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魔王様の娘  作者: 神崎右京
第十五章

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322/350

322、絶望の日々①

「ぐ、が、ぁああっ……」

「ちょっと、暴れないで!上手く治癒出来ないわ!」


 魔王との対決を終えた正天使は、すぐに天界で治天使の治療を受けていた。


「っ、殺す――殺してやる――魔王――!」

「動かないで!一生右目が見えなくなっても知らないわよ!」


 重症の正天使を治癒するとなれば、莫大な聖気が必要になる。ただでさえ人間界が混乱し、天界の聖気も薄くなっているのだ。自然と、治天使の口調も荒くなる。


「封天使もだ――!僕の命令を無視して、この状況を覆せる千載一遇のチャンスを棒に振った――!魔界に堕とされた大罪人に、いつまでも妙な執着を見せやがって――!」

「封天使を一時の感情に任せて殺すと言い出すなら、流石に止めるわよ。ただでさえ純正の天使が少ない今、貴重な防御に長けた能力を持つ封天使を失うリスクは計り知れない。魔界と本格的に事を構えざるを得なくなった今は、なおさらね」


 血走った目で怒りを燃やす正天使に釘をさす。

 きっと、治癒が終われば正天使は封天使の元へ行き、今回の件について筆舌に尽くしがたい”折檻”を行うだろう。良心の呵責に耐えかねたのだ、などとという筋が通るはずがない。さすがに、”折檻”を止めさせることまでは難しい、と判断し、治天使は最低限の釘をさすにとどめた。


 実際、魔王と戦う上で最強の切り札(カード)となるゼルカヴィアを、天界が手に入れられなかったのは事実なのだ。

 もしも封天使が、良心の呵責に耐えかね、正天使に命を懸けて反旗を翻すならば、もっと前――彼の最愛の女性を殺す企みを阻止するべきだった。

 彼女を正天使が殺したという時点で、魔王の怒りは頂点を突破しただろう。そうなれば、天界はゼルカヴィアを奪う以外に、魔王を抑え込むことは出来なかった。

 あのタイミングで封天使が子供を手放したのは、治天使から見ても悪手としか言いようがない。彼の中途半端な行いのせいで、世界最強の復讐鬼と化した魔王が、世界を本格的に焦土と化す可能性が出てきてしまったのだ。

 お前が言うな、という話ではあるが、冷静に状況を見れば、正天使の怒りも最もだ。これから封天使は、己の行いを深く反省するまで、正義の天使の恐ろしい罰を受けることになるだろう。


「くそ――くそ――そもそも造物主は、どうして、あんな奴を――」

「さすがに、今回のことは黙っていられないんじゃないの。何かしらの罰を与えると思うけれど――ただ、命を奪ってくれっていうのは無理じゃないかしら。何を言ったって、先に、不可侵の約束を破ったのはこちらだもの。こちらに非がないとは言えないわ」

「だが、世界を焦土に変えてでもと言ったんだぞ!お前も見ていただろう!?」

「えぇ、そうね。だから、流石に魔界勢力も全くお咎めなしはないと思うって言っているでしょう?」


 怒り狂う正天使を宥めながら、治天使は先日の光景を思い出す。

 魔王が炎と洪水を生み出した時点で、中立を標榜する治天使であっても、流石に干渉しないわけにはいかなかった。天界にいた天使を引き連れ、下界へと急いだ。

 天使たちが到着したのは、最後の最後だった。

 子供が封天使の手から滑り落ち、魔王がそれに追い縋ったと思ったら、どこからともなく現れた黄金の幕が視界を奪って、気づけば正天使の右目が貫かれていた。

 慌てて最低限の治癒を施しながら、天界に帰って来た。魔界でのことの顛末は、封天使から聞いた。

 重症の正天使の代わりに、造物主への報告を担ったのは治天使だ。造物主は、もとより全てを覗いていたのだろう。震える声で、そうか、と呟いただけだった。

 今、人間界は未曽有の混乱で荒れ果てている。

 どうやら、いきなり現れた黄金は、魔族の仕業らしいと、配下の天使が報告してきた。何もない空中に、あれほどの黄金を発生させるなど、魔法でしかありえない。

 ある程度予想はついていたが、魔界で全滅させたと思っていたはずの魔族がまだ、人間界に潜んでいたことの証明でもある。天使らの警戒は最大レベルまで引き上がった。

 しかし、すぐに何かの打ち手を打ってくると思っていた魔王らは、今のところ大人しい。

 魔王もまた、正天使との戦いで酷く負傷していたと聞く。治癒の魔法を使おうとする気配を感じていたが、いつもよりも集中が乱されているのか、お粗末な命令となっているそれに、治天使は逆らい続けていた。少しではあるが、世界を守る時間稼ぎにはなるだろう。

 

(……不思議ね。私が望んだ、復讐がやっと叶ったと言うのに)


 正天使の右目に治癒の魔法を展開する片隅で、いつかの、氷の仮面を張り付けたような命天使との会話を思い出す。

 初代正天使の命が奪われ、固有魔法を使わんとする治天使を、かつて、もっともらしく正論で言いくるめた男。

 その男に今、固有魔法を使って愛しい女を蘇らせてやると、当時と同じ質問をしたら、何と返ってくるのだろうか。


(憐れな命天使。あの日の私の気持ちが、あのどこまでも可哀想な男にも、やっと分かったかしら)


