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魔王様の娘  作者: 神崎右京
第二章

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37、お兄ちゃん④

「「まっ――魔王様っっ!!!」」

「わっ……!」


 ロォヌはその場で、オゥゾは膝にのせていたアリアネルを転げ落としながら、二人揃ってザッと冷たい石床に膝をついて首を垂れる。


「び、びっくりした……」


 危うくフォークを取り落としそうになったアリアネルは、日々の体術の鍛錬の賜物か、咄嗟に踏みとどまれたことに安堵してほっと息を吐く。

 それから、二人を平伏させた存在へと視線を遣って、きょとん、と首をかしげる。


「パパ。――どうしたの?」

「「パっ――!???」」


 アリアネルが魔王のことをそんな風に呼んでいることを知らなかったのだろう。二人は青ざめた顔でアリアネルを振り返る。


「中庭に行こうと前を通りかかったら、喧しい声が聞こえたから、何事かと覗き込んだだけだ」

「そっか。うるさくしてごめんなさい。……今、アリィのご飯食べてたの」

「……いつもここで食べているのか?」

「ううん。お部屋で食べることが多いよ。でも、今日は――ゼルが、いないから」


 困った顔で告げると、皆まで言わずとも事情を察してくれたのだろう。鼻を鳴らした後、チラリと魔王は視線を移す。


「それがどうして――オゥゾの膝に乗ることになる?」

「っ!!もっ――ももも申し訳ございませ――!」

「オゥゾが、アリィのご飯食べてみたいって言ったの。オゥゾはね、アリィの匂いが大好きなんだって。だから、普段何を食べてるのか気になるって言って――」

「ほぅ……?」

「あっ――ああああアリィ!!!ちょっと!!!黙ろうか!!!?」


 魔王の冷ややかな視線にも当たり前のようにつらつらと言葉を重ねるアリアネルに、ガタガタと可哀想になるくらい震えながら、懇願するように声を上げるオゥゾ。

 きょとん、と少女は目を瞬く。――魔王が、何か誤解をしてオゥゾを咎めたりしないように、事実を伝えようと思っただけなのだが、間違ったことをしただろうか。


「そういえば、パパ。魔族の皆は、人間のご飯を食べても大丈夫なの?ロォヌは味見もするから、大丈夫なようにパパが造ってくれたのは知ってるんだけど――オゥゾが、お腹痛くなったりしたら、可哀想だなって」

「……ほぅ。その可能性に思い至っていたのに、なぜ、人間の食事を食べようなどと思ったのだ?オゥゾよ」

「はっ……ははははははい!!!!そのっ――こ、こここ好奇心に負けて、とにかくその一心で――!!!」


 だらだらと流れ落ちる滝のような汗が、石床に染みを作っていく。どうやら、彼の中にも、どこかやましいと思う気持ちがあったのだろう。

 低く冷ややかな魔王の言葉に、恐縮し切っているオゥゾを、アリアネルは庇う。


「パパ、怒らないであげて。オゥゾは、いつもよくしてくれるよ。お風呂に入る時は勿論、お城ですれ違っても、いつも明るく声をかけてくれるの。今日だって、アリィのためなら人間の街の一つくら――」

