333、決戦前夜⑤
それは、聖騎士団の幹部と神殿の幹部、そして勇者パーティーと呼ばれる精鋭のみが集まり、物資の集まり具合や今後の警戒態勢の組み方についての会議をしているときに起きた。
バタンッと慌ただしく扉が開いて、顔を真っ蒼に青ざめさせた一人の神官が転がり込むように入室してくる。
「何だ!?」
「き、緊急の知らせです!海洋都市トスウェサスが、突如大規模な魔族の襲撃に逢い、甚大な被害を出しているとのこと!」
「「――!?」」
その場にいる全員が色を失い、言葉を飲み込む。部屋中に緊迫した空気が奔った。
「トスウェサス――王都の間近ではないか!」
「もし本当ならば、危険だ!トスウェサスは交易の要として、国の中でも王都の次に人口が多いはず――!」
「いや、そもそもあそこには、昔、エクスシア帝国との戦争時に造った堅牢な砦があるだろう!王都の近くで、聖気も比較的多い地域と聞く!魔族の活動には不利のはずだ!甚大な被害を出す前に、抵抗が出来たはず――誤報ではないのか!?」
転がり込んできた神官は、普段目にしないような地位の人物たちに一斉に問い詰められながらも、蒼い顔で首を振る。
「そ、それが――砦の抵抗すら一瞬で無効化されてしまうほど、あっという間に――」
「どういうことだ!?」
「じょ――上級魔族が、複数体観測されているのです!」
「「な――!?」」
人間界では上級魔族を観測することなど、数百年に一度、あるかないかだ。彼らが魔界から出てくることは非常に稀で、観測記録の殆どが、勇者パーティーが魔界侵攻中に出逢った際の記録ばかりである。
「そんな――ついこの間、鋼の魔族と炎の魔族が現れたばかりなのよ!?」
マナリーアが思わず白い顔で叫ぶ。彼らが人間界に現れた際の現場に、二回も居合わせた人間として、上級魔族の恐怖は誰よりも身に染みていた。
シグルトもマナリーアも、当時はまだ、天使の加護があった。特に鋼の魔族と相対したときは、加護のおかげで生き残れたといってもいい。それが無ければ、一瞬でやられてしまっていただろう。
「マナ、落ち着け。……うちのメンバーが取り乱してすまない。複数体の上級魔族、というのは具体的に、どんな魔族なのか、教えてくれないか?」
トラウマに近い恐怖を呼び起こされ、震える声を出した少女の肩に手を置いて宥めてから、シグルトは神官を落ち着かせるようにゆっくりと問いかける。
ごくり、と唾を飲んだ後、血の気の引いた顔のまま、神官は恐る恐る口を開いた。
「それが……外見的特徴と、被害を鑑みると、確実にいると思われるのは、腐敗の魔族と――」
「腐敗の魔族!?三千年前の魔界侵攻時に観測されて以来じゃないか!?」
魔族観測史上のなかでも恐怖の象徴の一つである魔族の存在に、聖騎士団幹部がざわめく。
当時の戦いの記録は、凄惨とという言葉がぴったりとあてはまるようなものだった。
勇者パーティーが、過去の敗北の経験を生かして、いつもと異なる進路を通ろうと侵攻した結果、腐敗の魔族が治める領地に侵入してしまったらしい。中肉中背の、ぞっとするほど美しい顔をした黒髪の男が一人現れ、蒼白い不健康そうな顔の中で不気味なほどに目立つ真っ赤な口を開き、己は腐敗を司る上級魔族だと告げたという。
当時の勇者たちが飛び掛からんとした瞬間、笑いながら大地を腐敗させ、容易に抜け出せない大穴に堕とされたどころか、生きたままの状態で、足の指先から殊更に恐怖を煽るようにしてゆっくりじっくりと腐敗させられていく仕打ちを受けたようだ。自ら足を斬り落としても斬り落とした傷口から更に腐敗が始まっていく悪循環に、大穴の中はまさに阿鼻叫喚の有様で、恐怖で気が狂うものが続出したという。
