43、造物主④
手元の歴史書にはなかった話に、アリアネルは身を乗り出して尋ねる。
正義と戦を司る正天使の役割は――人類の敵である魔族を滅ぼし、魔王を打ち倒すこと。
そのように書かれていることが殆どだったからだ。
(でも――そっか、そうだよね。初代正天使の時は、まだパパは魔王じゃなかったし、魔族なんていなかったんだから、正天使の役割は、魔族に関係ないところにあるはず――)
人間が語る歴史が偏っている、と魔王が呟いた理由に納得しながら、元天使の横顔を見つめると、魔王は小さく嘆息した。
「人間同士で争いが起きたとき――どちらかが悪で、どちらかが正義ということは、殆どない。どちらも、互いの信念に基づく『正義』を掲げて武器を取る」
「!」
「人間界の理だけでどちらが正しいかを断ずることは難しい。どちらにも言い分があり、どちらにも正義がある。……だからこそ、戦争は長引き、どちらが勝っても負けても恨みが残り、再び不毛な争いが生まれる」
「…………」
「争いそのものを無くすことは難しい。……では、争いが起きたときに、『こちらが正しい』と人間界とは異なる理で、絶対的に断じる存在がいれば――争いは早く終わると思わないか」
ぱちぱち、とアリアネルは大きな瞳を何度か瞬く。
ゆっくりと言葉を噛みしめて咀嚼しているらしい幼子に、魔王はチラリと眼をやってから言葉を選び、補足する。
「正天使は、正義と――戦を、司る。……つまり、人間界における争いごとは全て、正天使が『こちら側の言い分が正しい』と断じた方が『正義』と断定され、正天使が『こちら側を勝たせる』と味方した方が勝利する」
「えぇ!!?な――何それ!?」
「つまり、アレの気を惹いた者は、どんな戦争でも最速で必ず勝てるということだ。――故に、顕現などしなくても、伝説上の存在として古来より人間界において『正天使』の存在は崇められ、常にその力を欲する権力者ばかりだった。……そういう愚かさこそ、正天使に最も嫌われる要素とも知らず、本当に人間と言うのは、愚かな連中だ」
馬鹿にしたように言ってのける魔王に、アリアネルはあんぐりと口を開く。そんな超常現象にも等しい行為が許されると言うのか。
「で、でも――じゃあ、正天使が間違った判断をしちゃったら――!」
「しない。……しないように、造った。……必ず、どんな時も、理性的に行動できるように。決して情に流されて判断を誤ることなど無いように。他人に厳しく、己に厳しく、どこまでも公平で、公正で、誰よりも賢く清廉潔白な存在であるように――そう、造った」
「まるで、魔王様そのもののようですね」
ゼルカヴィアが苦笑して呟くと、魔王はふっと視線を遠くへ投げる。
天界における生殺与奪の権利を一手にしていた命天使と、人間界における『正義』の全てを手にしていた正天使。
(――確かに、俺たちは似ていたのかもしれないな)
心の中で、静かに認める。
似ていた。――似すぎて、いた。
だから、互いを尊重し合い、対等に意見を交わし、共に世界をよりよく導くために行動し――
――その道を違ったとき、どうしようもない結末を、受け入れざるを得なかった。
「じゃあ――二代目の正天使が顕現したときは、お祭り騒ぎだったのかもね……」
アリアネルはスケールの異なる話に呆気にとられながらも呟く。
伝承としてしか残っていない『正天使』が目の前に現れたとき、時の権力者たちは歓喜したことだろう。
初代はめったに顕現しなかったとはいえ、目撃例がなかったわけではない。伝承と同じく純白の羽を持ち、黄金の髪をした紅い瞳の人外の存在が、人間滅亡の危機に降臨して、自分は正天使であると宣言しながらもっともらしいことを言えば、確かに信じたくなってしまうのかもしれない。
「急に表れたはずの正天使が、どうして人間たちにこんなにも受け入れられているのか、の理由は分かったけど――じゃあ、心を操るような天使はいないの?」
「いないな。俺は造った記憶がない。――おそらく、今後も生まれないだろう」
「どうして?」
きょとん、とアリアネルは目を瞬いて尋ねた。




