、一度にたくさん増幅出来たりするのが、上級魔族。……だから魔族は、瘴気がある場所でなら、個体差はあるけど、基本的に瘴気が尽きない限り無尽蔵で魔法が使えるんでしょ?」
「そうだ」
「で、人間は、気を生み出すことはできても、吸い込むことはできないし、まして自分の中でエネルギー変換なんてできない。そのかわり、空中に漂っている気を直接魔力に変換して、魔法を使う。でも、吸い込んで体内で増幅することは出来ないから、魔族や天使よりも弱い魔法しか使えないってことだよね?」
「その通りだ」
「ゼルや他の魔族の皆も、一生懸命努力してくれてるんだけど――そもそもの魔法の使い方からして違うのはもちろん、聖気を操るなんて魔族には全く理解不能だから、私に教えるのが難しいみたいなの」
「……まぁ、そうだろうな」
何となく話の流れが見えて来たのか、ぎゅっと眉間に皺を寄せて魔王は不機嫌そうに呻く。
アリアネルは、そんな魔王に物怖じすることなく、キラキラした瞳で、当たり前のように頼み事をした。
――まるで、幼子が、父親に”おねだり”をするように。
「パパなら、聖気も瘴気も慣れ親しんだものでしょ?天使の時は聖気を、魔王になってからは瘴気を使って魔法を使ってるんだろうし。あと、この間気づいたけど、天使も魔族も全部パパが造った――ってことは、パパはこの世界で造物主の次に長く生きてるんだよね?当然、天使の加護を付けられた人間についての知識は造物主を除けば一番あるんだろうし、魔族の皆に教わるより、パパに教わる方がいいんじゃないかなって思って」
「…………お前は……俺を、何だと思っている……?」
「?……パパは、パパだよ?私の、たった一人の、大好きなパパ!」
呻くような魔王の言葉にも、ぱぁっと邪気の欠片もない笑顔を見せられ、毒気が抜かれたのだろう。
にこにこと、魔王が断ることなど考えていない、とでも言いたげに上機嫌な少女を前に、呆れたようにため息を吐いて茶を啜って何かを考えた後、魔王は静かに口を開いた。
「俺とて、知識として理解をしているだけで、大気中の気をそのまま魔力に変換する人間のような能力があるわけではない」
「うん」
「まして、我らと比べて脆弱極まりない人間ごときのレベルに合わせて指導など出来ん。どれほど手加減したとて、攻撃魔法の手本の一つも見せれば、お前はすぐに消し飛ぶだろう」
「ぅ……こ、攻撃範囲に入らないように気を付けるよ……!」
ぐっと拳を握って、神妙な顔で頷くアリアネルには、どうやら諦めるという選択肢はないらしい。
(いつぞや、鍛錬の後に『手を繋げ』と要望してきたときと同じだな)
数年前――魔王にとってはつい数日前程度の昔の光景を思い出す。
よく見れば、いつの間にかあのときよりも身体は大きく成長しており、一人称も「私」で定着している。
人間の成長というのは、思いのほか早いらしいが、生まれ持った本質というのは変わらないのか、まっすぐに見上げてくる純粋な竜胆の瞳は、あの時と全く変わらない。
「……執務の合間、気が向いたときであれば、見てやらんこともない」
「ほんと!?」
観念したように許可を出した魔王の言葉に、アリアネルは歓声を上げて腰を浮かす。
「パパ!――大好き!」
感激をそのまま身体で表すように、魔王の身体に抱き着くと、ちゅっと音を立てて頬に口付けを落とす。
「絶対、絶対、約束だよ!私、一生懸命がんばるから、ちゃんと教えてね!」
「フン……気が向いた時ならな」
初めて魔王にキスをしてから数か月――毎日のように「大好き」という言葉とセットで行われるそれに、もはや慣れてしまったのか、魔王は動揺することもなく当たり前のように受け入れている。
(全く……魔族にも天使にも人間にも、遍く存在に冷酷無比と恐れられる魔王様を相手に、堂々と”おねだり”を出来るのは、世界広しと言えど、アリアネルだけですね……)
静かに父娘の会話の様子を見守っていたゼルカヴィアは、心の中で呆れたようにつぶやく。
首に縋りつくように抱き付かれれば、少女が落ちて怪我をしないように軽く手を添えて身体を支えてやるのも、もはや習慣のようだった。
(このまま、魔王様が少しでもアリアネルに絆されてくれれば良いのですが――……)
ずず……と魔王と同じ花茶を啜りながら、ゼルカヴィアは考える。
これは、賭けだ。
太陽のないこの魔界で、決して何者にも捉われぬ氷に閉ざされたような魔王の心を、陽だまりのような少女が溶かすことが出来るのかどうか。
(孤高にして絶対強者の魔王様こそを尊敬していたと言うのに――今や、無垢な子供に懐かれて、不器用ながらもそれを愛す様を見てみたい、などと――私も、どうかしているとしか思えませんね)
ゼルカヴィアは知っている。
それが、どれほどあり得ない光景なのかを。
叶ったならば、それはまさに『奇跡』と呼ぶに相応しい出来事なのだと――
「アリアネル。そろそろ魔王様も執務に戻られます。貴女も、食べ終えたのなら部屋に戻って座学を再開しなさい」
「はぁい。……じゃあ、またね、パパ。ばいばい!」
ぴょこん、と魔王の膝から飛び降りて、手を振りながら部屋を出ていく少女は、春の日差しのような眩しい笑顔を湛えていた。




