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魔王様の娘  作者: 神崎右京
第二章

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41、造物主②

 魔王の執務室に置かれたソファに腰掛け、難しい顔で分厚い歴史書を読み進めるアリアネルは、同じ年ごろの少女と比べても聡明なのは間違いないだろう。

 彼女の手元に開かれている歴史書は、人間界でも歴史学者を志す者が最初に手に取るような難解な書籍だ。

 勿論、アリアネルとて辞書を片手に少しずつ読み進めているわけだが、それでも幼い子供が根気強く読み解けるような代物ではない。


(こうして黙って勉学に励んでいる姿を見れば、深窓の令嬢と言っても信じられそうですね。実態は、何事にも物怖じしない、とんだお転婆娘ですが――魔界の瘴気に慣れた今、やがて人間界で勇者に取り入る段階になれば、勇者らの放つ聖気に体調を崩すこともあるでしょう。病弱で奥ゆかしい、儚げな美女、という印象を付けさせた方が、勇者やその周辺にも怪しまれずに済むでしょうか)


 読書を進める視界に落ちてきたアイボリーの髪のひと房を耳に掛けながら、じっと真剣なまなざしを揺らすことなく一心不乱に勉学に励む少女の集中力に、ゼルカヴィアは心の中で静かに計画を練る。

 天使に愛されるに相応しい白皙の美貌は、病弱という設定をつけてやれば、より周囲の同情を買って油断させやすいだろう。


(昔、魔王様への最低限の礼儀を覚えさせようとして、人間界の上流階級のマナー本を買ってみましたが……別の用途がありそうですね)


 魔族は、生まれた瞬間から魔王への忠誠心を持っている。全員、一定以上の知性を与えられて生み出される。

 故に、魔王への礼儀を失する者など存在せず、魔界には他者に礼儀作法を教えるなどと言う発想そのものがなかったため、体系的に学ぶことができる人間界の教本を仕入れたのだが、思わぬところで役に立ちそうだ。


 仕事の傍ら、時折視線をやると、アリアネルはノートに何かをメモのように書き込んでいる。図のようなものもあるから、頭の中を整理しながら一つ一つ理解しているらしい。

 歴史の概要はすでに毎晩寝る前の読み聞かせ代わりに伝えるうちにあっという間に覚えてしまったから、今は基礎知識では補えない箇所を学んでいるのだろう。


「ん……あれ……?」


 読み書きを習い始めたばかりのころに比べて格段に上達した文字の羅列を眺めながら、美しい眉を顰めて小さく首をひねった少女に気が付き、仕事の手を止める。


「どうしましたか、アリアネル。何かわからないところでも?」

「あ、うん……今、大丈夫?」


 質問をしてもいいかという意味だろう。見上げてくる竜胆の瞳を受けて、ゼルカヴィアもまた上司の許可を得るため魔王を伺う。


「好きにしたらいい。……そろそろその子供の腹の虫が騒ぎ始める頃だろう。菓子を運ばせろ」


 鼻を鳴らしながらバサッと書類を机に置いて告げる魔王に、ゼルカヴィアは苦笑する。休憩時間と称して、アリアネルに集中する時間を作ってくれたようだ。

 不器用な上司の優しさに感謝しながら、ゼルカヴィアはロォヌに伝言メッセージを送って執務室に菓子を運ばせるように手配した後、アリアネルの手元を覗き込む。


「どこが分からなかったのですか?」

「えっと……前にアリィが聞いたときは――」

「"私"、でしょう?」


 一人称を正してやると、ハッとして口を噤み、バツが悪そうな顔をして唇を尖らせる。

 上流階級出身の娘と偽るのであれば、言動もまたそれらしく振舞う必要がある。自分のことを愛称で呼ぶ癖は早いうちに矯正しようと、最近のゼルカヴィアは口酸っぱく訂正してくるのだ。


