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魔王様の娘  作者: 神崎右京
第十五章

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311/350

311、”幸せ”な日々①

 それからの日々は、矢のように過ぎ去っていった。

 造物主が気を利かせてくれたのか、少女の記憶は、天界で命天使の領域テリトリーで彼の帰りを待っていたところまでで途切れていた。卑劣な天使に寄って拐され、下劣な男たちに暴力を振るわれながら無理矢理に慰み者にされた恐怖の記憶は、きれいさっぱり消されていた。

 命天使――魔王は、自分が禁忌を犯し、天使としての資格をはく奪され、魔界に堕とされたことだけを告げた。天使として生きることが出来なくなったと同時に、眷属としての契約も破棄されたと伝え、少女と共に永遠を生きることは出来なくなったと伝えるにとどめた。

 全てを伝えることが、正義ではないだろう。

 人の心の機微に疎い魔王であっても、その程度の推察は出来た。


「そっか。……うん。わかった。でも――連れて行って、くれるんでしょう?」


 聡い少女は、魔王の説明に何かを察したのかもしれないが、言及することなく優しく悠然と微笑んだ。

 

「あぁ。勿論だ。……『家族』になると、約束した。お前の命尽きるその日まで、飽くことなく、俺の傍にいてくれ」

「うん。ふふっ……嬉しい。ありがとう、天使様。ずっとずっと、大好き、だよ」


 彼女が”優雅”と称した羽音を聞くことは二度となくなったが、少女は今までと変わらぬ眩しい笑顔で”愛”を口にした。


 魔界と人間界を繋ぐ”門”は、人里離れた森の中に造られた。

 草木も生えぬ魔界では、少女が生きていくために必要な食糧の調達すら叶わない。定期的に人間界に赴く必要があったからだ。


「まず造るべきは、人間界と魔界を行き来し、リアの生活を支援する個体か。翼は天使の象徴だから省くとして――人間とさほど変わらぬ外見で、人間に紛れても違和感を感じさせないように振舞う知性を備えさせる必要があるな」


 ぶつぶつと口の中で呟く魔王の横顔は、既に魔界の王として生きる覚悟が備わっているようだった。

 真剣な横顔を見つめ、少女は満足そうに笑う。

 未知の世界で暮らす不安がないと言えば嘘になるが、この優しい元天使と一緒なら、どこだって至上の楽園になるはずだと、不思議と信じることが出来た。


 そうして最初に造られたのは、中級魔族二体。

 炎を司る魔族と、水を司る魔族。


 今、人間が生きる上で絶対に必要になるその二つの能力を司る者は存在しない。魔王自らが、それらを司っていた天使らに引導を渡したのは記憶に新しかった。

 真っ先にその魔族を造ったのは、完全に新しい能力を無から試行錯誤して生み出すよりも、過去に造ったことのある能力を付与する命の方が、造りやすかったという側面もあるが――どこか魔王にも、贖罪の気持ちが、あったのかもしれない。


「リアの序列は、俺と同じ。リアの望みは、俺の望みと同じだ。リアのために生きること――それが、お前たちの『役割』だ」

「「ハッ!」」


 魔族を造るのは初めてだと言っていたくせに、あっさりと造り上げてしまった手腕に、少女は感嘆しながら手を叩く。家族と慕う男が、本当に世界を支える重責を担っているのだと、改めて実感した。

 二人は”門”から人間界へと飛び出すと、あっという間に人間界に溶け込んでいく。天使と違って、人を騙すことに罪悪感を覚えるような性格を付与しなかったため、あっさりと人間たちを手玉に取り、職を見つけて貨幣を稼ぎ、食糧を恒常的に得る基盤を築いてしまった。


「次は、今まで造ったことの無いオリジナルの能力を生み出す必要があるな。造物主にしか扱えない能力は、記憶と、時間と、心。逆に言えば、それ以外は造ることが出来るはず……例えば、造物主が使っていた、脳内に直接語り掛けるような魔法も、造れるはずだ。その気になれば、人間界と行き来する”門”を造ることすら出来るかもしれない。ふむ……」


 何事かをメモしながら、一生懸命に仕事に打ち込む姿を、少女は優しい笑顔で見守る。

 魔王と出会ったばかりの頃――まだ彼が天使だったころは、仕事に話題が言及すると、露骨に口が重くなり、鬱々とした空気を醸していた。それが今、彼は、そんな素振りを見せぬどころか、精力的に取り組んでいるではないか。

 