 かつて、治天使の心が壊れていく様を目の当たりにしながら、醒めた瞳で、まるで理解できないものを見るかのようにしていた美丈夫。


(ほら――『完璧』だったはずの貴方も。壊れて、狂って――”愛”って、そんな、厄介なものだわ)


 大嫌いなあの澄ました顔に、高笑いと共に、絶望を投げかけてやりたい――と頭の片隅で思っているのに。


(どうしてかしら――あまり、気持ちは、晴れないわね)


 子供を抱えていた手を離してしまった封天使の気持ちも、わからなくはない。

 なぜなら――あの子供に、罪はない。


 ただ、生まれただけだ。罪があるなら、彼をこの世に産み落とした親にあるだろう。

 こうして、正天使による陰謀に巻き込まれる可能性があることは、産む前からわかっていたはずだ。だからこそ魔王は、造物主を通じて不可侵の約束を事前に取り付けたのだろう。

 それを守り切れなかったのは彼の責任である。子供の責任ではない。


 子供の母親は憎い。――かつて、愛する男の命が奪われる元凶となった女だから。

 子供の父親も憎い。――かつて、愛する男の命を直接奪った男だから。


 だけど――その間に生まれた子供には、何の憎しみもない。ただ、憐れな存在だと思うだけだ。


 慈悲を司る天使は、やっと果たせた復讐の結末に、やり切れない想いを抱きながら、そっと面倒な思考を頭の外に追いやるのだった。


 ◆◆◆


 事件の後の魔界は、地獄そのものだった。

 治癒の魔法を上手く行使出来ない魔王の回復は遅かったが、瞳の奥に堪え切れぬ憎悪を宿した魔王は、気力だけで魔族生成を行った。


 まず最初に完成させたのは、空間を渡れる魔族。――あの日この魔法が完成していればと、既に何万回後悔したかわからなかった魔王が、執念で完成させた個体だった。


 それが完成したころ、造物主から沙汰を言い渡される。

 それが、天界勢力への介入の厳罰化。

 天界側が先に破った不可侵の約束だったが、それの報復にしては魔王の行動は行き過ぎていた。さらに、ゼルカヴィアを取り戻したにもかかわらず、今後も天界側を脅かすと宣言しているのは穏やかではない。

 それゆえに設けられた、”制約”――天界への介入を試みようとすれば、全身を耐えがたい苦痛が襲い掛かるというものだった。


「魔王様、お体に障ります。まだあのときの傷も癒えていないのに――」

「黙れ――!黙れ、黙れ、黙れ――!」


 止めようとするミュルソスの言葉も聞かず、身体の傷も癒えぬまま、魔王は何かにとりつかれたように魔族の生成を続けた。

 攻撃力が高い炎の魔族。防御に優れた水の魔族。武具の生成が叶う鋼の魔族。効率よく瘴気を集めるに長けた色欲の魔族。

 どれもこれも、事件が起きる前とは根本的に異なる組成。

 

 身体の強度も、性格も、能力も――全て、天界勢力と真正面から戦うことを想定したような、戦闘力に特化した個体ばかりだった。


 天界への敵対心を具現化したような個体ばかりを生成しているのだ。慎重な魔力操作が必要になる命の生成において、何度も血を吐き、身体を襲う激痛に耐えながら、万全ではない身体に鞭を打って生成に臨む魔王は、狂気に捕らわれているとしか思えなかった。


 幼いゼルカヴィアの目に映る、傷つきながらも天使への怨嗟を吐き続ける父は、誰も寄せ付けない空気を纏っていた。


「と……父、様――」

「っ……何をしに来た――!部屋から出るなと厳命しただろう――!」

「っ、ご、ごめんなさい……!ぼ、僕も、何か、お役に立ちたくて……」


 持ってきた包帯を取り落とし、急いでかき集める。


「魔王様、落ち着いてください。坊ちゃんは言いつけを守っていらっしゃいます。貴方が戻っていらっしゃったから、お顔を見るために――」

「黙れ――余計なことを考えるな。命令に従っていればいい」


 ミュルソスがフォローのために発した言葉も遮られ、垂れ眼の紳士は痛ましそうな顔を向ける。


「だいたい、お前が――」


 何かを言おうとした魔王は、蒼い顔で見上げてくるゼルカヴィアの顔を見て言葉を止める。


 飴色の髪。黄がかった緑色の大きな瞳。中性的な、整った顔立ち。

 幼さが残るが、その顔立ちは、どうしても、生き写しの()()を思い出させて――


「っ――!」


 ズキンッと脳が割れそうな痛みを発し、頭を押さえながら思わず身体を折るようにして激痛に耐える。


「ぐっ……、ぁああっ……!」

「魔王様!」

「リア――っ、リア、リアっ……――おのれ――おのれ、正天使――!!!!」


 蘇るのは、愛しい女の太陽のような笑顔と――物言わぬ躯となった、無残な死に顔。

 それが過る度に、天使への許しがたい怒りが噴き出し、”制約”が魔王の身体を苛む。


「ご、ごめんなさい……!部屋に、戻ります……!」

「坊ちゃん――!」


 ミュルソスの声にも振り返らず、転げるようにして部屋を後にする。

 父の苦悶の声が、どこまでも追いかけてくるようで、ゼルカヴィアは必死に耳を塞いで部屋に戻った。


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