「私が、聞いたときは――正天使が最も親しみやすくて尊敬されている天使だって、言ってたよね?」

「よく覚えていますね。その通りです」


 ゼルカヴィアが肯定すると、丁度ロォヌが到着し、運んできた菓子を広げていく。

 最後に、トプトプとアリアネルの手元のグラスに牛乳ミルクを注いだ後、ロォヌは魔王とゼルカヴィアを振り返って頭を下げた。


「魔王様、ゼルカヴィア様。人間界で流行している花茶という茶葉を手に入れました。香りが高く、上品な味わいで、きっとお気に召すかと。……もしよろしければ、執務のお供にお淹れしますが、いかがいたしますか」

「ほう。いいですね。いただきましょう。……魔王様も如何でしょうか。良い息抜きになるかと思いますが」

「フン……ならばもらおう」


 色と味の付いた液体を好んで飲む習性など、アリアネルが提案しなければ永遠に無縁のままで生きていただろうが、口に入れる物を『娯楽』として享受するのが最もハードルが低いのではとアリアネルが予想した通り、ゼルカヴィアは初めて口にした日以来、存外、人間界の茶の文化を気に入っていた。


「わ、すごい。お花の匂いだ――!」

「はい。良い香りですよね。最近になって、花や果物の香りを茶葉に移す技術が人間界で発見されたようで、一部の人間たちの間で爆発的に流行しているのだとか。この香り以外にも、色々な花の匂いがあるようですよ」


 茶を入れながら知識を披露するロォヌに、アリアネルは感心したように目を輝かせる。


「アリ――私も、飲める?」

「さぁ……味は、普通の紅茶と同じくらいの渋みがありますから、まだ少しアリアネルには早いかもしれませんね」


 少し前にゼルカヴィアが気に入ったという紅茶を、アリアネルが自分も飲みたいとねだった末に、苦くて飲めずに涙目になっていた日を思い出し、ロォヌはふふ、と控えめに笑ってみせる。


「大人になったら飲めますよ。楽しみにしておきなさい」

「はぁい」


 苦笑しながら花茶を受け取るゼルカヴィアに言われ、む、と口を尖らせながら、アリアネルは大人しく注がれた牛乳ミルクを飲む。魔族と異なり、食事が『娯楽』ではなく成長のために必須であることを考えると、アリアネルは栄養バランスのためにも決められた献立をしっかりと平らげねばならない。牛乳ミルクもそのうちの一つだ。

 ロォヌが退出するのを見届けて、魔王もまた静かにカップに口をつける。


(パパも、口と表情に出すことはないけど――結構、お茶飲むの、好きだよね。好みは、ゼルと似てる気がする。だから、お仕事でも息が合ってるのかな)


 長年一緒にいると、嗜好性まで似てくるのだろうか。

 むっつりと押し黙るばかりの魔王と、慇懃無礼が服を着て歩いているようなゼルカヴィアに共通点があるなど、誰に言っても共感は得られまい。本人たちとて、無意識だろう。

 アリアネルがこっそりと大好きな二人の共通点に心を和ませていると、ゼルカヴィアは再び少女の手元を覗き込んだ。


「それで?食べながらで構いませんから、続きを」

「あ、うん。えっと……なんで、正天使だけがそんなに人間界で支持を得ているのかなと思って、その視点で歴史を見てみたんだけど」


 言いながら、皿に乗せられたクッキーを手に取る。

 口の中でほろりと崩れて、甘い幸せな味が広がると、アリアネルは頬を緩ませてわかりやすく笑顔になった。


「ほう。興味深い視点です。それで、どうでしたか?」

「んっとね……圧倒的に、人間界にちょっかいを出してるからだと思うの」

「ちょっかい……?」

「うん。人間界に降りて、人間たちにも姿が見えるようにして、言葉を交わすことを『顕現』って言うんでしょ?歴史を見ていくと、『顕現』した天使を見たとか会話したとかっていう報告例は、正天使だけが圧倒的なの」


 アリアネルのノートを見れば、第一位階から順にめぼしい天使を羅列し、歴史書に記述が出て来た数を数えていたらしい。その数を信用するならば、確かに二位以下に圧倒的な差をつけて、正天使がぶっちぎりの一位を獲得している。


「特に、初代の勇者が現れてからは顕著なんだよね……毎回、勇者候補――自分が加護を付けた人間の前に現れるのは勿論、王都の神殿にもたびたび訪れては『神託』と称して色々とお告げをしていくらしいよ」