『どちらの道を選んでも、お前が”幸せ”なまま生きられるよう、俺は全力を尽くす。だからお前は、何にも囚われず、心のままに選べばいい』


 眷属として生きるか否かを問うた時に、彼に告げられた言葉を思い出す。

 きっと今も、あの時の気持ちは変わっていないのだろう。

 少女が眷属であろうとなかろうと、少女が”幸せ”なまま生きれるように、全力を尽くしてくれているのだ。


 そうして少し時間をかけて三体目に出来上がった個体は――愛らしい小動物を思わせる獣の耳がついていた。


「へ……?て、天使様、これは――」

「ここには、お前が暮らした森の自然も、動物も、存在しない。だが、いつか、約束しただろう。――お前の心を和ませる、命を造ると」

「――!」


 眷属として天界に導かれる最中にした会話を思い出す。

 あんな些細な言葉を、ずっと、ずっと、覚えていてくれたらしい。


「天使と違い、魔族は外見を自由に創れる。翼も黄金の髪も必要ない。ならば――お前が好きだと言った動物と融合させた命が造れないかと画策した。上手く行ったようだが――どうにも、獣の要素が入る分、高い能力を付与することは難しそうだ。これは、造物主が使っていた思念を飛ばす魔法を行使する力を付与した下級魔族だ。お前でも使えるように、単純な魔法にしておいた。これならば、将来魔族という存在が明るみになり、人間たちによって天使の魔法のように使われることになっても、悪用はされることは少ないだろう」

「天使様――!」


 思わず、感動のあまり逞しい身体に抱き付く。

 魔王は、危なげなくその身体を抱き留め、支えると、そのまま少女を屋敷の裏手へと導いた。


「――ぁ――!!」


 喉の奥から、驚愕の声が漏れる。

 驚きに目を見張る少女の前に――見覚えのある、大樹が聳えていた。


「太陽の樹――!」


 思わず駆け寄って、太い幹に手を伸ばす。

 ごつごつとした岩肌に根を張って、しゃんと背筋を伸ばすように天を目指して聳え立つ大木は、幼いころから何度も見上げた人間界のそれと、全く相違ないものだった。


「どうして――ここには、太陽もなくて、草木は生えないって……」

「造った」


 あっさりと、魔王は言ってのける。

 それは、魔王が造った、四体目の下級魔族――


「姿かたちを拘らなくてよいならば、植物の形にすることも出来るはずだ。根を張る以上、動き回ることは出来ないが、この地にある周囲の瘴気を吸って生きる下級魔族として、造り上げた。この樹自体が自我を持つことはない。ただ瘴気を糧にする、という点以外、地上の植物と相違ない」

「天使様――」


 感動のあまり、声が潤む。

 どんな自然も愛していた少女が、特別想いを寄せていたのが、この太陽の樹だった。

 この樹には、忘れたくない思い出が沢山、沢山、詰まっている。


 はらはらっ……と白い頬を零れ落ちた雫を、少し困った顔をしながら武骨な指で掬い上げてから、魔王はそっとその小柄な身体を抱き寄せた。

 すっぽりと腕の中に包み込むと、小さな少女の耳に、唇を寄せて、そっと囁く。


「ぇ……?」


 耳に届いた音に、驚いて少女は魔王の顔を振り仰いだ。

 いつものように小さく鼻を鳴らし――少し居心地が悪そうに、魔王は口を開く。


「もう俺は、天使ではない。――言っただろう。いつか、お前には、俺の本当の名を教えると」

「――!」


 囁くようにして小さく耳に届いた音が、この男の名前を表すと知り、少女は大きく息を飲んだ。


「仮に、俺の名を知りたいと願った者がいたとして――俺が望まぬ限り、お前が名前を口にしたとしても、それは意味のない音の羅列にしか聞こえない。お前が、書物に書き記しでもしない限り、第三者が俺の名を知ることは出来ない」

「し、しません、そんなこと!」

「知っている。……だから、教えた。生涯、お前にだけ、俺を名で呼ぶことを許そう。――この樹の下で、いつかのように、穏やかな時間を過ごすときは、俺を名前で呼んでくれ」

「っ――!」


 少女は、胸いっぱいの気持ちを持て余し、魔王の長身の首に抱き付いた。

 その頬に唇を寄せ、精一杯の”愛”を伝える。


「約束します……!ずっと、ずっと、大好きです。――*****」

「……あぁ。愛している、リア」


 魔王は軽く吐息だけで笑って、喜びの涙に濡れた頬に、唇を返した。


 それは、まぎれもなく、”幸せ”な日々。

 いつか終わりが来るとわかっていても、魔王が生を得てから数万年で、まぎれもなく最も幸せな日々だった――

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