350、番外編:おまけの後日談
魔王が直々に王都に攻め込み、天使と対決した人類史上稀にみる大事件から、数日が経った。
どうやら、造物主は特に人間たちに対して記憶操作を行ったりはしていないらしい。
人間界は、混乱に次ぐ混乱で、まだまだ立ち直ることが出来ていないようだ。
「正天使の躯は残っていましたから、天使が負けたことは間違いないですが、魔王軍がそれ以上の侵攻を一切しなかったことと、勇者シグルトが、魔王様の天使姿も目撃していたせいで、あの日何が起きたのか、今後何が起こるのか、まったく予想がつかずに大混乱のようです」
「そうか」
ゼルカヴィアが持ってきた人間界の様子の報告書を流し読みしながら、特に感情を動かすこともなく魔王は傍らのカップに手を伸ばす。仕事が膨大故に、約束していた時間通りにお茶会が始められそうにないと悟った娘が、多忙の父を案じて、先んじて一杯だけ、一生懸命に入れてくれた温かい花茶だ。
「良いのですか?記憶操作をする必要はない、と言われたので放置しておりますが……」
「構わん。必要があるなら造物主が対応しただろう。お前が代行する必要はない。時間をかけて、そのうち事実をかいつまみながら、勝手に自分に都合の良いように解釈して語り継がれていくだろう。記憶や歴史とはそんなもの、ではないのか」
「それはまぁ……そうかもしれませんが」
ゼルカヴィアが記憶を操作したときも、空白となった記憶は、本人が認知した事実と事実を繋ぎ合わせ、都合の良い解釈で造られていくことがわかっている。同様のことが起きるだろうと放置の姿勢を崩さない魔王に、やれやれと肩を竦めてゼルカヴィアはため息を吐いた。
「人間たちの大きな営みの中ではそれで問題がないでしょうが――アリアネルへの問い合わせは止みましたか?」
「へっ!?――あぁ、うん、大丈夫。シグルトは色々聞きたそうにしてたけど、パパが話すなって言っているから、私からは何も話せないよ、って言ったら、困ってはいたけどそれ以上は聞かれることなくなったよ。マナは、人間界の事情が落ち着いたら、どこかでゆっくりお茶しようって言ってくれたの。お互いの事情には触れない、ただ一緒にいた時間のことだけを分かち合うお喋り会にしようねって約束したんだ」
二人の仕事が一段落してお茶会が始まるまで、魔王の執務室のソファで大人しく待っているアリアネルは、急に話の矛先を振られて、驚きながらも近況を報告する。
「そうですか。それならよいのですが」
唯一、真実を知っていそうなアリアネルに質問が殺到し、少女が疲弊することを危惧していたゼルカヴィアは、そんな心配をしていたとは微塵も思わせないような涼しい顔で頷いただけだった。過保護で天邪鬼な性格は健在らしい。
その後も、あれこれと話している二人の横顔を見ながら、アリアネルは感心したように大きなため息を漏らす。
「どうしました、アリアネル。待ちくたびれてしまったかもしれませんが、もう終わりますから――」
「あ、ううん。違うの。ただ、パパとゼルが、本当の親子だったなんて――未だにびっくりだなぁって、改めて思って」
戦いが終わった後、アリアネルにも、二人の関係の真実を明かされた。どこか似ているところがある、と常々思っていたアリアネルにとっては、『絶対に信じられない』というほどではなかったが、それでもやはり、驚きは隠せなかった。
「しかも、『聖なる乙女』がゼルのママだったんでしょ?」
「ママ……相変わらずあなたの口にするそれは、酷く違和感を伴う呼び方ですが、まぁ、そういうことですね」
眼鏡を押し上げながら、不服そうに認めるゼルカヴィアに、アリアネルは再び感心したように息を漏らす。
「そっかぁ……でも――だから、ゼルは、初代正天使に似てるんだね」
「――はい??」
一足先にカップに注いだ茶に口を衝けながら納得するように告げたアリアネルの言葉に、ゼルカヴィアは間抜けな声を上げた。
魔王は、無言でぴくりと眉を跳ね上げる。
「パパがね、昔、言ってたの。ゼルは、初代正天使に似てるところがあるって」
「はぁ……?全くの初耳ですが――何故そう思うのですか?」
「え?だって、ゼルのママは、初代正天使に育てられた『聖なる乙女』なんでしょう?だったら、ゼルのママは、ゼルを育てるときに、自分がどういう風に育てられたかを参考にするんじゃない?小さい頃のゼルを育ててくれたのが『聖なる乙女』なら、ゼルが初代正天使に似るのも納得って言うか――」
「――――似ていない」
むすっとした不機嫌な声が、アリアネルの説明を遮る。
「……魔王様?」
「似ていない。お前もあの時、ゼルは誰よりも俺に似ていると言っていただろう」
「え?あ、う、うん。そうだけど、でも、あの時はパパ、『冷静に考えても、俺とゼルカヴィアに共通点を見出すことは難しい』って言って――」
