46、魔法①
「わ!このケーキ、すっごく美味しい!……パパも食べてみる?」
「いらん」
フォークで切り取られたクリームたっぷりの焼き菓子を突き出され、魔王は仏頂面で不機嫌に一蹴する。
「……美味しいのに」
ぶ、と唇を突き出してぼやいてから、アリアネルは仕方なく行き場の無くなった菓子を己の口へと運んだ。
口腔いっぱいに広がった舌が蕩ける甘味に、ふにゃりと頬を緩めて嬉しそうに笑う様をちらりと視線で見てから、魔王は無言でカップの中身を啜る。
どうやら、甘いものは好みに合わないらしい。
「パパもゼルも、働きすぎだよ。ちょっとは休んだらいいのに」
「お前如きに心配されるとは、俺もヤキが回ったな」
フン、と鼻を鳴らす魔王に、二人の様子を見守っていたゼルカヴィアは苦笑だけを返す。
アリアネルが魔王にキスをして、堂々と『家族』宣言をしてから、はや数ヶ月――あれ以来、今まで以上にアリアネルは魔王の元へと通い詰め、ぐいぐいと積極的に距離を詰めていった。
最初は鬱陶しそうにしていた魔王も、何を言ってもめげない子供に呆れたのか、今は少女の好きなようにさせている。
アリアネルが一番最初に望んだのが、この昼間のお茶会だ。
今やアリアネルは、彼女のために用意されるおやつの時間を、必ず魔王の執務室で過ごし、父との会話を楽しむようにしていた。
魔王から何かを話しかけられることは殆どなく、いつも興味深い生態を観察するように少女を眺めるだけだが、アリアネルは気にすることなく魔王に話しかけては、時折こうして、他の魔族が見たら肝を冷やすような大胆な申し出をする。
「そういえば――パパ、花茶が好きなの?いつも飲んでるよね」
「……魔界に、花は咲かないからな。天界と人間界にしかない物だ」
答えになっているようでなっていない端的な言葉は、真意を読み取りづらいものだったが、言いながら茶を啜るのは、やはり気に入っているということなのだろう。あの日以来、いつも日替わりで花の香りのする茶を淹れさせて、魔王はこうして幼女のささやかなお茶会に臨むのだから。
「私も、お花、大好きだよ。パパも、お花が好きなの?」
「好き――という感覚はない。ただ……何か、懐かしさを感じるのは確かだ。あまり愉快なことが多かったとは言い難いあの頃――今となっては遠くなった日々に存在していた、何らかの記憶のカケラなのだろう」
じっとカップの中を見つめて呟く魔王の横顔を、アリアネルは笑顔で見る。
造物主のそばで、彼の直接的な支配下に置かれながら、ただその身勝手な要望を叶えるためだけに存在していたという天界時代――ゼルカヴィアすらまだ存在していなかったその時代、誰にも心を開くことが出来なかっただろう日常の中で、ほんのわずかでも彼が心を和ませたものがあったなら、いい。
思い出したくもないはずの日々の記憶の中で、“懐かしさ”を感じるというそれはきっと、自覚はなくとも彼の心を緩ませる存在だったはずだから。
「そういえば今度、ゼルと一緒に、人間界に行くことになったの。パパには、お花をお土産に買ってくるね!」
「フン……せいぜい、ゼルカヴィアに迷惑をかけんように大人しくしていることだな」
嘲るように呟く魔王に、素直じゃないとアリアネルは笑う。
「しかし、そんなくだらないことを気にする余裕があるということは、魔法は満足に使えるようになったんだろうな?」
「ぅ゛っ……」
アリアネルは頬張ったケーキの最後の一切れをうめきながら飲み込む。
気まずそうな表情を見せたアリアネルの代わりに、苦笑しながら横からゼルカヴィアが魔王の空いたカップにお代わりを注ぎつつ、回答を引き受ける。
「それが、あまり芳しくないのです。どうにも、人間と我々魔族とでは、魔法の使い方が根本から異なっているようで――」
「それはそうだろう。……人間は、天使や魔族と違って、聖気も瘴気もどちらも使うことができる。その気になれば、魔界でも天界でも魔法を使えるだろう。だが、どちらも媒介に出来るという利点がある代わりに、使える魔法のランクに限界がある。天使や魔族と違って、それらの“気“をエネルギー変換ができないからな」
ずず……と仏頂面で茶を啜る魔王は、長く生きているだけあって、人間の生態にも詳しいらしい。
アリアネルは、キラキラとした尊敬の眼差しを向けた後、無邪気に問いかける。
「じゃあ――パパが、魔法を教えてくれる?」
「――――……何……?」
一拍置いて、魔王の低い声が唸るように響いた。