「アリィぃいいいいいいいいいいいいい!!!それは駄目だ!!!それは、それだけは駄目だ!!!頼むから!!!なっっ!?なっっ!!!?」


 ゼルカヴィアだから叱責一つで済んだそれも、魔王の前では本気の処刑につながりかねない。

 アリアネルは知らないのだ。魔王の、冗談が通じない冷酷さを。

 規律のためならば、同胞の処断にも何一つ心を動かさない冷徹さを――


「……まぁいい。その娘に免じて、今日は見逃してやる」

「は、はっ……!ありがたき幸せ……!」


 額を石床に擦り付けて、大仰に礼を言う。――本気で、寿命が五百年位縮んだ気がする。


「……何を食べていたんだ」

「んと……サラダと、お肉と、スープと……今は、デザート!」


 魔王が部屋に入って来て、興味深そうに皿の中を覗き込む。

 距離が近くなって、魔族二人は化け物のような魔王の魔力量に圧倒されて動けない。中級魔族のロォヌに至っては、今にも泡を吹いて失神寸前だった。


「……フン。これくらい、魔族が口にしても害はない。安心しろ」

「ほんとう!?」

「あぁ。そもそも、中級以上の魔族は、多少人間の食事を口にしても問題ないように作ってある」

「そうなの!?」

「あぁ。それは――」


 理由を説明しようとして、微かに顔を顰める。

 ハッ……!とアリアネルは昼間の光景が蘇って息を飲んだ。


「ご、ごめんなさい!聞いちゃいけないことだった……?」

「……いや。思い出した。……そもそも、人間界に紛れ込んで人を騙し、瘴気を摂取する魔族もいる。人間と同じ食事をとることなく過ごす者など、いくら姿かたちが似ていても気味が悪く、怪しまれるだろう。故に、大量に、日常的に長期間摂取しない限りは問題ないように造った」


 ふるっ……と頭を振ってこたえる魔王に、ほっと安堵の息を吐く。


(昼間と言い、今と言い……どうにも、魔界に堕とされてすぐ――魔族を造り出したあたりの時代の記憶がおぼろげだな。綺麗にその時代に関連することだけ――となると、何者かによる恣意的な行為を疑いたくなるが、ゼルカヴィアの力をもってしても記憶を戻せなかったとなれば、生半可な術ではない。第二位階以上の天使の介入か――造物主の――)


 そこまで考えて、もう一度頭を振る。

 馬鹿馬鹿しい。考えるだけ無駄なことだ。

 

「あのね、いつもロォヌはね、すごくおいしい料理を作ってくれるの。栄養も満点で、アリィはロォヌのご飯で大きくなったの。おやつも甘くて、すっごく美味しいの。でも、魔族の皆はご飯を食べないから、ロォヌのお仕事をわかってもらえなくて、アリィの感動も上手に伝えられなくて、残念だなって思ってたの」


 アリアネルは、ここぞとばかりに魔王にロォヌの有能さをアピールする。

 少女は知っていた。人間界に降りて自分で瘴気を集めるような能力を持たぬロォヌが、魔王城で肩身の狭い思いをしていることを。


「……そうか」


 チラリ、と魔王の蒼い瞳が石床に平服したままの中級魔族に移る。

 普段は氷を思わせるその視線に射抜かれ、びくりと肩を震わせた後、ロォヌはさらに額を床に擦り付けた。


「ねぇ、パパ。もし魔族も、人間のご飯を食べてもお腹を壊したりしないなら――ロォヌのご飯を皆に食べてもらっちゃダメかな……?」

「?……なぜそんな必要がある」


 すぃっと青空色の瞳が戻って来てアリアネルを見る。

 魔族であれば、その一言を受けただけで「差し出がましいことを言いました」と言って引き下がるのが普通だが、アリアネルは臆せず考えを口にした。


「生きるのに絶対必要じゃないけど楽しいことをするの――ごらく、って言うんでしょ?アリィは、おやつを食べたり、絵本を読んでもらったりするけど、魔族の皆は、いつもお仕事ばっかりしてるよ」

「……ふむ」

「だから、ロォヌのことも皆知らないの。ううん、違う……お仕事で関係しない人のことは、皆、気にも留めないの。アリィが話しかけたときも、皆びっくりしてたし」

「だろうな」


 魔王は鼻を鳴らして頷く。

 魔族を生み出すときに魔王が考えているのはただ一つ――その命を、世界の中でどんな『役割』として生み出すか――それだけだ。

 寿命という概念が存在せず、ただ世界を円滑に回すために恣意的に生み出され、増え過ぎれば駆逐されるその命に、日常を楽しく過ごそうなどという発想を持たせることはない。


「でも、皆、話しかけたら、ちゃんとアリィのお話聞いてくれるの。アリィがお花や甘いものが好きって言ったら、人間界に降りたときに調達してきたって言って、お花やお菓子をくれる魔族の人もいるよ」

「……ほぅ……?それは初耳だな」


 チラリ、と今度は床の燃え盛る炎のような髪へと視線を移す。

 心当たりがあったのか、オゥゾの肩も勢いよく跳ね上がった。


「アリィとお話ししたり、アリィのために何かを持ってきてくれたり……そういうのは、お仕事とは関係ないこと、でしょう?」

「そうだな」

「オゥゾも、お肉を食べておいしいって言ってた。いい匂いする、って言って、いつもぎゅってしてくれる。ルミィも、肌触りがイイって言って、ほっぺをぷにぷにしてくれる。とっても楽しそうだよ」

