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魔王様の娘  作者: 神崎右京
第十五章

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316、【断章】遠い日の記憶②

 その次に残っている記憶は、ある日突然父から、今後の世話係兼教育係として紹介された、黄金の魔族との対面だ。


「ミュルソス、と言います。お見知りおきを、坊ちゃん」

「……ゼルカヴィア、です……」


 垂れ眼の目尻をさらに下げて、紳士然と微笑む青年に、恐る恐る挨拶をする。


「おや、坊ちゃんは既に敬語の概念をお持ちですか。名乗りも完璧。素晴らしい天才児ですね」

「ぅ……」


 嫌味ではなく心からの賞賛を贈られて、酷く照れ臭かったのを覚えている。


「ゼルがお腹にいるときから、貴方がずっと造ろうとしていたのは、このミュルソスなの?」

「あぁ。こう見えて、天使で言えば、第二位階相当の能力を持っている。頭の回転が速くなるよう、俺が造った命の中でも群を抜いて賢く造った。――幼いゼルを相手に出来るよう、性格は殊更温和にした。他者の言葉を深く受け止め、論理だけではなく情理をくみ取った上で判断するようにしている。……とはいえ命の創造主たる俺が苦手な分野だ。どれだけ成功するかは知らんが」

「ふふっ……きっと大丈夫よ。貴方はとても優しいから」

「フン……コレは他の魔族同様、序列を遵守する意識は本能に刻み込まれているが、基本的に争いは好まない性格だ。だが、お前やゼルに万が一の危険が迫った時に頼りになる程度には強く造っている。第二位階以上の天使でも持ってこない限り、ミュルソスを破ってお前やゼルに危害を加えることは出来ないだろう。封天使の魔法程度は力任せに敗れる男だ」

「まぁ――相変わらず、過保護だこと」


 クスクスと母が笑うのを、父は少し居心地悪そうに聞こえないふりをしたようだった。

 

「ゼルは、その成長において未知数なところが多い。月に一度、身体が魔族の組成になる不思議も、結局原理はよくわからないままだ。混血故の異常イレギュラーなのだろうが――周期的に魔族の組成になる以上、将来的に、魔法が使えるようになるかもしれない。あるいは、今は人間と同じ食事で摂取しているエネルギーを、将来、他の魔族と同様に瘴気で補うようになるのかもしれない。あらゆる事態に備えて、魔族としての生き方や知恵を授ける必要があるだろうが、俺はこれから数百年は、新しい魔族を生むために頻繁に不在にするだろう。魔族の数が増えれば、この城以外に生活の拠点を作る個体も出てくるはずだ。その統治も考えれば、俺がゼルの全ての教育を担うことは難しい。ミュルソスに『役割』として付与することにする」

「はい、魔王様。必ずやゼルカヴィア坊ちゃんを立派な御仁に育ててみせますので、ご安心くださいませ」


 恭しく礼をするミュルソスは、生み出されたばかりの未熟な魔族とは思えないほど、しっかりした男だったのをよく覚えている。

 

 その後、身の回りの世話はラミキアら古参の魔族が、ゼルカヴィアの教育についてはミュルソスが請け負うことになった。

 ゼルカヴィアは、いわば前代未聞の生命体だ。最初はミュルソスもかなり苦戦したようだった。

 暇を見つけては人間界に赴いて、人を育成するための手法を入手してきた。黄金を生み出す魔法や、柔和で人好きのする穏やかな笑みは、人間界での活動を容易くした。

 覚えた新しい教育方法を試しては、その結果を細かく日々の記録として残し、日記のようなそれを読み返しながらまた新しい育成を試して、の繰り返し。

 ミュルソスもまた、ゼルカヴィアと共に成長していったと言って差し支えないだろう。


 沢山の時間を共に過ごすうち、いつしか、ゼルカヴィアはミュルソスを第二の父のように頼るようになった。


「ミュルソス……父様は、僕に、魔族になってほしいのかな」


 ミュルソスから算術を教わっている最中、ポツリと誰にも溢したことがない悩みをこぼしたことがあった。

 

「誰か、そんなことを坊ちゃんに言った者がいますか?」

「ううん、誰も。でも、父様は偉大で、皆に尊敬される『魔王様』で――強くて、賢くて、唯一造物主が手ずから造った命で」

「そうですね。さすが坊ちゃん。この間教えたことを既にマスターされていらっしゃる」


 にこにこといつものように頭を撫でて褒めてくれるミュルソスに、はぐらかされないように口を尖らせてゼルカヴィアは言葉を続ける。


「それに引き換え、僕は、とっても中途半端だ。皆みたいに魔法も使えないし、身体も小さくて、自分一人じゃ、何も出来ない……それなのに、皆、僕のことを父様と同じくらい敬って、大事にしてくれる。えっと、何ていうんだっけ……こないだ習った――分不相応、ってやつ」

