表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔王様の娘  作者: 神崎右京
第二章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

44/350

44、造物主⑤

「だって、合理的じゃない」

「?」

「心を操れたら――人間の行動は、全部意のままでしょう?じゃあ、心を操って善行を積ませたら、効率よく聖気を集められるんじゃ――」

「発想が随分と俺たちに近くなってきたな」


 ふ、と魔王は吐息だけで嗤う。

 どうやら、ゼルカヴィアが手塩にかけて育てた少女は、想像以上に見事に成長しているらしい。


「天使も魔族も、人間界に関与はするが、人間たちを不当に操作はしない。人間は人間だけで世界を回す。俺たちは、あくまでその営みの中で生まれる気を食べる捕食者でしかない。人間が滅びれば困るのは俺たちだ。必要以上に関与して生態系を壊すことはしない」

「どうして?だって、人間は愚かだって言ってるのはパパでしょう?勿論、リスクがあるのもわかるけど……初代正天使や、パパみたいに、理性で考えられる天使を造って、人間の心を操る力を与えればいいじゃない。そうしたら、生態系を壊すようなことはさせないようにして、上手に聖気を集めて――」


 アリアネルはどうしても理解が出来ないようだ。

 魔王は、冷酷無比と言われるほどに合理の塊だ。そこに、情理が介入することはない。

 何よりも効率が良く合理的な判断をどうして実施しないのか――という問いに、魔王は嘆息してから瞼を閉じた。


「それがどれほど合理的だろうが、意味はない。……そのように、造物主が()()()からな」

「え……?」


 予想もつかない返しに、アリアネルは驚いて言葉を飲む。


「……人間は、愚かだ。生物としては欠陥品ではないかと疑いたくなるほどに、下らない理由で互いに憎み合い、殺し合い、争い合う。誰も介入せず、放っておけば勝手に滅びかねない。予想もつかない行動をするのが人間で、世界を回す歯車としてはあり得ない」

「ぅ……うん」

「だが――その、予想がつかない愚かさこそ、造物主が人間に望んだことだった」

「――――――え――?」


 一瞬、理解が出来ずに魔王の顔を仰ぐ。

 ゼルカヴィアも初めて聞く話なのだろう。固唾を飲んで、魔王の言葉を聞いていた。


「合理で判断し行動する俺や――そんな俺が恣意的に造り出す天使や魔族とは一線を画すのが、人間だ。天使も、魔族も、世界を円滑に回すための歯車に過ぎない。その世界の中心にいるのは――紛れもなく、人間だ」

「……え……っと……?」

「人間が滅びれば、俺たちも滅ぶ。瘴気を生ませるために人間を殺す魔族でさえ、人間がいなくなれば生きていけない。人間が滅びそうになれば、魔族か天使が介入して、人間を繫栄させるように動くだろう。……つまり、この世界の中心は、どこまで行っても愚か極まりない人間ども、ということだ」

「ど……どうして――」

「世界を意のままに創り上げられる造物主は、予定調和が、つまらない。そんな造物主にとっては、たとえ欠陥品だったとしても――誰にも予想の付かないような行動原理で、不測の事態を起こす人間は、”面白い”んだ」


 ゼルカヴィアもアリアネルも、押し黙って魔王の言葉を聞く。

 造物主と呼ばれる全能の神に等しい存在が、この世でたった一人だけ、手ずから作り上げた生命。――それが、今、目の前にいる魔王だ。

 彼はきっと、この世の誰よりも造物主のことを理解している。

 だからおそらく――その言葉もまた、真実なのだろう。


「喜べ、人間。……お前たちは、愚かで、脆弱で、どうしようもなく不甲斐ない生命体だが――決して、未来永劫、滅びることなどありえない。天使が、魔族が、人間よりもはるかに強力で、優秀に造られているのは、そのためだ。――お前たち人間という種を、永続的に生かすため。俺たちは所詮、造物主の『退屈』を紛らわすための歯車に他ならないのだから」