「あの時の俺はどうかしていた。冷静に考えれば、共通点ならいくつもある。ゼルは俺の息子なのだから、ゼルが似ているのは俺に決まっている。あの男になど、欠片も似ていない」
眉間に皺を寄せながら、不愉快そうに言い切って茶を啜る横顔は、それ以上の反論を許さない空気を纏っていた。
アリアネルは、たった一年で180度意見を覆した父にきょとん、と眼を瞬かせる。
妙な空気が流れた室内で、ゼルカヴィアは呆れたように大きなため息を吐いた。
「気にしないでください、アリアネル。魔王様はただ、拗ねておられるだけです。昔から、母が嬉しそうに初代正天使の話題を出すと、冷静に聞いているふりをしながら、どこか面白くなさそうな顔をしていましたから。単に、妬いているだけですよ」
「えっ――パパが!?」
「息子が、妻の元カレに似ていると言われて喜ぶ男はいないでしょう?そういうことです」
「黙れ」
鼻の頭に皺を刻んで、呻く魔王に、ゼルカヴィアは肩を竦めるだけだ。この件に関しての小言は聞き流すモードらしい。
「だいたい、お前はいつになったら俺を父と呼ぶんだ」
「仕事中は、公私混同を避けるために、今まで通りの呼び名で行くことになったでしょう?」
「お前が、仕事中は愛称で呼ばれても絶対に返事をしないと頑なだったから、仕方なくだ。一体、誰に似たのか――」
「その辺りは間違いなく母でしょうね。とはいえ、決まったことは決まったことです。魔王様こそ、仕事中に私のことを愛称で呼ぶのをやめてくれませんか?」
「今は仕事中ではない」
ああ言えばこう言う魔王は、今まで見て来た中で最も魔王らしくなくて、アリアネルはふふっと笑みを漏らす。
穏やかな日常が返って来たことを、実感できる、幸せな日々だ。
「お仕事終わったなら、お茶にしようよ!パパもこっちに来て。あ、ゼルの分も花茶を入れるね!今日は、約束の『おでかけ』をどこにするか決めるんでしょう?」
「フン……」
「何故私まで同行することが当たり前のようになっているんですか……」
かつては魔王と『デート』するのだと浮かれていたはずのアリアネルは、いつのまにか家族のピクニック気分で『おでかけ』を計画するつもりらしい。
鼻歌交じりでミュルソスの部屋から持ってきたらしい魔界の地図をいそいそと広げるアリアネルに、魔王とゼルカヴィアは軽く嘆息してアリアネルの元へ向かうのだった。
◆◆◆
それからまた、しばらくして――
「あれっ、パパだ。しばらく天界に行くって言ってなかった?」
数日前に、嫌そうな顔で旅立っていった魔王の姿を中庭の太陽の樹の根元に見つけ、アリアネルはひょこひょこと近づいていく。
いつもは大樹を立ったまま見上げていることが多い魔王だが、今日は珍しく樹の根元に座っているから、一瞬気が付かなかった。
「今朝、帰って来たところだ。天界に行くと気疲れする。休憩しているところだ」
「そっかぁ。……大丈夫?休憩中にも書類を読まなきゃいけないくらい、忙しいの?」
アリアネルは魔王の手元を指さして心配そうに問いかける。魔王が座り込んだ膝の上に、かなり分厚い書類の束を綴じられたと思しき本を開いていたためだ。
「あぁ……いや。これは、仕事の書類ではない」
「えっ、そうなの?ゆっくり読んでるから、よっぽど重要な書類なのかなって」
「この書類は、確かに重要ではあるが――息抜きの一つだ。お前が提唱した、『娯楽』に近い」
「ふぅん……読書ってこと?」
『役割』以外のことには、一切興味がないようにふるまっていた魔王が、娯楽のために本を読むことがあるなど、俄かには信じられず、アリアネルは聊か驚いた声を上げた。
「そうだな。情報を脳に入れるために読んでいるわけではない。人間どもが言うところの、鑑賞、に近い。昔からこれだけは、出来る限り時間をかけて何度もじっくりと、情景を想像しながら読み込むと決めている。そういう意味で、これは『読書』とも言えるのだろう」
「へぇ~。面白いの?」
「あぁ。ミュルソスの部屋から借りて来た」
黄金の魔族が暮らしているインクの匂いが充満する部屋を思い出し、アリアネルは首をひねる。
確かに、あの穏やかな紳士が読書を趣味にしているといっても疑わないが、魔界が出来てからの記録を全て押し込んでいるというあの部屋に、娯楽の書物を置くようなスペースがあるのかと言われれば疑問だ。
「この書類があれば、俺自身の愚かさのせいで、二度と取り返せないと思っていた時間を、辿ることが出来る。ミュルソスには感謝しなければなるまい」
魔王として過ごしている仕事中の顔とは打って変わって、穏やかな横顔で書類に目を落としている父を前に、アリアネルは、一体どんな書類なのかと一緒に手元を覗き込もうとして――
「魔王様、こんなところにいらっしゃったのですか。不在の間のことで、お耳に入れたいことが――」
