33、【断章】オゥゾとルミィ
脱衣所に到着すると、ゼルカヴィアは抱きかかえていた幼女を降ろす。
「中にオゥゾとルミィがいるはずです。行儀よくするのですよ。私は着替えを取ってきます」
「はぁい!オゥゾもルミィも優しくて大好き!」
(仮にも上級魔族を二人も捕まえて、よくそんな邪気のない笑顔を向けられますね……)
オゥゾは火を司り、ルミィは水を司る。
魔族たちはそもそも、人間のような食事を取ることはないが、身体や衣服は当然人間たちと同じように汚れる。
故に、風呂や洗濯という概念は昔から魔界にも存在しており、既に何代目かは忘れたが、火と水を司る魔族が風呂場を切り盛りしているのだ。
人間界に降りれば、火災や洪水で恐怖と絶望をまき散らし大規模な瘴気を生む強力な魔族だが、魔界での日常生活では意外と地味な仕事に従事している。
アリアネルが瘴気に慣れてからは、彼女の入浴を率先して手伝ってくれる得難い存在だ。
がちゃり、と扉を開けると、待ってましたとばかりに男女それぞれの姿をした魔族が両手を広げる。
「アリィ!待っていましたよ!」
「ゎ――!」
アリアネルが広げられた腕に自発的に飛び込む前に、その小さな体を攫ったのは女の魔族だ。
長く豊かにウェーブする髪は、彼女の扱う属性を表すように淡く美しい水色をしている。
「あ、ルミィ卑怯だぞ!俺が真っ先に抱っこしようと思ったのに!」
隣で空の両手をワキワキさせながら唾を飛ばすのは、オゥゾ。
彼もまた、己の属性を示すように、燃え盛るような真紅の髪と瞳が印象的な、ワイルドな容貌をしている。
「だめです。貴方みたいな力加減を知らない野蛮な男に抱かれるより、私に抱かれる方が、絶対にアリィも嬉しいはずです!……そうですよね~!」
早い者勝ち、とでも言わんばかりにひょいっとアリアネルを抱き上げたルミィは、豊満な胸にぎゅっと思い切り小さな体をうずめた後、ここぞとばかりにそのふっくらとした頬にズリズリと遠慮なく頬ずりを繰り返す。
「はぁ~~~~~!たまらない……!このむっちりふっくらしたぷにぷにのほっぺ……!!!成人形態の魔族では決して味わえない至福の肌触り……!!!」
「あ、ちょ、ずりぃ!俺にも触らせろ!嗅がせろ!」
反対側の頬をぷにぷにぷにぷに……と際限なく押しながら、アリアネルの頭皮の匂いを嗅ぐオゥゾは、変態の片鱗が感じられる。
「あ~~~~甘い……アリィ、ちゃんと肉とか野菜とか食ってるのか?お菓子ばっかり食ってるんじゃないか?なんでこんな甘い匂いなんだ?大丈夫か?」
「失礼な。好き嫌いは許していませんから、ちゃんとバランスよく食べていますよ。ロォヌも好き嫌いを言わないよう工夫を重ねてくれています」
ゼルカヴィアのむっとした主張も聞こえていないのか、オゥゾは引き続きクンカクンカと頭皮を嗅ぎ続けている。
「ゼルカヴィアさんに、ミルクしか飲んでなかった時はもっと甘い匂いだったって聞いてホント悔しかったもんな……なんでもっと早く教えてくれなかったんスか」
「貴方がそんな変態味溢れる性格だと知っていたら、一生アリアネルの存在を知らせることはなかったのですが。……全く、二人とも、アリアネルがいると性格が豹変する呪いにでもかかっているのですか?」
二人掛かりでもみくちゃにされながらも、ケタケタと笑い声をあげる寛大な幼女を、ベリッと無理に引きはがしながらゼルカヴィアは嘆息して嫌味を放つ。
人間を無情な災害に巻き込んでも心の一つも痛めぬ上級魔族の二人は、普段は中級魔族ですら気軽に声をかけられぬほど近寄りがたい固く冷たいオーラを放っている。
間違っても、こんな風にデレデレと鼻の下を伸ばして幼女を慈しむようなキャラではない。
最初は、当然二人ともアリアネルにも同様に冷たい態度を取っていた。
魔族の中でも恐れられる存在の二人が、どうして脆弱な人間――それもさらにか弱い幼子――のために仕事をせねばならないのか。ゼルカヴィアの命令でもなければ、気に入らぬと言ってあっさりと縊り殺していたことだろう。
初めて二人に風呂を任せるためにこの脱衣所を訪れたとき、二人は不機嫌を隠しもしないで、顔を顰めながら嫌々アリアネルを引き受けた。
だが――氷のような魔王すら毒気を抜かれるアリアネルの無邪気で物怖じしない善性の塊のような笑顔と、愛されるために生まれてきたとしか思えぬどこか庇護欲を誘う幼女特有の仕草の前には、全てが無力だったのだろう。
いつまで経っても出てこないアリアネルに業を煮やしてゼルカヴィアが浴室に踏み込めば、今まで見たことがないくらいのデレデレした表情を晒し、この調子でキャッキャウフフと戯れる二人がいた。
「大丈夫か、アリィ。俺がいないところで、城の魔族にいじめられたりしてないか?」
「うん!みんな、優しくて大好き!」
「あぁぁぁ可愛い……何かあったらいつでも言えよ!ゼルカヴィアさんと魔王様以外だったら、俺が一瞬で消し炭にしてやるからな!」
仮にも上司のような存在の前で聞き捨てならない発言をしながら、それでもぷにぷにと頬をつつくのをやめないオゥゾは、心臓に毛が生えているのかもしれない。
「私もですよ、アリィ。今後もし人間界に赴いて辛いことがあったらいつでも言ってくださいね。一つの村くらい軽く水底に沈めてあげますから」
「おま、ずりぃ!俺も俺も!アリィのためなら、村――いや、街くらいなら一瞬で――」
「あなたたち……!食事以外の目的での人間界へのちょっかいは禁止されていることをお忘れですか……!!?」
くいっと眼鏡を上げながらゼルカヴィアは額に青筋を浮かべる。いかにアリアネルが愛らしいと言えども、規律は厳しく守らせねばならない。
竜胆の瞳をぱちぱち、と瞬かせた後、ふわり、とアリアネルは笑みを作る。
「大丈夫だよ!アリィ、いつも、元気で幸せだよ!オゥゾもルミィも――皆のこと、大好き!」
「「ぁあああああ……最高……!」」
「あなたたち!さっさと風呂へ行きなさい!」
眩しい存在を見て目が潰れたかのように顔を覆って天を仰ぐ二人に、ゼルカヴィアの叱責が飛ぶのだった。