「っ――ちょ、ちょっと、待ってよパパ!」


 ガタンッとアリアネルは椅子を蹴って立ち上がる。テーブルが揺れて、クッキーの乗せられた皿が小さく跳ねた。


「じゃあ――じゃあ、造物主が、『退屈』にならないように、天使も魔族も、人間の本質や生態系に大きく関与するような能力は禁止されてるってこと!?」

「そうだ。心を操るなど、あり得ない。……人間よりも賢く合理的な天使が行動を操ったりしたら、予定調和しか生まれないだろう。造物主は、そんなことを望まない」

「っ……そんな――そんな、そんなっ……」

「……何を激昂することがある?」


 立ち上がったまま拳を震わせ、言葉を詰まらせたアリアネルに、魔王は静かに問いかける。


「この世界は、全て造物主が作り上げた。いうなれば、この世界は神が作った『箱庭』だ。この世の万物における存在意義は全て――造物主を楽しませるため、以外に何もない」

「っ……」

「中から見れば広く感じるこの世界も、全てを俯瞰する造物主の目から見れば小さな小さな『箱庭』だ。その中で起きる出来事に、いちいち一喜一憂するなど、愚かなことだろう。……それが出来る愚かさこそが、人間が人間である所以だな。いっそ羨ましいことだ」


 淡々と、いつも通り感情を映さない澄んだ青空のような瞳を向けた魔王に、アリアネルはぐっと拳を握り締める。

 込み上げてくる何かの衝撃を飲み込んで、やっとのことで食いしばった歯を開いた。


「パパが――いつも醒めたみたいな顔をして、何事にも執着しないのは、これが理由……?」

「……?」


 紡がれたアリアネルの言葉に、質問の意味が分からず、魔王は訝し気な顔をする。

 ただ一人、造物主の手によって造られた魔王は、他の第一位階の天使を造るまで、長らくその絶対的な"神"に等しい存在と言葉を交わすことが許された唯一の存在だった。

 その決して短くはないだろう期間に、『箱庭』で『愚かな生き物』を観察することを至上の喜びとしている存在と、どんな対話をしたのか――想像することすら出来ないが、この反応を見る限り、あまり愉快なものだったとは思えない。


「じゃあ、パパは――パパは、造物主のために、生きてるの――?」

「……まぁ、突き詰めればそういうことになる」


 あっさりと答える魔王に、アリアネルは吐息を震わせる。

 ひくっ……と喉の奥で、熱い塊が引っかかる音がした。


「……?どうしてお前が泣く」


 竜胆の瞳からこぼれた水滴を見て、心底理解が出来ないという顔で、魔王は怪訝に眉を顰める。

 ゼルカヴィアが、無言でそっと立ち尽くすアリアネルの肩を抱いた。


「パパがっ……パパが、哀しいこと、いうから……!」

「……哀しい?」


 理解が及ばない単語だ。眉を顰める魔王に背を向けて、ゼルカヴィアはアリアネルの背中をさする。


「アリアネル。……落ち着きなさい」


 ぶんぶん、と頭を振ってゼルカヴィアの言葉を振り払った後、アリアネルはキッと顔を上げて魔王を見据えた。


「じゃあ――じゃあ、パパはっ……パパは、造物主のことを、愛してるの――?」


 ぱちり、と青空の瞳が驚いたように瞬かれる。

 

「……愛……?」

「だってっ……だって、パパは、造物主のために、生きているんでしょ?」

「あぁ」

「だったら――だったら、せめて、パパはっ……パパだけは、造物主のことが、大好きだったら――」


 ぼたぼたと流れ落ちてきた涙を手の甲で拭う。

 魔王は、理解不能なものを見るようにな視線を向けた後、嘆息する。


「”愛”――俺にとって、この世で一番、理解から遠い感情の一つだ」

「っ……!」

「アリアネル。……もういいでしょう。部屋に戻りなさい」


 ゼルカヴィアは優しく背中を撫でて言い聞かせる。

 

