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魔王様の娘  作者: 神崎右京
第十六章

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335/350

335、【断章】作戦準備①

 その日は、雲一つないほどの快晴だった。

 魔界の辺境に棲む偏屈として有名な上級魔族ルシーニは、人気のない街道のど真ん中に陣取り、座り込んでいる。太陽のない魔界から滅多に出ない彼にとって、視界を焼く陽光は勘弁してほしい限りだったが、いつもの黒フードをしっかりと目深にかぶって何とかやり過ごしていた。


 座り込むルシーニの視線の先には、巨大な穴。一つではない。いくつもいくつも――街道が続く限り延々と、ひょいと飛び越えることは出来なさそうな直径の大穴が造られている。

 ルシーニはその一番端の穴の前に座って、穴の中を興味深いモノでも見るように眺めながら、魔界に『娯楽』が浸透してから嗜み始めた木彫りの彫刻を施した杖をひと撫でした。

 しばしそうしていると、ザッ……と背後で土を踏みしめる音が響いて、ふと顔を上げる。


「首尾はどうですか、ルシーニ」

「ゼルカヴィア殿……」


 人間界など慣れていると言わんばかりに、降り注ぐ太陽の光を気に掛ける様子もない魔界NO.2の上級魔族を前に、ルシーニはしぶしぶ、と言った様子でゆっくりと立ち上がった。


「言いつけ通りに進んでいます。もう少ししたら、次の”食糧”が送られてくると思います」

「ほう」

「……あぁ。噂をすれば、また」


 秘匿の機能を付与された伝言メッセージを受け取ったのだろう。ルシーニはゼルカヴィアと眼を合わせることもなく、面倒くさそうに手にした杖を掲げた。

 杖に呼応するようにして、ヴン……と小さな音が響き、紫色の魔方陣が虚空に現れる。この世でこの魔法を無詠唱で展開できるのは、魔王とルシーニだけだ。

 すぐに紫の魔方陣から、頑丈な鎖で拘束された人間が数名、放り投げられたようにして魔族二人の前に現れた。


「ひっ……ひぃっ……!」「どこだ、ここは!何が起きた!?」「た、助けてくれ――助けてくれ――!」


 街道の上で芋虫のように身体をくねらせながら喚く人間に一瞥をくれることもなく、ルシーニは人間たちが転がっている地面の近くにトンッと杖の先を叩きつけた。


腐蝕コロージョン

「「わ――わぁっ!?」」


 腐敗の魔族の魔法が展開し、人間たちは訳も分からないまま突如腐敗して崩れた地面の中に沈んでいく。


「な、なんだ!?」「お、落とし穴!?」「やめろ!おい!どうするつもりだ!」


 みるみる飲み込まれ、自力では這い出ることが不可能な大穴になるほど崩れた地面の底で、人間たちは穴の入口へ向けて元気にわめいている。

 暢気なことだ。――すぐに、そんな余裕は無くなるというのに。


「ぇ――ぉ、おい……」「ぁ……?一体、何――」「ぅ――ぅわぁあああああああああああっ!!」


 一度、状況を理解した誰かが叫べば、一瞬で恐怖は連鎖する。

 すぐに、大穴の底からは、断末魔にも似た聞き苦しい絶叫が響き渡った。


「た、助っ……助けてくれ!助けてくれ!」「何でもする!金ならいくらでも払う!全財産を遣ってもいい!」「ぅ、ぅあああああっ!!!足っ、足が――足が、腐っ、腐って――ぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!」


 穴の底から、特濃の瘴気が漂ってくるのを確認し、ルシーニは軽く嘆息して、再び穴の淵にしゃがみこんで観察を続けながら、振り返りもせずゼルカヴィアに向かって口を開く。


「これで、いいんですよね?」

「はい。この調子で、王都に向かって穴を増やして行ってください。瘴気を少しでも早く王都付近に届けるために」


 約三千年前、腐敗の魔族が勇者パーティーにした仕打ちの応用は、酷く効率よく瘴気を集められる。

 首尾よく指示をこなしてくれているらしい部下に安堵し、ゼルカヴィアは状況を重ねて尋ねた。


「誰か、トスウェサスの結界に入った者はいましたか?」

「いいえ?静かなものです。襲撃後すぐに伝言メッセージで王都に助けを呼んだようですが、王都から援軍が派遣された気配はありません。しびれを切らして他の街にも手あたり次第救援を送っているようですが、どの街にも動きはないようです」

「ふむ。少しでも王都の戦力を減らせれば――と思いましたが、そう簡単には行きませんか。正天使が助言をしたのでしょうね。戦を司る天使と言いますから、頭も悪くないのでしょう。まぁ、そもそもが正天使の威光が強い地域ですから、王都からの派兵は最初からあまり期待はしていませんでしたが――周辺の街まで、というのは意外でした。トスウェサスというのは、余程嫌われていた都市なのでしょうかね?」


 ゼルカヴィアは軽く首をかしげる。

 トスウェサスの結界は、基本的に一方通行だ。外から中に入る分には自由だが、中から外に出るのは、ルシーニが許可した者しか許されない。

 周辺の街から応援が駆けつければ、その分瘴気を発生させる人間の母数が増える。それは少し期待したところだったのだが――


「都市の人間たちが救援を養成する際、如何に緊急の事態なのかを伝えるために、現状を恐怖のままにべらべらと喋るせいで、どこの街も派兵を見送っているようです。……どうやら、腐敗の魔族と男型の色欲の魔族の恐怖は、国中に広がっているようですね」

「あぁ……まぁ……魔族の中でも生粋の、嗜虐趣味を持った二人ですからねぇ……」


 ”狩り”における趣味の悪さで有名な上級魔族の顔を思い出し、ゼルカヴィアは呆れたように嘆息する。二人とも、方向性は少し違うが、どちらも常人には理解しがたい趣味趣向の持ち主であることは、魔界でも有名だった。