ゼルカヴィアの声が響き、休憩時間が終わろうとしていることを察すると、魔王は少し残念そうに嘆息し、ぱたんと本を閉じた。『役割』に忠実に生きることだけを信条としていた頃には、考えられないような心境の変化だろう。
「……む。不在の間の書類仕事は、まだ渡したつもりはなかったのですが――」
「これは仕事の書類ではない。娯楽の一種だ」
アリアネルにしたのと同じ説明をすると、ゼルカヴィアは怪訝そうに顔を顰めた。
「読書ということですか?でもそれは、一般的な書籍――では、ありませんよね?」
どう見ても、ただの書類の束だ。アリアネルもゼルカヴィアも、仕事の書類だと勘違いするほどに、それは報告書か何かのようにしか見えない。人間界で流通しているような装丁の娯楽小説とは似ても似つかないものだった。
「ミュルソスから借りて来た。あの男もよく、一万年も前の報告書を後生大事に保管していてくれたものだ。今度、褒美を取らせねば」
「一万年、前……?」
ピクリ、とゼルカヴィアが反応する。
そのころのミュルソスは、執務を担っていなかったはずだ。
そのころ、ミュルソスが造っていた『報告書』といわれて思い浮かぶのは――
「ちょっ――魔王様!!!それをこちらに寄こしてください!!!!」
「断る。お前にだけは絶対に渡さん」
「あぁもう絶対アレじゃないですか!!!どうせ碌な事は書かれてないんでしょう!!」
「お前はどうしてそう反抗的なんだ。父の力になりたいのだと、ミュルソスに駄々をこねて初めて剣を握った、このころの愛嬌はどこへ置き忘れて来たんだ」
「えっっ!!!?何それ!!?その本、そんなこと書いてあるの!!!?」
「あー!!!もう!!!アリアネルが余計なことに興味を持ってしまうでしょう!!!!」
いつもアリアネルの幼少期のエピソードを持ち出しては揶揄っていたツケが回ってきたのだろうか。ゼルカヴィアは慌てて父から書類を奪おうと試みるが、世界最強の男を相手に、敵うはずがない。
「放っておくと、お前はこれを不当に処分しかねないからな。うんざりしながらも天界で封天使に会いに行って、わざわざ最高位の保護魔法をかけさせた甲斐があった。お前が何をしようと、もうこれには傷一つ付けられん」
「職権乱用にもほどがあるでしょう!?ちゃんと仕事してください!!?」
数日間、天界に行っている間に、魔王が完全に公私混同した用事をねじ込んでいたことを知って、ゼルカヴィアは叫ぶ。
だが、魔王は聞き入れる気などないだろう。
これからはきっと、太陽の樹の下で、この本を開いてゆっくりと読み込む時間が増えるはずだ。
その昔、文字を読むだけで情景が浮かぶ様に、と指示をした報告書は、優秀な上級魔族の手によって、非常に丁寧に、当時をリアルに思い起こさせるような書きぶりで記されている。
リアが殺され、魔王がゼルカヴィアを避けていた時代に、一瞥されることすらなくなった報告書を、それでもいつか、魔王が心を入れ替えこの書類に目を通してくれる日が来るかもしれぬ、と奇跡を信じて毎日丁寧に記してくれたミュルソスには、感謝してもしきれない。
一万年の時を経てしまったが、こうして魔王は、リアが生きていたころと同じように、当時の記録を読み返し、子供と一緒にいられなかった時を埋めるかのように、情景を浮かべることが出来る。
「ところで、ここに描かれている、幼い頃のお前を侮り、実力にそぐわぬ地位と待遇を得ている、などと心無い言葉をかけた魔族は誰だ。もしも未だに生きているなら――」
「何千年前のどんな罪で裁くつもりですか!!!?親馬鹿にも程があります!!!」
ぎゃーぎゃーと喚くゼルカヴィアと、どこまで本気か測りかねるような発言をする魔王のやり取りを、アリアネルはケタケタと笑いながら眺める。
かつて、親子3人が家族の団欒を過ごしたという大樹の根元で、一万年の時を経た今、再び賑やかで穏やかな”家族”の団欒が繰り広げられるのだった――
これで本当に完結です!
大変長い物語になってしまいましたが、最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
ここまで続けられたのも、ひとえに読んでいただいた皆様のおかげです。
ぜひ、読み終えての感想やレビューなどいただけますと幸いです。
すっきりと終えられたので、これまでの過去作のように、連載直後から番外長編を書くつもりはありませんが、気が向いたりリクエストなどを頂いたときには、〇〇記念などで単発投稿はするかも。
気になる方は、よければお気に入りユーザー登録などしていただくか、Xをフォローしていただければと思います。
何はともあれ…長い長い物語にお付き合いいただきまして、ありがとうございました!次回作もお楽しみに!