「素晴らしい。よく覚えていらっしゃいますね。その御年でその語彙力は本当に素晴らしいですよ」

「もう……ミュルソスは、僕を褒め過ぎだ」


 褒めるときはしっかり手放しで褒めるミュルソスの教育方針は、嬉しくないわけではないが、気恥ずかしさもあるから、時々勘弁してほしくなる。


「だから、僕――ちゃんと、魔族の皆の期待に応えられるようにならないといけないのかな、って思って……でも、どんなに頑張っても魔法は使えないし、体力だって力だって全然つかない。このままじゃ、僕、父様にも飽きられちゃうんじゃないか――って」

「そんなことはないですよ。私が保証します」


 第二の主とも言える幼子の言葉を遮り、きっぱりとミュルソスは言い切った。

 ゼルカヴィアは不安そうに顔を上げる。

 いつもの優しい穏やかな魔族の顔が、そこにあった。


「御父上たる魔王様も、御母上たるアリアネル様も。勿論、魔王様に造られた我々魔族たちも――皆、ただ、ゼルカヴィア坊ちゃんが大切で、大好きなだけです」

「……大、好き?」

「はい。貴方が、何者であっても関係ありません。人間だろうが、魔族だろうが、天使だろうが――坊ちゃんは坊ちゃんです。このまま、人間と変わらない身体能力だったとしても、魔法が一つも使えないままだったとしても、坊ちゃんのことを愛しいと思う気持ちは、魔族も、魔王様も、アリアネル様も、皆同じです」

「……そう、かな」

「そうですとも。そんな坊ちゃんや、魔王様、アリアネル様をお守りすることこそ、我らの生きる意味です。魔王様もまた、そうお考えでしょう。だからこそ、造物主に、坊ちゃんの存在を明かす決意をされたようですよ」

「えっ!」


 子供に理解できるように、幾分簡略化された形ではあったが、真実の歴史を教えられていたゼルカヴィアは驚いてミュルソスを凝視する。

 ミュルソスは、安心させるようにしっかりと頷いて見せた。


「造物主や天界勢力が、魔王様や坊ちゃんをどのように判断するかはわかりません。ですが、魔王様は、真っ向から造物主に挑むそうですよ」

「い、挑む……!?」


 魔王は、『役割』を果たすことを絶対の信条としていると聞いていたゼルカヴィアは、驚きに目を見開く。

 

「大丈夫ですよ。何も武力で勝負を挑むわけではありません。あくまで説得する、という意味です。……そもそも、混血を造らないという規則ルールは、命を司る魔王様が、己の責務を正しく果たすため、異常イレギュラーを極力生まないようにという判断の元に設けたことだったとか。造物主が明確に禁じていたわけではない以上、以前のように魔王様が禁忌を犯したと罰せられる理由もありません」

「そ、それは……屁理屈、っていうんじゃ……?」

「いいえ。論理の穴を突く、というのですよ」


 にこっと笑うミュルソスは、意外と良い性格をしていると思う。


 そもそも、本当に造物主が禁じていたならば、天使と人間が生殖行為をしたとて、命が生まれるはずがないのだ。その機能が備わっていた時点で、禁忌ではないはずだ――というのが、魔王が主張する屁理屈なのだろう。

 あくまで、混血を造らないというのは、異常イレギュラーを生まないためであり、異常イレギュラーを避けたいのはなぜかと言えば、造物主や魔王の意向に沿わない行動をして本来の天使や魔族といった種族に与えられた役割を果たせなくなることを恐れるためだ。


 だが、そもそもゼルカヴィアは魔族でも天使でもない。どちらかと言えば、人間に近い組成をしている。序列の外にある存在であり、人間に近いのであればなおのこと、造物主や魔王の意向に従わせなければならない謂れはない。

 将来どうなるかわからないという脅威リスクはあるが、それも含めて、魔王が責任を持つというのだろう。

 

 きっと、世界のバランスを壊すような脅威リスクであると判断されれば、その時、魔王がどのように責任を取るかまで、造物主と話し合いがなされるはずだ。


(さすがに、幼い坊ちゃんにそんな話は出来ませんが――)


 非情な時はどこまでも冷酷な魔王の顔を思い出しながら、ミュルソスは心の中で呟く。


 もしも、魔王がゼルカヴィアを彼の部下のように”処刑”する未来があるとしたら――その時、自分はいったいどんな道を取るのだろうか。

 魔王の命令を聞くという本能からすれば、異を唱えるなど考えられもしないが、そもそもの『役割』としてゼルカヴィアのために生きろを命じられていることを考えると、異論を唱えてしまいそうだ、とも思う。


(そんな未来が来ないことを、祈るばかりですね)


「さぁ、坊ちゃんがいかに愛されているか、わかっていただけましたか?」

「う、うん……!」

「では、今の坊ちゃんに必要なのは、御父上の覚悟に応える気概です。勉強の続きをしましょうか」


 にこにこと紳士は笑って教本を開く。

 この時は、想像もしていなかった。


 ――魔王の堕天という処罰を不服として腹に抱え続けていた正天使が、異端児(ゼルカヴィア)の存在を知り、踏んではならぬ虎の尾を踏み抜いてしまうことなど――


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