 他人に興味がないルシーニは、彼らの名前を知らない。知ろうとも思わないだろう。何よりも、団体行動を嫌う。

 故にこうして単独行動を任されている。都市に結界を張った後に、粛々と王都付近まで瘴気を届けるための、地道な作戦行動だ。


「心配しなくても、魔王様のご命令に背くようなことはしませんよ。淡々とした作業は嫌いではありません。人間観察に飽きたら、杖の装飾をもう少し増やせばいい」


 ルシーニは手にした長い杖を撫でながら、小型のナイフを懐から取り出す。目元も見えない程深く被った黒ローブと合わさって、人間界のおとぎ話に出てくる杖を持った魔法使いのような異様な風貌となった男に、ゼルカヴィアは呆れる。もう少し社交的な趣味を見つけてくれれば、と思う反面、魔王が厳選して造った性格がまっすぐ反映されているようにも思う彼の趣味に納得感すらあるから複雑だ。

 

「まぁ、いいです。こちらの準備も整いましたので、もう少ししたら、王都への侵攻を開始する予定です。きっと、戦闘が開始されれば、王都からも濃厚な瘴気が立ち上るでしょう。間に挟まれて、瘴気に酔って暴走するようなことだけはないように――」

「大丈夫ですよ。転移門ゲートをはじめ、空間を捻じ曲げるのは酷く燃費が悪い魔法ばかりですから、一回使うだけでも、結構腹が空くのです。次々に送られてくる人間のために転移門ゲートを空けているだけで、私は酔いとは無縁ですから、ご安心ください」


 しれっと言い切られ、ゼルカヴィアは苦笑する。そもそも、他者と触れ合うことを嫌う辺境の男だ。どこかの嗜虐趣味の二人のように、瘴気を得るため人間を害すことを積極的に好むような性格でもない。上級魔族として造られているからには、暴走しないように殊更理性的に造られていることも事実だろう。

 無用の心配だったようだ、とゼルカヴィアが踵を返そうとしたとき、ふと思い出したようにルシーニが口を開いた。


「そういえば――数日前のあの通達は、本当なのですか?」


 魔王と同様――いや、下手をすると魔王以上に――他者との雑談というものに興味がないはずの魔族が、こちらから振ったわけでもない話題に触れてきたため、ゼルカヴィアは内心驚きながら足を止める。


「あの通達――とは?」

「それは勿論……貴方が、魔王様の血を分けた子供である、という通達ですよ」


 ルシーニは地面にしゃがみこんだまま、ゼルカヴィアの方を見もせずに、口を開く。まるで独り言でも喋っているのではと思う態度なのは、本当に他者との会話をする能力をそぎ落とされているせいかもしれない。


「……えぇ。真実ですよ」

「そうですか」


 ――会話が、終了してしまう。

 深刻なコミュニケーション障害を患っている魔族に頬をひくりと引き攣らせて、ゼルカヴィアは仕方なくこちらから水を向けた。


「驚きましたか?」

「まぁ、それなりに。何をどうしたら、人間なんかと子供を成すという発想になるのか、全く以て理解が出来ませんし。まして、あの魔王様が、となればなおのこと」


 ルシーニは手元の杖に視線を落として、軽くナイフの刃を立てる。どうやら、既に興味は別のことに移りかけているらしい。

 

「魔王様への忠誠に陰りが出ましたか?あるいは、生粋の魔族ではない私の言うことなど聞きたくない、と?」

「いいえ?全く。私が、魔王様に命を創造されたことは事実です。そして、貴方がべらぼうに強くて、尋常じゃない程頭が切れて、どんな魔族よりも優秀であることもまた、事実です。……どちらとも積極的に交流を測りたいとは思いませんが、命令を受けて拒否するほどではありません。仕事ですし、私も命は惜しい」


 シャッ、シャッとリズミカルに杖を削りながら、ルシーニは淡々とした口調で告げる。


「どの魔族も、驚きはしたでしょうが、似たような見解ではないでしょうか。……まぁ私は、魔界における実力主義が極まった現代で生み出された、魔族の中ではかなり新参者ですから、古参の方々がどう思うかまでは知りませんが」


 ルシーニの言葉に、ゼルカヴィアは苦笑する。


「……大丈夫ですよ。古参の魔族は、皆、本来眠っていた記憶を呼び起こされただけです。記憶を操作する魔法をかけたとわかって、当時の私の行いを強く非難はしても、私が魔王様の血を引いていることや、魔界のNo.2として活動すること自体に否定的な者はいませんでした」


 オゥゾやルミィ、ヴァイゼルといった古参魔族らに一斉に詰め寄られた数日前の光景を思い出す。

 ゼルカヴィアが思っていた以上に、意外と、当時から信頼を寄せていてくれていたらしい。


「私と魔王様の関係がどうであれ、公私を混同するつもりはありません。これからも私は、魔王様の右腕として相応しくあるために努めるだけです。皆、あまり気にせず、これまで通りの態度でいてくれると、ありがたいのですが」

「それは別に……私は、可能な限り辺境に閉じこもっていたいですし、基本、誰にも会いたくないので」

「――貴方に関してはもう少しだけ、態度を変えてくれても良いと思うのですけどね」


 棘のある言葉を返すが、既にルシーニは聞いていないらしい。もはやゼルカヴィアとの会話から興味は完全に失せたようで、木彫りに夢中になっているようだった。

 呆れながらも、ほんの少しだけ心配していた事柄が杞憂だったとわかり、ゼルカヴィアは安堵に息を吐いて、今度こそ踵を返すのだった。


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