「……ほう」

「魔族のお仕事に関係ないこと――ごらく、っていうのが……わからないわけでも、楽しくないわけでも、無いんじゃないかな?って思って。だったら、もっと、皆で仲良くして、楽しくしたらいいのに――って、思ったの」

「……仲良く」

「うん。ご飯は、一番わかりやすくて手軽な『ごらく』かなって思ったの。ロォヌのことを知ってもらう一番いい機会だし――ねぇ、パパ、駄目かな」


 上目遣いでじぃっと竜胆の瞳が見上げてくるのを、魔王は二度、三度と瞬きをして風を送った。どうやら、静かに何かを考えているらしい。


(この子供の言うことは、何一つ論理的ではない。所詮、どの魔族も世界を円滑に回すための歯車に過ぎない――この俺自身もそうであるように。ただ、『役割』をこなすために生きる存在にとって、それ以外の『娯楽』など、必要とは思えないが――……)


 顎に手を当てて、長い黄金の睫毛を伏せる。

 脳裏に浮かぶのは、過去、今まで自分が無情に葬り去ってきた同胞の魔族たち。


(『役割』を超えて暴走する輩がいるのは、事実だ。生命維持の食事以外の目的で人間界に降りて、世界を混乱させる連中と言うのは、大抵そこに『悦楽』を見出して理性でやめられなくなる者ばかり。……そういう意味では、日常的に『娯楽』で発散させれば、行き過ぎた『悦楽』を求める行為をする者が減るかもしれんな)


 言われてみれば、確かに魔族たちは毎日同じルーティンをこなすばかりだ。

 魔界を統括する役割の魔王とその補佐をするゼルカヴィアは、遍く魔族たちを知っているが、それ以外の魔族たちは皆、普段の生活で接することのない魔族については、名前どころか存在も知らぬ者が殆どだろう。

 強力な魔族であるオゥゾやルミィでさえ、魔王城の外にいる魔族のことをどれだけ知っているかと問われれば怪しい。


(魔族同士で交流が増えれば、日常と異なる動きをしたり様子がおかしくなったりした者を早期に発見することも出来るか……?そう考えれば――)


「……一考してみよう」

「「っ!!!???」」

「ほんとう!?ありがとう、パパ!大好き!」


 まさか、幼女の下らないとしか言えぬ戯言を、魔王が一蹴せず真面目に受け止めるとは思わず、魔族二人は声にならぬ驚愕を示す。


「要件を終えたならさっさと食って部屋へ戻れ。……お前の不在が長いと、ゼルカヴィアが心配するだろう」

「う、うん」


 鼻を鳴らしながら窘められ、アリアネルは硬い表情で頷いてからフォークに差した果物を急いで口の中へ運ぶ。

 いつも底抜けに明るいアリアネルの表情がほんの少し曇ったのを見とがめ、魔王は軽く首を傾げた。


「何か、懸念事項でもあるのか」

「え?」

「今頃人間界では、陽が完全に落ちているはずだ。そろそろ、()()()も帰ってくる頃合いだろう」

「ぁ――う、うん」


 魔王の言葉が誰を指すのか正しく理解して、アリアネルは頷く。“お兄ちゃん”のことを言っているのだろう。

 アリアネルは口の中の塊を急いで咀嚼し、ごくんと飲み込むと、フォークを置いて立ち上がる。


「ロォヌ、ごちそうさまでした!オゥゾも――今日はお昼にお風呂に入ったから、明日の朝に入るよ。また明日ね!おやすみ!」


 バイバイ、と手を振るが、魔王から許可が出ていない状態で顔を上げることは許されない。

 声を上げることすら出来ず、二人は旋毛を向けるだけでアリアネルを見送った。


「パパも。……また、明日ね。おやすみなさい」

「フン。早く帰れ。……ゼルカヴィアが五月蠅い」


 相変わらずつれない反応の父にもめげず、アリアネルは精一杯の笑顔を振りまいてから、部屋へと帰っていった。


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