「ふむ……第一位階の天使ともあろうものが、暇なんでしょうかね」


 ゼルカヴィアは、わかりやすく棘のある物言いで小ばかにしたように鼻を鳴らす。


「魔王を殺せとか、魔族を討伐しろとか、いつも似たようなメッセージを発してるんだけど――そもそもなんで、一番最初に人間たちは正天使の言うことを聞こうって思ったのかな」

「?……単純に、『顕現』する頻度が高いため、親しみやすく感じられた――という理由以外で、ですか?」

「うん。もっと前――一番最初の話。……だって、天使って、明らかに人間とは違う外見をしてるでしょ?鳥みたいな大きな羽を持ってるし、真っ白なぞろぞろした服着てるし……それなのに、最初に見た人は、なんで『化け物』って思って拒絶しなかったのかなって。……むしろ、魔族の方が、天使よりよっぽど人間に近い見た目だと思うんだけど」


 納得がいかない、という様子で唇を尖らせ、再びもぐもぐと口の中の菓子を咀嚼し終えてから、アリアネルはぺらっと書籍の頁を捲る。


「前、ゼルは、今の正天使は二代目だって言ってたじゃない?」

「そうですね。人間界の伝承では、初代の正天使は、見事な黄金の長髪を持つ厳格な天使だったとのことです」

「うん。……どうやら、その初代の天使は、あまり人間界に『顕現』しなかったみたいなの」

「?」

「滅多に顕現しないから、伝説上の生き物としか思われてなくて、実在すら危ぶまれていて……でもある日、人間界を揺るがすような、とんでもない天変地異が観測されたんだって」

「……ほう?」

「人類の滅亡すら危ぶまれ、世界中が混乱しているときに、それまで伝説としか思われてなかった正天使が『顕現』して、一人の人間を初代『勇者』に指名し、人々を正しい方へ導いた――って。それ以降、人間の危機を助けてくれる正義の味方として、正天使は世界中で崇められている……らしい、んだけど」


 どこか釈然としない顔をしながら、アリアネルは細い指先でもう一つクッキーを摘まむ。


「勇者を指名して――ってことは、滅亡の危機に現れて人々を導いた天使は、二代目の方だよね?パパのことが嫌いな方の、天使でしょ?」

「そうですね」

「でも、そんなに危機的な状況なら、人間たちの心に余裕があったとは思えないし……そんな時に、見たこともない羽を持った怪しい生物が、お告げみたいなこと言っても、信じられなくない?初代の正天使は、実在すら疑われてたくらいだったのに」

「……まぁ、一理ありますね」

「でも、人間たちは信じた。――どうして?もしかして、正天使の傍には――人の心を操る天使、とかがいるの?」


 ぎゅっと眉根を寄せて、真剣に考え込む少女に、ゼルカヴィアは感心する。いつの間に、幼女はこんなに賢くなっていたのだろうか。

 アリアネルの脳裏には、かつて、己が見た不思議な夢があった。

 もしあれが、自分が死んで眷属になった後ではなく――生きている状態で起きるとしたら。

 そんな可能性があるならば、きちんと学んで、対策を立てておきたかったのだ。


「私の記憶では、そうした天使がいると言う話を聞いたことはありませんが――」

「そう、なの……?」

「えぇ。ですが、気になるところですね。……ここは、明確に答えを知っている御方にお聞きするとしましょう」


 にこっとゼルカヴィアは笑った後、振り返って魔王を見る。

 ゼルカヴィアの視線を受け、ずず……と静かに茶を啜っていた魔王は、長い睫毛を微かに伏せた後、嘆息してから口を開いた。


「この俺に、教師まがいのことをしろと言うのか」

「有益な人材に育てるためにも、間違った知識をつけたくはないのですよ」

「フン……くだらん。……だが、人間たちに伝わっている歴史とやらが、酷く断片的で偏向していることがわかったことだけは良しとしてやる」


 つまらなさそうにぼやいてから、カップを置く。カチャリ、と陶器の硬質的な音が響いた。


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