42、造物主③
「勇者などという名前が独り歩きしているが――そもそも、善性の魂を持つ人間の子供に天使が加護をつけるという行為自体は、俺が天使たちを生み出したころからずっと変わらずにあった」
「えっ!?」
「俺の力だけで天使を増やすには、骨が折れる。特に、上位の天使を作ろうと思えば、時間もかかる。一体作り上げた後に、すぐに次に取り掛かれるわけでもないから、量産出来るわけではない。……だが、世界はそんな俺を待つことなく循環している。それならば、確率は低くとも、天界に迎え入れても構わぬほどに高潔な魂を持ったまま死んだ人間がいれば、天使の眷属として何かしらの役割を与えることで、不足分を補えると考えた。……ただ、誰彼構わず受け入れるわけにはいかない。逆に、全く受け入れられないようでも困る。そう考えて、ある程度成熟する年齢まで、外敵から守る”加護”という力を生み出し、世界の制度として組み込むよう造物主に訴えた。それだけだ」
アリアネルは、急いで筆を執ってノートにメモを取り始める。
大好きな父が直々に講義をしてくれる機会など、初めてのことだ。一言一句聞き漏らさぬよう、真剣な顔で魔王の整った顔を見つめる。
「はい、パパ、質問!どうして、それがちょうどいい、って思ったの?」
手を上げて質問するアリアネルの瞳はどこまでもまっすぐだ。
貪欲に知識を得ようとする娘に、魔王は記憶を辿るように視線を巡らせ、口を開く。
「もし、加護の有無に関係なく、死した時点で穢れのない魂を持つ人間を迎える――という制度だったとしたら、流行病だの戦争だの飢饉だので一定地域の人間が大量に死ぬ事態に陥った時、子供の数だけ全部、眷属として迎え入れなければならなくなる」
「ぇ――……あ、そっか。物事の善悪すらわからない赤ちゃんだったら、悪いこととか考えられないもんね」
「そうだ。赤子は皆、基本的に等しく聖気の塊だ。善悪の分別がつくようになってきて初めて、その魂が善性か否かが分かれる。生まれたときからの悪人などというものは存在しないということだ。……どんな悪人も、育っていく過程で、魂が悪性に染まるだけだ。極端な話、もし加護と言う制約がないのなら、生まれたばかりの赤子を全員殺せば、好きなだけもれなく眷属にすることができる」
天使は人間を殺すことは出来ないから不可能だがな、と付け足して、魔王は鼻を鳴らした。
「無駄に眷属を増やすことが目的ではない。あくまで、俺が増やす天使で補えない部分を補助する目的だ。だから、盲目的に受け入れるのではなく、ある程度の制約を課して数をコントロールしたかった」
ふむふむ、と唸りながら、アリアネルはガリガリとペンの音を立てて忙しくメモを取る。
「だが、年齢で一律に区切ると言うのも難しい。……天使にとって、瘴気は猛毒だ。その瘴気を生む可能性を持っていた人間を、特例として天界に迎え入れ寿命という枷を外してやるからには、未来永劫どんなことがあっても瘴気を生まないような心根を持った存在でなければいけない。……人間は、人間同士の営みの中で増える。人間の誕生に、俺の意志は介入しない。そして――そんな人間を元にした眷属も又、天使としての能力やあり方に俺の意志を介入させることが出来ない。不確定要素が大きすぎるのだ」
「不確定要素……?」
「万が一、天界に迎え入れた後に、その眷属が瘴気を生み出すようなことがあれば、猛毒がまき散らされることになって天界は窮地に立たされる。幼過ぎる子供が大量に天界に来ても困る、というのはこの辺りも関係しているな。……だからこそ、厳しい選別が必要だった」
「なるほど。だから、天使の加護と、加護を失った後に死んだ時点での魂の綺麗さで選別することにしたのね!」
ぱぁっとアリアネルは合点が行った様に顔を輝かせる。
こくり、と魔王は頷いてカップを傾けた。――どうやら、この子供は十分に賢い娘らしい。
幼くして死んだ者が全員天界に来ては困る。――理由は二つ。
一つは、飢饉や災害などで大量に死者が出るような事態に陥った時、天界が溢れてしまうから。
もう一つは――幼い時点では善性の魂を持っていても、成長していく過程で悪に染まっていくのが人間だから。
幼くして死に、天界に来た時点では善性の魂を持っていたとしても、永遠に近い寿命を得た眷属が、その後の天界での暮らしの中で瘴気を生み出すような魂に変貌しない保証はない。――命天使の介入のない異物だから、予測がつかないのだ。
だから、”加護”を付けられた人間が、”加護を失った後”に死んだ時点での魂で選別をするようにした。
加護は、十五歳になる年まで続く。
生まれたときは善性の塊だった魂も、十五年も経てば、環境によって変化する可能性は十分にある。故に、死亡した時点での魂が穢れていれば、過去に加護がつけられていた人間でも眷属にしないことにした。
しかし、加護をただの目印として使うのでは、眷属として迎え入れる条件としてハードルが高すぎる。故に、”加護”には特殊な力を付与した。
外敵から身を護る結界を張ること。人間の身でありながら、魔法を使えるようにすること。
少なくとも十五歳までは、簡単に命を落とさせないようにする工夫をしたのだ。――あまりにハードルが高すぎて、眷属になれる人間が零になってしまっても、制度として意味を成さないから。
確かに、絶妙な差配の制度と言えるだろう。
「眷属というのは、滅多に現れぬからこそ価値がある。選んだ魂が、死ぬまで善性を維持すると見抜いた天使への褒美でもある。加護を付けた天使に絶対服従となるのは、そのためだ。……それほどの善性の魂を見極めた功績を称えると同時に、俺の意志が介入しない生命を天界に迎え入れる責任も生じる。――眷属の失態は、加護を付けた天使の失態だ。眷属と天使は一蓮托生。眷属が何かをやらかせば、俺が天使ともども処罰する」
「そ、そっか。絶対服従なら、何か悪いことをしたら、それを止められなかった天使の責任だもんね……」
「そうだ。だから、当時は下位の天使は殆ど眷属を持たなかった。天使の位が高いほどに、司る能力の特殊性が増すからな。当然、責任も増す。己の責任で全てを管理できる者しか眷属を持たぬというのが当時の常識だった。――どうやら今は、随分状況が異なるようだが」
ふ、と嘲笑めいた吐息を漏らした後、魔王は続ける。
「初代の正天使が滅多に人間の前に現れなかったと言うのも、それが関係しているだろう。アレは、誰よりも厳格で、正しく――正義を司るに相応しい男だった。そのように、造った。みだりに人間に加護をつけて、何人も眷属を囲うようなことはしない。……今の二代目のように、誰彼構わず加護をつけて回るような愚か者ではなかった」
少し、言葉を切って瞼を伏せる。
遠い遠い記憶を辿るように。
「正義と戦を司る正天使の役割は、本来、人間同士の争いの仲裁だ。……人は愚かで、争い続ける。争えば、瘴気が生まれ、天界の活動に支障が出る。……だが、人間の習性ともいえるそれを、根本的に無くすことは出来なかった。故に、争いが起きた後、早急に対処するために、正天使を作った」
「どういうこと?」