何とか命からがら逃げだした一人が持ち帰った情報で、人間界はそんな魔族がいること初めて知ったが、その者は帰還後も心的外傷に悩まされ、一年も経たぬうちに首を吊って命を絶った。
そんな恐怖の象徴とも言える上級魔族が、人間界の――それも、王国で二番目に人口が多い都市に現れたという。当時の勇者パーティーすらたった一人で全滅に追いやった存在だ。自警団や常駐している聖騎士団で対処できるはずもない。供えられていた堅牢な砦すら、彼の魔法の前では塵と同じだろう。
「あの、そ、それだけではなく、ですね……」
腐敗の魔族の情報だけで慌てふためく聖騎士団たちに震えながら神官は続きを口にする。
室内の目が一斉に神官へと向けられた。
「もう一人、いるんです。――男型の、色欲の魔族と思しき、存在が」
「「――――……」」
一瞬で、水を打ったように室内が静まり返る。
まるで、室内の温度が数度下がったような錯覚がその場を支配した。
男型の色欲の魔族――それは、”最悪の魔族”とも呼ばれる上級魔族だ。
伝承では、『残虐』という言葉が服を着て歩いているような男だという。
人間界で観測されることが少ない上級魔族の中でも、比較的目撃情報が多い魔族で、女子供の猟奇殺人が頻発する地域で魔族が観測されれば、高確率でこの魔族が関わっている。
この魔族は、上級魔族らしく複数の中級以下の魔族を抱えていて地上に現れるときはいつも部下を伴い、現れた都市を徹底的に壊滅させ、周辺地域にも百年は消えない悪夢を振り撒いて帰っていく。
その際、統率者として部下任せにせず、色欲の魔族本人が手を下すことがある。その所業の悲惨さは、残っている被害記録を読むだけでも、読んでいる者が漏れなく嘔吐し、二度と読むまいと心に誓う程というが、本当に現場で起きた最も凄惨な事態は記録に残っていないのではないかと言われている。
被害の中心地にいた者たちに聞き取り調査を依頼すると、皆一様に半狂乱になり、全財産を渡しても良いから、後生だから二度とあの光景を思い出させないでくれと懇願するためだ。
誰もが、過去に一度は読んだことのある記録を思い出し、こみ上げる吐き気と恐怖に口を閉ざす中、神官はダメ押しのように口を開いた。
「海や街道を使って都市から逃げ出そうとする者も多いようですが、どれほど馬を駆ろうと船を進めようと、永遠に進めない謎の現象が起きているようです。中から外へは決して脱出できないように空間を捻じ曲げるような、魔族の結界が張られている可能性があります。……被害は、甚大。まさに地獄絵図と言うに相応しい状況になっている模様です」
神官が持ってきた知らせは、誰が聞いても、絶望のどん底に叩き落されるに十分な内容だった。
「っ……すぐ、応援を送ろう!」
思わず皆が挫けかけたとき、力強く宣言したのは、他でもない勇者シグルトだった。
仲間を奮い立たせる強い声で続ける。
「腐敗の魔族と色欲の魔族がいるとなれば、勇者パーティーであっても対抗できるかわからない。被害状況から察するに、きっと、下級魔族や中級魔族も多く引き連れてきているだろう。だけど、だからと言って、放置するわけにもいかない!幸い、魔王の襲撃に備えて、戦闘準備は万端だった。トスウェサスは距離的にも王都から近い。すぐに助けに行ける。現時点で、トスウェサスを助けられるのは俺たちだけだ!結界は厄介だが、中の魔族を斃せば、結界も破れるかもしれない!勇者パーティーと、聖騎士団の精鋭たちで向かえば――」
「――駄目だよ。何を馬鹿なことを言っているんだい」
勇者の言葉に希望を持ち始めていた者たち全員に冷や水を浴びせる声が、部屋に響いた。