「でもっ……!」

「いいから。……言うことを聞きなさい。貴女は、まだ、魔王様という存在を理解していないのです。貴女の尺度で考えてはいけません」

「っ……それは――私が、人間だから――?」

「……そうですね。あとは――人生経験の差、とでも言いましょうか」


 苦笑して、少女の涙に濡れる頬をゼルカヴィアは手袋に覆われた手で拭ってやる。


「きっとあなたは、造物主と魔王様の関係を、親子のようなものだと想像したのでしょう?」

「っ、だって――だって、パパがっ……!」

「昔、私が、魔王様は魔族や天使にとっての父のような存在だと伝えたせいですね。謝ります。ですが、あの日も伝えたように――我々に、家族と言う概念はありません。推察するに、きっと――魔王様と、造物主の間にも」


 頬を拭った後、視線を合わせて頭を撫でるように髪へと手を滑らせ、ゼルカヴィアは困ったような笑みを浮かべる。


「そこには、貴女が想像するような、親子の情は存在しません。だから――親と子の間に、貴女が思い浮かべるような愛情がなくても、少しもおかしなことではありません。親が子を愛さなければならないという決まりはなく――子も又、親を必ず愛すわけではありません」

「でも、じゃあ、パパは――」

「だから、アリアネル。……貴女が、その小さな胸を痛める理由など、どこにもないのですよ。――どこにも、ね」


 よしよし、と頭を撫でる手は、子を宥めるそれだ。

 アリアネルはポロポロと涙を流す。


 少女は知っている。――家族に愛され、家族を愛す幸せを。

 そこに血の繋がりなど必要ない。

 こうして、優しく慈しんでくれる手があること。

 大好きだとキスを送り、心のままに抱き付くことが出来ること。

 ――抱き上げてくれる腕があること。


 一方的でもいい。家族ごっこだと否定されてもいい。

 それでも、今この瞬間を幸せに生きるために、無くてはならなかった存在たち。


 しかし、魔王には――何万年も気の遠くなるほどの時間を生きてきた魔王には、そんな経験がないのだろうか。


 誰かから向けられる惜しみない愛を受け止めること。

 誰かに惜しみない愛を向けること。


 ただ、与えられた役割のためだけに、淡々と毎日を生きるだけの日々は、どれだけ空虚でつまらないものだろう。


 例え、その結果、造物主を楽しませることが出来たとして――その時、魔王自身の喜びは、一体誰が叶えてくれると言うのだろうか。


(哀しい……寂しいよ、パパ……)


 "愛"とは一番遠いところにある感情――そう言ってのけた魔王の"幸せ"はどこにあるのだろう。


「すみません、魔王様。今日はもう勉強どころではないので、アリアネルを部屋に送ってきます」

「フン……好きにしろ」


 ゼルカヴィアに促されて退室しようと振り返ったとき、ずず……と花茶の残りを啜る魔王が視界に入った。


(――あ……)


 その光景を見て、ふと、気がつく。


 何事にも執着せず、醒めた瞳で日々を淡々と過ごす魔王。

 造物主のためにあるだけの世界ならば、何をしても無意味と諦観しているようなその日常の中で――しかし、彼は、こうして花茶を啜っている。


 彼にとってはなんの利もない『娯楽』のはずなのに――ゼルカヴィアと共にそれを愉しむ心は、あるのだ。


(そういえば――太陽の樹だって――!)


 いつも、時間があれば足繁く通って、じっと遠い昔に記憶を馳せるように物思いに耽る横顔。

 あれは、魔王にとって"特別"な樹なのではないか。

 孤高の存在たる魔王が、何かに心を捕らわれ、執着する、感情の片鱗ではないのか。


(パパは、冷たいわけでも、愛がわからないわけでもない――!)


 きっと、彼の中にも誰かを、何かを慈しみ、愛しく好ましく思う感情の種は存在するのだ。

 だが、造物主という特殊な存在が、彼の中で大きすぎるせいで、自身の心に正直に生きることを制限されている。

 何かに心が動きそうになれば、それを上回る理性で押さえつけられてしまうのだ。


 『箱庭』の中で彼に与えられた、"魔王"という役割を遂行することを求められる限り、ずっと――


「っ……パパ!」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